博士課程にきってもきれない文字。それは「研究」です。去年は主著として公衆衛生の分野では知られている英文学術雑誌に2本論文が投稿されました。内容はタイとミャンマー国境における結核対策と移民学校の予防接種についてです。
論文掲載以降、いくつか英文学術雑誌からReviewer(査読者)として論文を見てほしいと依頼があり、博士号もまだ取っていない身分で恐れ多いのですが最近Plos Oneという英文学術雑誌のReviewerをさせてもらう機会がありました。内容はタイ、ミャンマー国境に関するHIV予防問題でした。
Peer reviewed journals(論文審査のある専門誌)では大抵2名の査読者により論文が雑誌に掲載されるのに適しているのか、論文の審査をいろんな視点から行います(倫理、研究デザイン、複製など)。私がそのうちの1名になったのですが、他人の研究を評価したり訂正アドバイスをだすのはなかなか難しいです。私も以前2本の論文が掲載されるまで多大なコメントをReviewerからもらいとても勉強になりました(時にはきつい言葉で批判されるので落ち込みましたが)。
今回私がReviewerとして読ませてもらった論文に私は2-3ページに渡るコメントを提出しました。博士号を取得していない私でも指摘できる内容でした。査読のコメントを提出したあと、もう一人相方のReviewer(お互い匿名ですが)からのコメントも読めるのですが、相方のコメントはなんと1行のみでした。コメント内容は研究は首尾一貫しており掲載してもよいというものでした。
その1行のコメントを読んだあと、私は驚きを隠しきれず正直がっかりしました。
この論文、博士の学生でもわかるくらいすぐに世の中に出せるレベルではないのだと思うのですが。。。という言葉が私の初めの一言でした。
この経験で場合によってはReviewersの安易な判断次第で、掲載不適切な論文が掲載されたり、論文が修正されてから掲載されるべきだったのにそのまま掲載されてしまったりという事態が起こるのだなということを学びました(私が査読した論文は著者に修正してもらい、私と雑誌の編集者がOKと言わない限り論文が掲載されることはありません)。
きっと元理研の小保方さんがNatureという雑誌に掲載されのちに削除された論文も、もしかしたらReviewersとEditorがもっと徹底的にチェックしていれば、論文が掲載されることもなかったかもしれません。
社会科学の学者も科学者も人間だから間違いはします。もちろん論文を書く主著と共著が責任をもって雑誌に投稿することが第一ですが、Reviewersも学術雑誌に掲載するに値するかどうか判断する立場として責任は重いなと考えさせられました(間違った治療や公衆衛生の介入が広がってしまう前に)。
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