2016年12月31日土曜日

2016年の終わりに

あと1日で2016年が終わろうとしています。ニューオーリンズは地球温暖化なのではないかと思うほど温かく、ここ1週間は日中最高気温摂氏25度、最低気温17度、湿度90%以上でした。毎日蒸し暑く、エアコンをつけるときがあり、冬とは信じられない感じでした。今日は気温が少し下がり日中14度。来週も20度の日々が続くらしいです。冬用のコート今年は一度も着ていません。

2016年を振り返ってみるとプライベートは流産をしたり、高額な歯医者に通わなければいけなかったり大変なこともありましたが、学業はとても順調だったと思います。総合試験も研究提案書の口頭試験も計画通り無事に合格し、論文も共著で2本、USAID(米国開発庁)とMEASURE Evaluationが出すHIVと家族計画のレポートにも共著として出版され、思ったよりもたくさんのことができたのではと思います。来年は無事に卒業し、難民、移民に関する仕事を見つけることができればと思います。

2017年早々にはアメリカの大統領就任式があります。2016年はイギリスのEU脱退にはじまり、世界各地がナショナリズムに向けて加速しました。アメリカもナショナリズムに向けた4年間が始まるかもしれません。。。日本はいい意味でアメリカから独立するチャンスの幕開けなのかも。

世界がどんな情勢であれ、母国を離れて第2、第3国に住む難民や移民の人々が1日でも早く平和で幸せに暮らせますように。皆さんよいお年をお迎えください。

先週ミャンマー、ヤンゴンのインヤ湖にて撮影。

2016年12月25日日曜日

メコン地域開発研究会@ヤンゴン

ミャンマーのヤンゴンに滞在していました。最近ニューオーリンズに戻ったため時差ぼけがひどく夕方の眠気が激しいです。

アメリカのユタ州立大学とミャンマーにあるNGOが主催するメコン地域開発研究会の公共政策についての勉強会に参加してきました。参加者はアメリカの大学院関係者、メコン地域(タイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、中国、シンガポールなど)の大学や研究機関で働く研究者が参加しました。うちの大学はマーク先生が招待され、マーク先生の子分である私も招待を受けました。旅費から滞在費まで出してもらいありがたかったです。途中で少し日本の実家にもよることができ日本食を楽しみました。

ミャンマーのNGOが率先して公共政策に関する研究会を主催したことに感動しました。研究会の初日にはミャンマーの政府関係者や教育関係者がパネリストとして集まりミャンマーの公共政策(インフラの改善、村落開発など)の課題について議論されました。軍事政権の時にはこのような内容を公に話すことは難しかったと思うので、時代の変化を感じとりました。

宿泊先も会議場もセドナホテルという5つ星ホテルでした。人生で5つ星ホテルに泊まるの初めでした。こんなところにお金を使わなくてもと思うのですが、5つ星ホテルの会議場でさえも一日何度も停電(苦笑)。インフラはまだまだ改善しないといけないミャンマーでした。
セドナホテルの外観

ホテルのプール

ホテルエントランス

セドナホテル前にできた新しいショッピングモール、ミャンマープラザ

2016年12月1日木曜日

博士号取得候補者へ

あっという間に12月になろうとしています。

アメリカはご存知のようにトランプ氏とヒラリー氏の選挙があり、トランプ氏勝利から一時期は街も学校もお葬式のように暗かったです。ニューオーリンズは民主党の街です。

今年のThanksgivingは家族とは一緒に過ごさない人も多かったようです(大学院の友人の中にも結構いました)。Thanksgivingはアメリカ人にとって家族と集まる大事な行事です。
友達や教授陣の中でも家族内で民主党支持者と共和党支持者に分かれ口論になった家族があったそう。アメリカのニュース番組でも選挙が家族内の不和をもたらしていることが話題になっていました。

私はアメリカで5回目となるThanksgivingは教授のお家で過ごしました(今年はマーク先生のお家ではなく、別の大好きな教授のお家に招かれました)。5回目のThanksgivingを迎えるにあたり、アメリカに住んでもう4年以上も経つことを身に染みて実感していました。まさかこんなに長くアメリカに住むとは思っていませんでした。

そのThanksgivingのあと、Dissertation Prospectus Defense(研究提案の口頭試問)に無事合格し、PhD Candidate(博士号取得候補者)になることができました。アメリカの博士課程では総合試験のあと、Dissertation Prospectus Defenseに合格して初めて博士号取得候補者になり、博士論文を書くことができます。さらに卒業の道が近づき嬉しいです。2016年の目標は総合試験に通り、Prospectus Defenseに合格して博士号取得候補者になることだったので、無事に目標を達成し満足です。目標の3年でPhDを取得することは不可能ではないと思います。来年卒業を目指し、残りも手を抜かず研鑽したいと思います。




2016年11月6日日曜日

英語で教鞭に立つ

今学期は3クラスの特別ゲストスピーカーとして授業をする予定です。最近2クラスの授業が終わりました。あと1クラスです。英語でアメリカ人相手に1時間近く授業をするのは本当につらいです。博士の学生となって何回か授業をすることはありましたが、今月は多いです。

授業の後は全力を使い果たしたせいか、疲れ果て何もできません。緊張をし、おどおどすることはあまりありません。とにかく気が張り疲れます。

修士課程の学生向けの授業の方が、学部生の授業よりはるかにやりやすいです。大学院生の方がやる気があり教えがいがあります。よく質問もしてくれます。先週は修士の学生向けに、紛争、災害に関する移住というテーマで話しました。タイ・ミャンマー国境に住む難民の事例や東日本大震災、ハリケーンカトリーナなどの事例をもとに、災害に関する研究の課題と提案などを話しました。私のアドバイザーであるマーク先生のクラスでゲストスピーカーとして講義を任されました。マーク先生の前で授業するのは初めでした。

終わった後にマーク先生から「素晴らしい!発音も時間配分も問題なかったし、生徒の目を見ながら台本をほとんど読まずによくやったね!難点のつけようがない講義だったよ。Aikoの指導教官として誇りに思うよ。」とこれまで以上にない褒め言葉をいただきました。授業がうまくいって安堵です。めちゃ疲れたけど。。。

博士課程後にアメリカでポスドクをし、准教授になったりする道はあるのですが、おそらくそのような進路は歩まないと思います。英語で授業をし続けるなんて疲れ過ぎます。。。日本語でも大変なのに。

そしてやっと論文のProspectus Defenseの予定日が決まりました。何事もなければ11月29日にDefenseをします。これを通ればPhD Candidate(博士号取得候補者)として博士号取得にまた一歩近づきます。論文審査委員会からこのまま何もコメントがないように祈る毎日です。





2016年10月29日土曜日

アメリカ大統領選討論

先週に選挙前最後のアメリカ大統領選挙討論がありました。選挙の投票は11月8日です。期日前選挙も行われており、アメリカ人の友人の中にはすでに投票に行った人もいます。

選挙討論のほとんどを中継でみているのですが、こんなレベルの低い討論で大丈夫なの??と思ってしまいます。トランプ氏もヒラリー氏も政策の前にいろんな問題(トランプ氏は女性問題、税金未納問題等、ヒラリー氏は私用メール問題、クリントン財団からの利益問題など)を抱えており、討論ではその批判しあいになっています。まるで子供のケンカ。。。もっと建設的な話はできないんかしらと思ってします。私の中でトランプ氏はお笑い芸人にしか見えない(苦笑)。

3回の討論をパロディー化したものがYouTubeで見れます。もう大爆笑です。動画の司会はトムハンクスがしているのですが、面白くて何度も観てしまいます。




2回目の討論を編集し、まるでトランプ氏とヒラリー氏がカラオケみたいな感じで歌っている動画もあります(笑)。私はアメリカ人ではないからこんなに笑えるけど、アメリカ人からしてみたらジョークではすまされない話ですね。。。


2016年10月16日日曜日

ロジカルに書く

私の博士論文について今回は書きます。夏から博士論文の研究提案書を提出するために準備をしているのですが時間がかかりすぎて少々焦っています。6月に投稿した博士論文 Prospectus Defense準備にどうのような段取りで博士論文に取り掛かるのか書いています。興味のある方はご覧ください。

現在、研究提案書は30ページくらい書いたところです。イントロ、Significance、文献レビュー、Conceptual Modelなどの原稿はマーク先生からOkをいただき、次のミーティングで分析内容を話し、何事もなければ11月中にProspectus Defenseを行います。

Prospectus Defenseのための研究提案書でマーク先生に何度も言われていることは

「AikoのWritingの質がひどすぎる。磨きをかけろ。」と毎度のように言われています。もっとロジカルに文章を書けと。毎回厳しく言われるので泣きたくなります(涙)。

自分で言うのもなんですが、Writingの文法間違い(英語)はほとんどしなくなりました。これは英語で文章を書く上で最低限のルールです。博士課程で求められるのは学術者として簡潔にロジカル(論理的)に文を書く必要があります。

このブログではロジカルに書くことからほど遠いですが(誤字脱字も多々)、日本語でも新聞や書籍は人にわかりやすく簡潔にロジカルに書くことがあたり前だと思います。

指導教授にWritingを何度も指導される博士の学生と先生よりWritingの他にも何も言われないですぐに卒業できてしまう学生がいます。先生が放任主義の場合です。うちは真逆です。近すぎる。。。

私の教授はHarvardと並ぶくらい有名なPrinceton大学の卒業生です(PhD in Demography)。Princeton大学は2016年アメリカ国内の大学ランキングで1位をとっていました。ちなみに私の大学は国内で39位でした。公衆衛生部門ではアメリカ国内12位。

先生がプリンストンで受けていた博士教育をもとに、先生から指導を受けているので、日本人でプリンストン大学に入れないような私にそこまで求められても。。。と複雑な気持ちになります。2-3ページの研究提案書に数週間かかるときもあり泣きたくなります。

私のWritingにしびれを切らした先生からWritingのTutorまでつけられる予定です。先生の友人なのですがNew York TimesやThe Nationというアメリカの有名な新聞でも時々記事を掲載するフリーランスの女性ジャーナリストさんが私のWritingの先生として指導してくれる予定です。私の教授もNew York Timesにたまに記事を書きます。

これは修行だと思い耐えてWritingの力を伸ばしたいと思います。でも一日でも早くProspectus Defenseをするぞ!






2016年10月7日金曜日

留学生は歯が命

最近医療ネタばかり書いてます。今年は病院にお世話になりすぎて困ります。
先週末歯医者に行ってきました。歯が痛いと思い8月に歯医者に行きました。レントゲンを取り、先生からrootcanalが必要だと言われました。

うん?ルートカナル?なんだそれ?小川ですか?

ルートカナルとは根管治療のことをさします。神経を抜く作業です。今まで歯の神経なんか抜いたことないし、いくらかかるんだろ?と聞いたところ、

神経抜くのに800ドル。クラウン(被せもの)に800ドルと計1600ドルと言われ思わず叫びそうになりました。アメリカ、本当に恐ろしい国です。

私は大学院の学生保険に入っているのですが、歯科治療はその保険ではカバーできません。通常、アメリカでは健康保険と歯科保険は別売なのです。多くの人は歯科保険に入らず定期検診、クリーニングを受け早期発見、早期治療で高額な治療費を未然に防ぎます。私はこの定期検診を怠りました。

ルートカナルをするには専門歯科医がいるため、専門医がいる日に再度受診するように勧められました。その後妊娠が発覚したため最近まで歯医者に行かず、どうしたものかと考えていました。

たまたま年に一度ルイジア州で行われている無料の歯科治療のチャリティーイベントが先週あり、朝6時から並び歯医者さんに診察してもらいました。

すると、「ルートカナルは必要ないですね。詰め物だけで大丈夫。ここでは詰め物をしてないからできる歯医者さんに行って下さい」と言われました。

前に歯医者に言われたことと違う!と思い困惑しましたが、レントゲンもみてもらい再度ルートカナルはいらないと思うと言われました。

翌日、ニューオーリンズから少し離れた市にあるベトナム人同僚のお父さんが経営してる歯医者で再度みてもらいました。彼はアメリカの大学で歯科医の訓練を受け評判がよい歯医者さんです。その歯医者さんにもレントゲンを撮ってもらい、

「ルートカナルはいらないと思う。詰め物だけで様子見ましょう。」と言われました。

2つの虫歯治療費はディスカウントしてもらい230ドル。

ルートカナルしてたら5倍以上のお金を支払う必要あっただろうに。。。セカンドオピニオンって大事だわと痛感しました。

アメリカに留学する前にしっかり治療して、留学後も半年に一度は検診に行くことを勧めます。

2016年9月27日火曜日

Missed abortion (稽留流産)②

9月22日 

薬を飲んで痛みで苦しむのは無理だと思い、外科手術をお願いする。
翌日の緊急手術の予約を助産師さんにいれてもらう。

9月23日 

手術当日。友達が病院までついてきてくれる。彼女は1歳の子供がいるお母さんで私と同じ33歳。2年前に同じく稽留流産を経験している。病院の受付にて施設使用代金670ドル支払う(保険なしだと1万ドル=約100万円と言われる)。施設代のみならず、後日麻酔の費用、手術医の費用の請求書が送られてくるけれど驚かないことと言われる(アメリカの医療費怖すぎて冷や汗をかく)。

日帰り入院のため病室に案内され、担当ナースが検温。手術着に着替える。代理の産婦人科医により手術の説明を受ける。この際手術が全身麻酔で行われることを知る(局所麻酔か硬膜外麻酔かと思っていたのでびっくりする。日本はおそらく局所麻酔が主流。助産師さんに言われ手術前日夜12時以降絶飲食にしていた)。余談だがさすが痛みに寛容なアメリカ。親知らずの抜歯でも全身麻酔をするらしい。。。

2時間ほど病室で待ったのち手術室へ案内される。人生初の全身麻酔手術にやや緊張。手術室の前で点滴をいれてもらい、担当医や麻酔科が手術の説明。手術の同意書にサインする。

手術室前で20分ほど待ったのち、手術室へ移動する。手術台へ移動したあとラリンゲルマスクと思われるマスクをつけられ、1秒程度で寝てしまう。手術の記憶は全くなし。

手術1時間半後に目が覚める。回復室へ移動。手術から2時間後尿意があったため徒歩でトイレへ自力移動。ナースに「若いから術後の回復が早いね!」と笑われる。

以上。こんな感じでアメリカで流産手術(D&C: Dilation and curettage)を経験しました。手術後動くとわずかな痛みがあるけれど手術にしてよかったなと思います。精神的にも肉体的にも。手術後は友達が夕食を買ってきてくれたりと友達にお世話になりました。土曜日には教授のマーク先生からも電話があり「大丈夫?何かあったら遠慮せずに電話してね」とも。夫は用事でミャンマーにいるので電話するたびに心配していました。

今回思ったことは流産は誰にでも起こりえることだということです。私の身近な友人数人も流産の経験があったことを知りました。一緒にUNICEFのプロジェクトで働いていた3人のお子さんを持つ先生にも、実は私も1度流産したことがあるから気持ちが痛いほどわかると言われました。初期の流産は15%-20%の確率でおこり赤ちゃんの染色体異常が大きな原因らしいです。

妊娠、流産を終えて正直また妊娠するのが怖いです。でも私の生物学的時計も限界があるのでやっぱり子どもはほしいと思います。キャリアのことを考えて、妊娠、出産を延期してしまう人は多くいると思います。私もいつが産みどきなのか考えて総合試験まで延ばしてきました。不妊、流産をする可能性も考えて子どもがほしい女性は一日でも早めに出産したほうがよいのではないかと痛感しました。

女性は大変です。私自身、赤ちゃん、論文、卒業、就活を一緒に考えていたら頭がパンクしそうになります。男性が羨ましいと思う今日この頃です。





2016年9月25日日曜日

Missed abortion (稽留流産)①

今回はとてもデリケートなことを書きたいと思います。このブログを読んでいる方には20代、30代の女性で国際保健の勉強や仕事をしたい人がいると思うので、同世代の女性に私が最近体験し学んだことを共有したいと思います。

最近稽留流産を体験しました。まさか自分が流産すると思っていなかったのでショックでしたが今は手術を終え、心も身体も落ち着きました。

今年4月末に総合試験を終え、これからは自分のペースで卒業に向けて論文の準備ができるし、赤ちゃんができればと思っていた矢先、8月に妊娠していることがわかりました。
夫ともに思ったよりも早く妊娠できたことを喜んだのを覚えています。以下は時系列で書きます。

8月12日(4W1D) 市販の検査薬で妊娠陽性を確認。

9月8日(8W0D) 産婦人科外来受診。私の担当は助産師さん。米国では普通分娩の妊婦さんい対し、助産師さんが処方箋、超音波オーダーなど日本の医師並みに外来をしています。

尿検査でも妊娠陽性。米国では妊娠8週目くらいからしか妊婦さんをみてくれません。7週、8週目以降でないと胎児心拍が確認できないからということです。超音波検査も出産まで2,3回のみ。

9月16日(9W1D)初めての超音波検査。胎児が7週と2日目で成長が止まっていると医師より伝えられる。自覚症状はなく食べづわりあり。血液検査ではHCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)が22000mlあり。この怪獣みたいな名前の血液検査の項目は妊娠が成立すると急速にあがります。50ml以下が妊娠陰性です。

9月18日(9W3D)少量の出血あり。

9月21日(9W6D) 
3:00 pm ころより30分おきに腹痛がはじまる。

8:00 pm 腹痛で自宅のトイレに何度も駆け込む。鮮血でトイレが血の海に。

10:00 pm 15分おきの間隔で痛みあり。起き上がることができず床に横になる。

11:00 pm シャワーをあび就寝。

3:00 am 激痛で起き上がる。トイレに駆け込みまた鮮血。

6:00 am 朝方までトイレとベットの往復。15分おきに腹痛あるも痛み止め飲み、再び就寝。

9月22日(10W0D)
8:00 am 起床。予定されていた助産師外来へ向かう準備。9時半車に乗って病院へ(あとで助産師さんに怒られる。。。具合が悪いのに運転してはいけませんと。。。)

10:00 am 助産師さんによる内診。子宮頚管に詰まっていた3センチほどの胎芽を除去してもらう。腹痛があっという間になくなる。

1:00 pm 超音波検査。完全流産したかと思ったものの、子宮内はまだ厚くたくさんの血の塊が見られると検査技師に言われる。

2:00 pm 助産師さんに週末に入る前に外科的手術により子宮内の全てのものを除去するか、子宮収縮剤によってまた痛みに耐えながら完全流産するかどちらかを選んでと言われる。子宮収縮剤は大出血を伴う場合があり、緊急時にはER(救急室)に来てもらわないといけない。もし子宮内がきれいでなければ結局外科的手術を行う必要があると言われる。週末に入るので金曜日までに子宮内をきれいにしないと感染症になり状態が悪化する場合があるので今すぐに決めるようにと言われる。

助産師さんに決断するまで10分下さいと頼みこむ。。。

Missed abortion (稽留流産)②へ続く







2016年9月19日月曜日

出産と死

今週無事に車の免許を取りました。ニューオーリンズ市内を自由に運転できてうれしいです。便利。

9月に入ってから心が沈むことがたくさんあり、全くやる気がでません。こんなときに限って夫はニューオーリンズにはおらず、落ち込みます。論文の研究提案書もあともう少しなのに教授が忙しくなかなかみてもらえず、私も投げている感じです。

私の健康が不調なこともひとつあったのですが、なんといっても一番ショックだったのは東京に住んでいたときに仲が良かった友人が出産後に急死してしまったことです。ニュースを知ったときは信じられず、何かの冗談だろうと思っていましたが、本当の話しでした。彼女の笑顔と一緒に東京で過ごしたことを思い出しては涙していました。赤ちゃんは無事に生まれたものの、どうしてあんなに素敵な友人が若くして亡くならなければならなかったのか考えると悔しくて涙がでます。友人は中近東の国でシリア難民を支援する仕事をしており、現地で出産し命を落としました。

旦那さんを初めとし、ご家族の悲しみは計り知れないと思います。考えただけで胸がしめつけられます。

同時にシリア難民の方々は十分に医療サービスを受けることなく、きっと毎日のようにお母さんと赤ちゃんの命が亡くなっているのだと思います。

明日はニューヨーク国連総会で難民サミットが開催されるようです。注目したいと思います。 http://refugeesmigrants.un.org/summit

世界で難民として苦しんでいる人たちのことを考えるといつまでもくよくよせず、前向きにならないとと思います。

2016年9月4日日曜日

試験落ちる

水曜日にRoad testとよばれる車の技術試験を受けました。

前日は緊張のあまり全く眠れず、試験の際も緊張してしまいました。何事もなく終わったのですが、試験官から

"You did ok, but you looked too nervous."

運転そこそこだけど緊張しずきと言われました。試験の結果はfailed! 不合格。

落ちた日はショックでした。仮免許みたいなものをもらい(learner's permitというらしい)、今では大学院やスーパーに行くには車で出掛けています。夫が用事でミャンマーに帰国中ということがあり、アメリカ人で免許を持つ友人を車に乗せ、公道を走っています。

運転にもだいぶなれ、ひとりでどこでも行けそうな感じです。再来週の試験には合格できるよう練習したいと思います。

しかし路上の運転試験、博士の総合試験より緊張しました(苦笑)。そんなことを言ったら友達に笑われました。。。総合試験中毎日8時間寝てたのは私ぐらいです。準備するって大事と痛感したroad testでした。

2016年8月27日土曜日

アメリカで車の免許を取る

車をせっかく買ったので私も運転したいと思い、教習所に登録しました。ニューオーリンズでは1日の道路に関わる法律の授業などを受け、筆記試験に合格したら早速公道で車の運転練習です。運転はたった8時間(4日間×2時間)だけです。8時間の練習後、実技試験を受け免許を取得することができます。

教習所で払うお金は370ドルのみ!破格です。日本だったら30万円以上はかかるのに。

日本で運転免許を持っていない私ですが、初めて公道で8時間運転しました。運転練習はスパルタで、3日目には高速にのり時速100キロ以上出してミシシッピー州近くまで走りました。日本では考えられないと思います。今振り返っても恐ろしすぎます。。。

でもハイスピードで運転するのちょっと快感になります(汗)。

来週の水曜日に実技試験で受かれば来週から運転できます。夫は助手席に乗りたくないわー!と言っています(涙)。

写真はうちの車です。4カ月前に中古のディーラーショップで買いました。2007年の日産のセントラ(セントラは北米にしかないらしい)。購入費は税金などを合わせると4000ドル近くなりました。時間があるときにアメリカで車の買い方方法も報告したいと思います(すごく苦労しました)。



2016年8月10日水曜日

オバマ大統領の論文

オバマ大統領の論文がthe Journal of America Medical Associationに掲載されました。アメリカ版国民皆保険制度、Affordable Care Act (ACA)について書かれています。良いことばかりかかれていますが、現役の大統領で論文に出してまで、保健制度を熱く語る大統領はもうでてこないかもしれません。少なくともトランプ氏はこんな論文書かないと思われます。
興味深い論文です(薬業界や共和党への非難も書かれています)。興味ある方ぜひ下のリンクから読んでみて下さい。保健システムがよければ留学生や移民にとって少しは住みよい国になるのになぁ。
http://jama.jamanetwork.com/article.aspx?articleid=2533698

2016年8月6日土曜日

ニューオーリンズのミャンマー(ビルマ)コミュニティー

ニューオーリンズに住むミャンマー人は夫と大学院で勉強するミャンマー出身の留学生しかないと思っていたのですが、いました!ニューオーリンズ郊外に100-200人近くのミャンマー人コミュニティーを発見したのです。さすが人種のるつぼアメリカ。すごいです。夫も大喜び。

出会いは突然でした。3週間前にスーパーで夫ともに買い物をしていた時のこと。私がミャンマー人っぽいスーパーの店員さんを発見し、

私「ねぇ。あの人ミャンマー人っぽいと思わない??カレン族かな?」
夫「そうかなー。」
私「声かけてみよう!」
夫「えっ?(苦笑)変な人って思われるぞ。」
私「すみません!!あの、どこの国出身ですが?」(突然店員に声をかける私)
店員「バーマ(Burma:ビルマ)です。」
夫・私「おおおおーーーー!!!」(私の方が夫よりミャンマー人を発見するのに優れている!笑)

ってな感じでミャンマー人コミュニティーの一人を発見。スーパーで仲良くなり電話番号を交換。そのあと友人になった店員さんの友人たちを紹介され、でるわでるわたくさんのミャンマー出身の人たち。主にミャンマーで一番貧しいと呼ばれるチン州出身の方々でクリスチャンです。カレン族も見つけました。ほぼ全員難民として第三国定住プログラムからアメリカに定住した人たちでした。マレーシアにある難民キャンプからアメリカに移ったようです。ほとんどの人が在米歴まだ10年未満。

大多数がニューオーリンズ市内か隣の市に住んでいました。写真はチン族出身の友人の家近くにて取りました。湖が近くにありとてもきれいでした。ニューオーリンズにかかっているアメリカで一番長い橋を渡って隣の市まで訪問しました。


橋が見えるでしょうか。

湖の名前。歴史も書かれています(興味あればぜひ読んでください)。

人生初に食べたチン料理。なかなか美味しかったです。

ミシッシッピー日帰り旅行

2,3週間前のことなのですが、日帰りでミシシッピー州まで旅行に行ってきました。初めて車で遠出をしました(夫が運転しました)。ミシシッピー州はこのニューオーリンズがあるルイジアナ州の隣の州です。ニューオーリンズから車で2時間くらいで行けます。ミシシッピー州は海に面しており海水浴目的で旅行する人がたくさんいるようです。

写真は天候よさそうに見えるのですが雨上がりで寒くとても泳げる状態ではありませんでした。街は田舎という感じでよくアメリカ人がミシシッピーのことをDeep Southと呼んでいます(私の住むルイジアナ州もDeep Southの一部です)。

2010年にメキシコ湾沖合で起こったBP社の原油流出によりミシシッピー州の海はとても汚れていたそうですが、今では見た目きれいになったようです。ミシシッピー州に住むアメリカ人いわく今でも他の海と比べてミシシッピーの海は見えないけれど汚染されているそうです(旅行後に聞きました汗)。海の中に入って泳がないほうがいいと言っていました。もし泳ぎたいならミシシッピー州隣のフロリダに行った方がよいでしょうと言われました。

ドナルドトランプを応援している家庭の家にはトランプ応援の旗が堂々と飾られていました。さすが田舎(こんなことしている人は都会のニューオーリンズにはいません汗)。あの旗写真撮っておけばよかった(苦笑)。



2016年7月24日日曜日

アメリカの医療事情

アメリカの医療のことを考えると一刻も早く日本に帰るか、他の国に住みたいとつくづく思います。最近甘いものを食べたあと歯がしみることがあり、虫歯かもしれないからそろそろ歯医者さんに行かなければと思っているのですが、過去の経験によりそう簡単に足を踏み出せません。

なぜなら高額の医療費を請求される可能性が高いからです(虫歯一本に1万―10万円なんてざらです)。今、友人たちにどこの歯医者が安いか聞いており情報収集次第、歯医者を決めたいと思います。

アメリカは歯科だけでなく、全ての医療費が高いです。保険システムを理解していないと膨大なお金を支払わなければいけません。無保険の人はなおさらです。

博士2年目に入ってから胃の調子があまりよくなく、総合試験後に初めて病院に行きました。大学に附属しているStudent Health Centerを受診するには初診に300ドル支払わなけれなならず、高すぎて払えるか!(怒)と思い自宅近くの私立病院に受診しました。ここが不幸の始まりでした。

私はUnited Health Careという大学が提携している保険に加入しておりカバー率も高いので、どこの病院に行っても問題ないと思っていました。

病院システム自体は日本と変わらず、初診のため問診表に回答し、医師の診察を受け必要だったら血液検査やレントゲン検査を受けるというものでした。

私の場合は医師の診察後、血液検査が必要ということで採血をとりました。受付では初診の予防受診は無料ということで何も支払いをせず帰宅しました。

無料?ラッキー!と思いその後何も考えず毎日を過ごしていました(採血結果も問題なく、おそらくストレスが原因と診断されました)。

受診しおよそ3週間後、自宅に病院からお手紙が届きました。なんだろ?と思い開封してみると内容は1週間以内に受診代金180ドルと血液検査代400ドルをクレジットカードか小切手で払ってくださいというものでした。

「なんじゃこれー!!?(怒)」

腰を抜かしそうになりました。。。たった問診と血液検査で600ドル近くかかるとは日本ではありえません。怒りから保険会社に電話し金額について話をしてみると、「受診代金180ドルの内容に間違えがないか確認してみますね。ただ血液検査(ピロリ菌の検査や一般採血)の項目は当保険会社でカバーできないものなのでお支払いお願いします。」とそっけなく返答がありました。

どうしてこんな高額な金額を支払わなければいけないのか、それは保険会社と医師の提携が関連しているからです(私は受診するまでそのシステムを理解していませんでした)。

アメリカでは自分の保険を取り扱う医師を受診する前に探す必要があります(病院ではありません)。自分の担当医がネットワークに入っている保険と自分の保険が提携していなければ保険会社は基本負担してくれないのです。日本だったら国民皆保険をはじめとしどの保険でも、おそらく全ての病院でその保険が使えると思います。アメリカはそうではありません。プロバイダー(医療提供者:医師)が自分が加入する保険のネットワークに入っておかなければいけないのです。

この厄介なシステムは患者中心の医療からほど遠いと言えます。

例えばアメリカ人の友人から聞いた話なのですが、彼女が病院で出産(帝王切開)をした際、友人の担当産婦人科医は友人が加入する保険のネットワークに入っていたのですが、帝王切開に立ち会った麻酔科医は保険のネットワークに入っておらず麻酔科代(10万以上)はほぼ全額を支払わなければならなかったと聞きました。

この病院での体験から簡単に病院に受診するのが怖くなりました(請求書で発狂したくないです。汗)

重病でなければ留学生は大学が提供しているStudent Health Centerに行ったほうがよいかもしれません。Student Health Centerで働く医師は大学が提携している保険に入っている可能性が高いからです。他の病院に受診する場合はぜひ医師のネットワークを調べましょう。

アメリカの恐ろしい医療の話をもっと知りたい方は、堤未果さんの書籍(貧困大国アメリカや沈みゆく大国など)をお読みください。堤さんの本をほぼ全部読んできたのに、自分の身になってやっとアメリカは恐ろしい医療を提供する国だとやっと痛感しました(涙)。


2016年7月16日土曜日

最近のテロ事件を受けて

毎日世界のニュースを見ていると気分が憂鬱になってきます。世界の平和が段々と崩れていっているような印象を受けます。しかもグローバル化もかねて、ものすごいスピードで平和が失われつつあるような感覚に陥ります。

ここ一カ月間であったテロの件数は信じ難いものです。フロリダ州のオーランドで起きたナイトクラブでのテロ、トルコの空港テロ、バングラディッシュの高級レストランでのテロ、イラクのバクダットの爆弾テロ(200名近くが亡くなっています)、フランスのNiceのトラックテロ。。。もしかしたらここで見落としているテロがあるかもしれません。これらのテロだけではなく、シリアや他の戦争下にある国々では毎日のように暴力と隣合わせに生活している人々がいることも忘れてはいけません。

そしてトルコのクーデターによりトルコに滞在する300万人近くのシリア難民、移民の安全と健康が危ぶまれないかと心配です(トルコのシリア難民キャンプはトルコ全土に散らばってあります)。

どうしたら身近な私たちでも平和を築くことができるのか、先日夫と通っている教会の牧師さんがとてもいい話をしてくれました。

「平和を作るためには自分と違ったバックグランド(宗教、人種、民族など)を持った友人を自ら進んで作りなさい。」

憎しみと偏見は平和を脅かすものです。自分と全く異なる友人を持ち多様性を受け入れる社会が作れたら平和に近づけると私も思います。

似たような意見を北米難民健康学会の参加経験をもとに大学院の母子保健センターのブログに書かせてもらいました。全文英語ですがRefugee Healthの題で書いています。

2016年7月8日金曜日

ニューオーリンズ発の歌手メジャーデビュー

最近ニューオーリンズのローカルラジオで毎日のように聴く曲があり、なんだか日本のポップソングみたいだなーと思って気になって曲と歌手名を探していたところみつかりました。

なんとニューオーリンズ出身で最近メジャーデビューをしたS8ightyという歌手でした。タイトルはHalfway。ミュージックビデオにはニューオーリンズの街並みが流れています。おそらくニューオーリンズで撮影したのかなと思います。音楽の街ニューオーリンズから有名になってくれたら嬉しいなと思います。下のリンクから動画が見れます。

HalfwayのMusicvideo

Jazzフェスにも参加していたそうでいつかBillboard chartsに入る日がくるかもしれません。

2016年7月2日土曜日

アップル創設者スティーブ・ジョブズ

今大学の図書館で借りたSteve Jobsの伝記を読んでいます。Steve Jobs はアップルの創設者で2011年に他界しています。スティーブジョブズについてはスタンフォード大学の卒業式で行われた彼の有名なスピーチまであまり気にとめたことはありませんでした。ちなみにスティーブジョブズはスタンフォード大学出身ではなく、大学を卒業していません。

彼の伝記の本を読んで思ったことは、お金のためではなく何か自分に興味があることに没頭することの大切さを感じました。彼の場合は幼い頃からコンピューターに関することが好きで家のガレージで友達といろんな開発をしたりし、その経験がのちのアップル設立につながっています。おそらく億万長者になろうとしてアップルの設立をしたわけではないと思います。一度アップルから首になっても、他の会社で自分の好きなことをやり続け最終的にその会社がアップルに吸収されアップルの幹部に戻っています。

こんなジョブズ氏のストーリー。情熱を向けられる仕事をみつけて、集中して根気よく続けることは簡単なことではないです。

PhD課程の友人の中には未だにどのような分野(母子保健?保健システム?HIV、国際保健?アメリカの保健?などなど)でキャリアを積んでいけばわからず、いろんな分野に突っ込み過ぎて自分を見失って大変そうな友人がいます。特に友人の就職活動は大変そうです。よく相談に乗っています。

私は幸いなことに比較的若い頃に好きな仕事を見つけることができました。24歳でミャンマー国境の難民診療所で働きはじめ、将来は絶対に難民や移民の健康分野で活動したいと思い、かれこれ9-10年近くなります。大学院生になって都内の病院で働いていたときよりもはるかに節約し毎日を過ごしていますが、この分野でここまで勉強し続けられることに感謝し、病院で働いていた頃よりもずっと幸せです(お金と幸せはいつも同等ではないと時が経ってから実感します)。

おそらく今後のキャリアもこの分野(難民、移民の健康)から外れないで歩んでいくと思います。国際保健で何かをしたいと思い、このブログを読んでいる方いるかもしれませんが、実際に途上国にでて自分が情熱を見つけられる分野を見つけ勉強したり、働いたりすることが末長いキャリアを構築するヒントになるかもしれません。逆に途上国で働くことあんまり向いてないなと感じ、キャリアを修正する人もいるかもと思います。

最後にスティーブ・ジョブズ氏の有名なスピーチ。観てない方はご覧ください。










2016年6月19日日曜日

カレン族の親友宅訪問@バッファロー

北米難民健康学会のあとニューヨーク州のバッファローにて5年ぶりにカレン族の親友に再会しました。メータオ・クリニックで10年前一緒に働いていたセイリアです。私が修士課程の学生を始める前に彼女の家を訪問してから約5年ぶりでした。

この5年間の間に2人の赤ちゃんを産み(赤ちゃんは今2歳と4歳)、お母さんになっていたセイリア。子育ての話で盛り上がりました。カレン語で話しかけながら2人の赤ちゃんを育てているのですが、男の子2人ともカレン語が話せないとのこと(理解はできます)。英語のテレビの影響からか英語は達者です。多言語の中で子供を育てるのは結構難しいのだなと思いました。

ベトナム人2世(アメリカで生まれたベトナム人)のほとんども流暢にベトナム語が話せないように、英語での環境下に慣れると子どもでもお母さんが話している言語をスムーズに話すことが難しいようです。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、セイリアが作ったたくさんのミャンマー料理も楽しみました。モヒンガ、オンノーカオソイなど私の好きな料理ばかりでした(あらかじめリクエストしていました汗)。




最近論文のことで行き詰っていたのでニューオーリンズを出て息抜きできました。

2016年6月13日月曜日

ナイアガラの滝ナウ

今私はアメリカのニューヨーク州にあるナイアガラ滝市に来ています。夏休みなんです!と言いたいところですが、North America Refugee Health Conference(北米難民健康学会?)という学会に来ています。ニューヨーク州涼しすぎます。ニューオーリンズは日中摂氏30度。ここナイアガラ滝市内は日中20度くらい。

半年前に出した研究要約が通り学会でスピーカーとしてテキサス州ヒューストンで実施したカレン難民の子供と医療アクセスについて発表してきました。人前に立つと緊張するから何度も発表練習したのですが、プレゼンは60点。途中でぎこちなくなったりもう少し練習が必要です(英語で15分間、プレゼンするのは本当に大変!友達と会話とはわけが違います)。私のプレゼンは初日だったので、明日の学会からはリラックスしたいと思います。

全米、カナダそのほか海外からも650人近くの方々が出席され大きな学会です。明日、明後日も続きます。メータオ・クリニックで働いていたアメリカ人の友人たちにも再会しました。

アメリカは年間8万人以上の難民を受けれており、2015年は18000人のビルマ(ミャンマー)からの難民を受けれています。ビルマのカレン族難民が一番多いです。
シリアの難民受け入れはこれからどうするのか気になるところです。2016年アメリカはシリアから1万人の難民を受け入れる予定ですが、昨晩フロリダ州のオークランドで50名に渡る射殺事件はISによる犯行だということがニュースに流れており、シリア難民の受け入れは反発がありそうです。トランプおじさんが選挙に勝つ日が近づいてきたのか。もしトランプおじさんが勝つことになれば私はアメリカから撤退したいと思います(本気です)。
写真はホテルからみたカナダ側と学会の様子です。


2016年6月6日月曜日

博士論文 Prospectus Defense準備

この夏はおそらく旅行に行くこともなく、Prospectus Defenseの準備に時間をかける予定です。Prospectus Defenseとは博士課程の学生がどういう論文を書きたいのか、口頭で約30分かかて、博士論文審査委員会に説明するという博士課程の学生にはなくてはならない儀式です。このProspectus Defenseに通過して、晴れて私は博士号取得候補者(PhD Candidate)になる予定です。

このProspectus Defenseを行う前に30ページ近くのプロポーザルを書き、博士論文審査委員会の長(私の場合はマーク先生)にOkを出してもらって、はじめてProspectus Defenseのプレゼンテーションの準備を進めることができます。

さて肝心の私の論文テーマはなんと「ハリケーンカトリーナ災害復興の軌跡:ベトナム移民における健康と医療アクセス」です。

こんなにミャンマーのことを長くやってきたのになぜにベトナム移民??と思う方もいるかもしれません。論文テーマを決めるのは苦渋の決断でした。

でも今となってはこの決断に間違いはなかったのではと思います。以下の内容はこれからPhDで博士論文の内容を決める方の参考になればなと思います。

教授をハッピーにすること
博士論文を書くにあたって一番大事なのは論文審査委員会の長(私でいえばマーク先生)との人間関係です。ベトナム移民はマーク先生の専門分野。マーク先生はずっとわたしに彼のデータセット(2005年から2010年までのベトナム難民のコホートサンプル)を使い論文を書いたらいいのになと熱烈なアプローチをしてきました。

去年ハーバード大学とミシガン大学などとともにハリーケーンカトリーナに関するNIH(米国保健省)の1億円近い助成金を手にしたばかりの彼にはベトナム難民の論文本数を教え子が増やしてくれるのはもってこいだったのだと思います。

論文委員会の長との関係が悪く卒業まで困難を極めた学生さんたちを見てきたので、この教授をハッピーにするというポイントはとても大事です。

論文のデータ収集を自力でできるのか?
先生のアプローチを断ってミャンマーの結核問題を書くことになれば先生は論文を見てくれるのか、卒業が遅くなるのではととても心配でした。先生は「アイコがミャンマーの難民キャンプの結核スクリーニングを書くことにしても読むよ。」と言ってくれたのですが、そこで大きな問題が発生しました。

去年夏に元職場の上司と面談したところ「難民キャンプの結核スクリーニングのための資金は半分しか得てない。」と言われました。これは困りました。半分しか難民キャンプの結核スクリーニングができないのではれば私の研究は中途半端なものとなってしまいます。これをマーク先生に話したところ「Risky!」と難民キャンプで論文を書くことを避けるようにアドバイスを受けました。

さらにミャンマーの難民の帰還が近々予想されているので、この不安定な情勢中で難民キャンプで論文を書くには本当に中途半端な結末で終わってしまう可能性があると思います。

卒業目標年と資金
他のテーマでミャンマーのことを書くこともできたのですが、最初から自力でデータ収集しなければならず1年以上はデータ収集にかかることが予想されました。

いただいている給付の奨学金が3年間で終わってしまうので3年間で卒業するために現実的な方法を考える必要がありました。先生をハッピーにしながら3年以内で卒業するためにはベトナム移民について既存のデータを用い論文を書くことが一番無難な選択でした。

もともと日本にいるベトナム難民の友人に出会ったことがきっかけで難民関係の仕事をしたいと思うようになったので、ベトナム移民のことについて書くことも私のMissionには十分合うと思い、今はベトナム移民についてのプロポーザルを書いています。去年ベトナム移民コミュニティーでもお仕事をする機会があったのでご縁があったと思い頑張りたいと思います。
写真はこの冬にニューオーリンズ東部にあるベトナムコミュニティーを訪ねた時の写真です。

                ベトナムの新年祭にて


              ベトナムのカソリック教会にて








2016年5月25日水曜日

IYCFとは

最近全くブログを更新していませんでしたが元気です。渡米4年目にして初めて車を買いました。と言っても夫が乗りまわして私は運転ができないのですが、夫婦で車があると行動範囲が広がり便利でありがたいです。米国で車を買った経験や博士論文の準備について等をブログで書きたいなと思っているのですが、本日はIYCFのテーマで書こうと思います。

IYCF?私は今年になるまで恥ずかしながらこの単語を聞いたことがありませんでした。ちなみにYMCAとは関係ありません(汗)。

IYCFとはInfant Young Child Feeding(乳児の食事)についてです。母子保健の業界用語だと思います。UNICEFのホームページには詳しく説明されています。こちら→UNICEF IYCF

今Tulane大学とUNICEFエチオピア事務所が共同で行っているモニタリング評価プロジェクトのリサーチアシスタントして毎日働いているのですが、その内容がエチオピア郊外のIYCFの現状とニーズを評価するというものです。評価対象のある地域では子供の40%近くが栄養失調状態だったりとエチオピア飢饉の再来を思わせるような深刻な栄養問題を抱えている地域があります。

そのような地域で完全母乳(Exclusive breastfeeding)、 離乳食の開始(Complementary feeding)、お母さんとその家族がどのように赤ちゃんに食事を与えているか等などの調査内容を分析しています。

去年の末からずっと母子保健の仕事が立て続いており、IYCFは未知の世界でしたが(私には子供を育てた経験もないですし)興味深く事態の深刻さを痛感させられました。

干ばつで作物が取れない。貧しすぎて十分にお肉など高価な食べ物は買うことができない。水を汲みにロバに乗って4時間かけて川まで行く等など日本では考えられないようなことを仕事で学びました。

またお母さんや家族が生後6か月までの完全母乳の重要性をわかっておらず、赤ちゃんに水やジュースをあげてしまったり、食事の準備前の手洗いの実施等いろんなIYCFに関わるデータの分析をしています。

もともとHIVやTB(結核)の仕事に興味があったのですが、IYCFをはじめとした母子保健も大事でやりがいがある仕事だなと最近実感しました。

最後にエチオピアの栄養についてのビデオ。現地がどのような状況なのか痛いほどに伝わってきます。









2016年5月2日月曜日

総合試験合格

数日前に無事総合試験は合格!というメールを博士課程をコーディネートする教授からもらいました。私の博士課程同級生(アメリカ人、イラン人、バルべトス人、パキスタン人)も全員合格しました。みんなで1月から毎週勉強会を開き勉強しただけあってうれしいです。去年もおととしも私の学科内で試験に落ちている人がいるので、全員合格できてよかったです。

さてこの総合試験後は博士論文の提案書を提出しなければいけません。Prospectus Defenseというイベントが待っています。博士論文審査委員会の教授陣の前で口頭でどのような研究をするのか、手法、分析方法などを発表します。目標は今年7月までにそのProspectus Defenseを行うことができればと思っています。担当教授のマーク先生は「7月までにできないことはないと思うけど、アイコは野心的だ。」と言われましたが、来年の春に卒業するために歯を食いしばってでも新学期が来る前に終わらせようと思います。




2016年4月24日日曜日

総合試験終了

1カ月近くブログを更新していませんでした。先週4日間は博士課程の総合試験を受験し、その1カ月前は総合試験のために真剣に毎日勉強していました。

試験の結果は来週の木曜にでる予定ですが、合格してほしいです。試験勉強したため、そんなに試験自体は難しく感じませんでした。合格すればやっと博士論文に取りかかることができる予定です。アメリカの博士課程コースワークは2年。このコースワーク修了後の理解度を測るために総合試験があります。

今週一週間は試験後のため抜け殻のような1週間を過ごしてしまいました。やる気がでない。。。

来週の木曜の試験結果までまで気が気でなりません。試験の準備のために1か月間お休みをいただいていたリサーチアシスタントの仕事も開始します。今度も3人のお子さんがいる教授とともにUNICEFのエチオピアのモニタリングと評価の仕事です(乳児の栄養と医療サービスの普及率についてです)。6月半ばまでにレポートをまとめる予定です(早く働きはじめないとです)。

昨日からニューオーリンズではジャズフェスティバルが開催されました。5月の1日までほぼ10日間にわたり開催され、アメリカ全州あるいは世界からジャズを聴きにたくさんの人(おそらく何万人)がニューオーリンズを訪れます。私も昨日はじめてジャズフェスに行ってきました(総合試験お疲れさまということで師匠のマーク先生が無料のチケットをくれたのです。感謝涙)。生の野外演奏聴けて楽しかったです。ちなみにチケットは通常1日1名75ドルします。うーん、貧乏学生には高いお値段です。






2016年3月25日金曜日

難民になると決めた日

「私、卒業したら難民申請をしようと考えているんだ。」

同じ大学院で勉強しているA国出身の友達から衝撃的な事実を知りました。A国は長年内戦に苦しみ多くの難民を出しているイスラムの国です。首都でも頻繁にテロがあります。

「両親は(母国に)帰ってくるなと言っているの。そのほうが私の将来のためだって。」

友達の難民申請予定の話を聞いてから1週間も経たないうちに、イスラム国のベルギーテロのニュースがありました。

ベルギーで罪もない方々が犠牲なりご冥福をお祈りしたいと思うと同時に、シリアやイラクでは毎日のように爆弾テロで何千人もの命が犠牲になっていることを忘れてはならないと感じました。

メディアではベルギーやパリのテロに焦点があてられることが多いです。先進国で起こってしまった悲惨な出来事は実はイラクやシリアでは日常なのではと思います。私たちは問題の根源に目を向けるべきなのかもしれません。

下記のリンクはアルジャジーラのWebsiteでHead to Headというコーナーからの動画です。


ブッシュ政権時代に2003年よりイラクオペレーションに関わった政治家ポールブレーマーがインタービューに答えています。

ブッシュ政権のイラク進撃が今のイスラム国の結成につながったのではという内容です(イスラム国の約25%の兵士がサダムフセイン政権消失により職を失った元イラク兵士であるということを初めて知りました)。

日本ではこのようなニュースは報道されることは少ないと思うので、気になる方はぜひ視聴してほしいです。


2016年2月9日火曜日

12 Years a slave それでも夜は明ける

マルディグラス(謝肉祭)中に観たかった映画をみました。12 Years a slaveというタイトルの映画です。日本でもずっと前に公開されていて「それでも夜は明ける」というタイトルで観れます。



映画内容はアメリカの南北戦争が終わる前の1840年代の黒人奴隷についてです。映画は実話に基づくものです。

舞台のはじまりはニューヨークで自由黒人(奴隷ではなく一般人)として働いていた男性が突然誘拐され、ニューオーリンズで黒人奴隷として売り飛ばされるところから始まります。

ニューオーリンズ郊外にある綿農園などで強制労働をさせられた黒人奴隷。奴隷に対する雇用主の非情な暴言、暴力。画面に目を受けるのがとてもつらかったです。

私の仲の良い友達には黒人の友達もいるので、彼らがこの映画を観るのはどんな気持ちなんだろうかと考えさせられずにはいられませんでした。

ニューオーリンズの街は今だに黒人が住むエリア、白人が住むエリア、黒人が通う教会、白人が通う教会等と自然に分かれています(もちろん法律では決まっていません)。黒人のホームレスの数は圧倒的に多く、無職の黒人が多いです。1960年代までアメリカで差別は合法化されていたと思うので彼らは不利な立場から社会で共存しています。

人種問題に興味がある方、アメリカに留学する予定の学生さん、ニューオーリンズに観光に来られる方等にぜひみてもらいたい映画です。





2016年2月7日日曜日

今度の上司は3人の子育てをするママ

1月からカンボジアの母子保健サービスの利用状況とその妊産婦からみた財政的困難を評価するというプロジェクトでリサーチアシスタントとして働いています。プロジェクトは大学院の教授がコンサルタントして受けているプロジェクトでカンボジアの保健省、ケアインターナショナル、セーブザチルドレンなどの国際NGOが関わっています。

昨年関わっていたUNFPA(国連人口基金)のミレニアム開発目標評価プロジェクト(指標5の妊産婦の健康改善)は正式には終了したものの、まだ報告書の修正などに関わっています。本当に長いプロジェクト。偶然なのか私の最近の仕事内容は母子保健に関するものが多いです。

今回のブログは私の新しい上司であり、3人の子育てをする助教授について話をしたいと思います。

先生から3人の子ども(10歳、6歳、3歳)がいて家は本当大変なのよ~!と聞いたときはびっくりしました。30代前半に見えて私よりも小柄な先生(アメリカの白人女性にしたは珍しく155センチほどの身長)が3人のお子さんを育てる40歳のお母さんとは一緒に働くまで知らなかったからです。

先生のだすオーラがアジア人のようにおっとりしていて(小柄でカンボジアに4年住んでいたため?笑)、近づきやすく先生との会議のときには子育てと仕事の両立の大変さについて世間話をしたりています。たぶん私が家庭と仕事の両立をすることが大変だとわかっているためか、先生から

「Aiko-!今週の土曜日空いてたらレポートのまとめをしてほしいのだけど大丈夫?(月曜日にドナーへ提出予定)マルディグラス(謝肉祭)のパレード中にこんなお願いをしてごめんね。でも助けてくれたら本当に助かる!(←先週末も先生のプロジェクトレポートを急いで書いていました汗)」

などと休日にでも仕事を頼まれます。

先生のお子さんたちはきっとママとパパと土曜の昼パレード見に行きたいだろな(今ニューオーリンズは謝肉祭パレード真っ只中で来週火曜日まで毎日パレードです)。。。。よし!やりますか。。。と仕事を引き受け今日は土曜ですが一日報告書のまとめをしていました。

女性としてキャリアと育児を両立させようとしている上司は私のモデルにもなるし、応援したくもなります。

大学の学科内のフロアでは現在子育て中の女性教授陣ばかりです。私のオフィス前の先生は「搾乳中のためドアをノックしないでください」というプレートをかけて搾乳されています(10カ月の赤ちゃんがいるママ)。理解力がありサポートしてくれる旦那さんや家族の存在、ベビーシッターを雇うだけの経済力はこの両立に不可欠なものかもしれません。

ただ日本の大学院では育児と仕事を両立している女性の先生は少ないだろうなと考えられずにはいられないです。

今の先生も私の同じように30代前半で博士課程に進学し、勉強中に32歳、34歳と赤ちゃんを2人出産しました。

「博士課程に出産したほうがいいわよ~。フルタイムで働き始めたら産前、産後休暇取りづらくなるからね!」と今の上司に言われ、他の子持ちの女性教授陣にも言われました(笑)。

育児と仕事を両立している先生たち、大変なことは多いだろうけどかっこいいです。刺激になります。私のブログが今後マタニティーブログになることがあれば楽しいだろうな(今のところ予定はないですが汗)。

2016年1月29日金曜日

他人の研究を疑う

博士課程にきってもきれない文字。それは「研究」です。去年は主著として公衆衛生の分野では知られている英文学術雑誌に2本論文が投稿されました。内容はタイとミャンマー国境における結核対策と移民学校の予防接種についてです。

論文掲載以降、いくつか英文学術雑誌からReviewer(査読者)として論文を見てほしいと依頼があり、博士号もまだ取っていない身分で恐れ多いのですが最近Plos Oneという英文学術雑誌のReviewerをさせてもらう機会がありました。内容はタイ、ミャンマー国境に関するHIV予防問題でした。

Peer reviewed journals(論文審査のある専門誌)では大抵2名の査読者により論文が雑誌に掲載されるのに適しているのか、論文の審査をいろんな視点から行います(倫理、研究デザイン、複製など)。私がそのうちの1名になったのですが、他人の研究を評価したり訂正アドバイスをだすのはなかなか難しいです。私も以前2本の論文が掲載されるまで多大なコメントをReviewerからもらいとても勉強になりました(時にはきつい言葉で批判されるので落ち込みましたが)。

今回私がReviewerとして読ませてもらった論文に私は2-3ページに渡るコメントを提出しました。博士号を取得していない私でも指摘できる内容でした。査読のコメントを提出したあと、もう一人相方のReviewer(お互い匿名ですが)からのコメントも読めるのですが、相方のコメントはなんと1行のみでした。コメント内容は研究は首尾一貫しており掲載してもよいというものでした。

その1行のコメントを読んだあと、私は驚きを隠しきれず正直がっかりしました。
この論文、博士の学生でもわかるくらいすぐに世の中に出せるレベルではないのだと思うのですが。。。という言葉が私の初めの一言でした。

この経験で場合によってはReviewersの安易な判断次第で、掲載不適切な論文が掲載されたり、論文が修正されてから掲載されるべきだったのにそのまま掲載されてしまったりという事態が起こるのだなということを学びました(私が査読した論文は著者に修正してもらい、私と雑誌の編集者がOKと言わない限り論文が掲載されることはありません)。

きっと元理研の小保方さんがNatureという雑誌に掲載されのちに削除された論文も、もしかしたらReviewersとEditorがもっと徹底的にチェックしていれば、論文が掲載されることもなかったかもしれません。

社会科学の学者も科学者も人間だから間違いはします。もちろん論文を書く主著と共著が責任をもって雑誌に投稿することが第一ですが、Reviewersも学術雑誌に掲載するに値するかどうか判断する立場として責任は重いなと考えさせられました(間違った治療や公衆衛生の介入が広がってしまう前に)。











2016年1月19日火曜日

今年の抱負

先々週から学校が始まりました。これから博士課程2年目後半に入るのですが、今年は4月に博士号を取得できるかどうかという大事なテストがあります。アメリカでは博士論文の執筆の前にComprehensive Exam(総合試験)に合格しなければ博士論文を書く資格を与えてもらえません(この試験はQualifying Examとも呼ばれています)。

この試験は計4日間4つのセクションから構成される試験です。私の学科ではTake home examとして家で受験ができるのですが、ほかの学科では学内で受けることを条件としている学科もあります。

4つのセクションは国際保健に関わる研究デザイン、理論、分析方法及び私の専門(移住と健康)からなされます。4月の試験ですが試験範囲が膨大でなおかつ難解なため先週から試験勉強をはじめました。

私の学科では毎年5-6人の学生のうち1人が試験に落ちています。今年私がその5人のうちの1人にならないように真剣に勉強しなければいけません(本当に怖い)。

今学期は授業はなく(1単位だけ博士課程のセミナーがあるだけ)、この試験勉強に時間を費やす予定です。今リサーチアシスタントとして新しいプロジェクト(内容はカンボジアの母子保健サービス)で働いているのですが3月からお休みをいただき試験勉強のみになる予定です(そのくらい必死にしないと通らないと思われます)。

この試験が終われば、博士論文の研究提案書を提出し、今年後半は博士論文執筆に集中する予定です。まずは試験突破。猪突猛進でがり勉していこうと思います。

2016年1月1日金曜日

2015年の終わりに

アメリカはまだ2015年12月31日です。アジアをはじめとした他の国ではもう新年を迎えていますが、忘れないうちに2015年を振り返りたいと思います。

2015年は自分が計画していた以上にたくさんのこと(主にリサーチアシスタント)を挑戦することができました。チャンスを下さった周りの方々へ感謝の気持ちを忘れてはいけないなと振り返させられる一年でした。

たくさんのことに挑戦する一方で、仕事と勉強を両立させることが難しくなり、特に勉強の質が落ちてしまったことに気がつきました。このセメスター成績表ではB+のスコア結果になってしまったクラスがあり落ち込みました。来年4月に博士課程の総合試験があるため、来年の春までは仕事よりもこの試験に全力を注ぎたいと思います。B+を取ってしまったことは今後勉強に集中しなさいという警告として受け止めたいと思います。

来年も目の前にある課題を真摯に取り組み、丁寧に勉強また仕事(家庭も!)を両立させていけたらと思います。早く卒業して現場で仕事がしたいです。

それでは2015年も徒然なる私の日記を読んでいただきありがとうございます。皆様よいお年をお迎えください。

下記の写真はニューオーリンズにあるルーズベルトホテルで撮影しました。毎年クリスマスシーズンになるとクリスマスのイルミネーションをみにたくさんの観光客が集まります。