このProspectus Defenseを行う前に30ページ近くのプロポーザルを書き、博士論文審査委員会の長(私の場合はマーク先生)にOkを出してもらって、はじめてProspectus Defenseのプレゼンテーションの準備を進めることができます。
さて肝心の私の論文テーマはなんと「ハリケーンカトリーナ災害復興の軌跡:ベトナム移民における健康と医療アクセス」です。
こんなにミャンマーのことを長くやってきたのになぜにベトナム移民??と思う方もいるかもしれません。論文テーマを決めるのは苦渋の決断でした。
でも今となってはこの決断に間違いはなかったのではと思います。以下の内容はこれからPhDで博士論文の内容を決める方の参考になればなと思います。
①教授をハッピーにすること
博士論文を書くにあたって一番大事なのは論文審査委員会の長(私でいえばマーク先生)との人間関係です。ベトナム移民はマーク先生の専門分野。マーク先生はずっとわたしに彼のデータセット(2005年から2010年までのベトナム難民のコホートサンプル)を使い論文を書いたらいいのになと熱烈なアプローチをしてきました。
去年ハーバード大学とミシガン大学などとともにハリーケーンカトリーナに関するNIH(米国保健省)の1億円近い助成金を手にしたばかりの彼にはベトナム難民の論文本数を教え子が増やしてくれるのはもってこいだったのだと思います。
論文委員会の長との関係が悪く卒業まで困難を極めた学生さんたちを見てきたので、この教授をハッピーにするというポイントはとても大事です。
②論文のデータ収集を自力でできるのか?
先生のアプローチを断ってミャンマーの結核問題を書くことになれば先生は論文を見てくれるのか、卒業が遅くなるのではととても心配でした。先生は「アイコがミャンマーの難民キャンプの結核スクリーニングを書くことにしても読むよ。」と言ってくれたのですが、そこで大きな問題が発生しました。
去年夏に元職場の上司と面談したところ「難民キャンプの結核スクリーニングのための資金は半分しか得てない。」と言われました。これは困りました。半分しか難民キャンプの結核スクリーニングができないのではれば私の研究は中途半端なものとなってしまいます。これをマーク先生に話したところ「Risky!」と難民キャンプで論文を書くことを避けるようにアドバイスを受けました。
さらにミャンマーの難民の帰還が近々予想されているので、この不安定な情勢中で難民キャンプで論文を書くには本当に中途半端な結末で終わってしまう可能性があると思います。
③卒業目標年と資金
他のテーマでミャンマーのことを書くこともできたのですが、最初から自力でデータ収集しなければならず1年以上はデータ収集にかかることが予想されました。
いただいている給付の奨学金が3年間で終わってしまうので3年間で卒業するために現実的な方法を考える必要がありました。先生をハッピーにしながら3年以内で卒業するためにはベトナム移民について既存のデータを用い論文を書くことが一番無難な選択でした。
もともと日本にいるベトナム難民の友人に出会ったことがきっかけで難民関係の仕事をしたいと思うようになったので、ベトナム移民のことについて書くことも私のMissionには十分合うと思い、今はベトナム移民についてのプロポーザルを書いています。去年ベトナム移民コミュニティーでもお仕事をする機会があったのでご縁があったと思い頑張りたいと思います。
写真はこの冬にニューオーリンズ東部にあるベトナムコミュニティーを訪ねた時の写真です。
ベトナムの新年祭にて
ベトナムのカソリック教会にて
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