2017年12月18日月曜日

本当にさようなら、ニューオーリンズ

明日の夕方ニューオーリンズから旅立ちます。修士と博士課程合わせて4年半住んだニューオーリンズ。なんだか長編のハリウッド映画を観ていたような留学生活でした。例えてみれば映画フォレストガンプの一部を観ていたような感覚です。

担当教授のマーク先生をはじめとし、素晴らしい先生方、たくさんの友人たちにも恵まれ博士課程は毎日とても楽しかったです。博士課程は精神的に辛いよとよく経験された人が言いますが、辛い、やめたいと思ったのは一度もありませんでした。人間関係に悩むってことも一度もありませんでした。

ただマーク先生にサヨナラをいうことが一番切なく少し泣いてしまいました。先生も半泣きでした。学校以外のプライベートでも先生と先生の奥さんと一緒にご飯に行く機会が多く、家族ぐるみでピクニックに行ったり、野球観にいったり、カヌーに行ったりもしました。娘のように可愛がってもらい感謝しています。こんないい先生を指導教官として持てたことは私はとても恵まれていたのだなと思います。

自分の居心地のよい場所から新たな場所へ向かうのはエネルギーを使い、不安がつきまとうものです。「あなたにはそんなことできない。無理だ。」っていう人も現れるかもしれません。でも自分の人生を決めるのは自分次第。難しいことほど乗り越えたあとの爽快感や学んだことは言葉にできないほどの価値があるとこの大学院留学で実感しました。

卒業後は外務省から派遣されるJPO(ジュニアプロフェッショナルオフィサー)として1月末から移住の問題を専門に取り扱う国連機関で働くことが決まっています。勤務地は東南アジアです。難民、移民問題に関わる仕事に関わることができ、安堵していますがこれはまだ始まりにしか過ぎないと気持ちを引き締めていきたいと思います。国連での仕事を獲得するのが目的でなく、仕事で一人でも多くの難民また移民が健やかに暮らせるような世の中にすることが神様から与えられた私のミッションだと思っています。

次の現場での仕事に不安はありますが、ワクワクする気持ちでいっぱいです。

このブログは今日で終わりにしたいと思います。修士課程から始め長い間私の徒然日記にお付き合いいただきどうもありがとうございました。先生方、友人をはじめとし、理解ある夫や家族にも感謝しきれません。そしてさようなら私の大好きな街ニューオーリンズ。

Merry Christmas! Happy New Year!


 私のオフィスからみたニューオーリンズの景色




2017年12月16日土曜日

第二次世界大戦の博物館

残り3日でアメリカを去ります!信じられません。荷造まだ何もしてません。

ニューオーリンズを去る前にしなければいけないことの一つ、The National WW II Museum(第2次世界大戦博物館)に先日行ってきました。なぜかニューオーリンズにある博物館。ぜひ観光客の方にお勧めです。トリップアドバイザーでは米国の中で2番目に人気があり、世界では11位にランクするほど人気があるMuseumです。大きい博物館なので数時間ではとても見切れません。


博物館の入口。


博物館にあるRoad To Tokyo(東京への道)は日本人が絶対に見ておくべき展示です。

終戦する前にアメリカが太平洋(サイパン、ガダルカナルなど)の日本の旧植民地をどのように攻め、東南アジアを移動し、沖縄本土戦、東京大空襲、広島、長崎の原爆投下にいたったのか’、アメリカの視点から展示されています。日本では自分たちが受けた被害に焦点を当てがちですが、他者からみて日本がどのように残酷な植民地支配をしアメリカと戦ってきたかは知る価値があると思います。

またアメリカの中で難民生活を余技なくされたJapanese Americansの難民キャンプの資料なども展示されており、ビデオも観ることができます。

お勧めです!

2017年12月9日土曜日

アメリカの戦争

ニューオーリンズを去る日まで、あと残り10日間です。ニューオーリンズはここ数日寒く今日はついに雪が降りました!4年半ニューオーリンズに滞在し初めて雪をみました。アメリカ南部に寒波が到来し寒いです。

ここ一週間から旅立ちの日まで送別会続きです。今日は職場でランチ送別会があり教授や同僚、友人等を合わせて20人近くの方に博士号取得と就職決定のお祝いをしてもらいました。送別会後もあまり旅立つ実感はありませんが、たくさんの方に今まで支えられてきたことを改めて実感する送別会でした。

アメリカを去るので郷愁に浸ってみるのかと思いきや、本日はアメリカの戦争について語りたいと思います。1か月に1-2冊は本を読んでいます。11月末から今日まで読んでいた本が良書で今年私が読んだ中でベスト本だったと言っても過言ではありません。たまたま図書館で手に取ってあまり期待していない本だったので、買ってもう一度読もうか考えているところです。

タイトルは「The American War in Vietnam」(ベトナムであったアメリカ戦争)という本でCortlandにあるニューヨーク州立大学の名誉教授John Marcianoが著者です。



書籍は2012年5月オバマ前大統領のベトナムで亡くなったアメリカ軍兵の追悼する記念日を2025年の終戦50周年まで行いましょうという発表から始まります。それに対し著者は追悼記念日というのはおかしい、アメリカのベトナム戦争は国際犯罪なのではという投げかけからはじまります。

著者は第2次世界大戦後、ベトナムのフランス植民地独立運動からベトナム戦争終戦まで歴史的記録をアメリカのニュースやジャーナリストの記録だけでなく、ベトナム人、アメリカ軍兵、その他の国出身のジャーナリストの記録などなど様々なソースから分析しています。

現在アメリカが世界各地(特にイラク、アフガニスタンなど)で関わっている戦争もこのベトナム戦争と同じNoble Cause(崇高な理由)でいつも始まっていると見解しています(この点はこの本を読む前から私もずっと思っていました)。アメリカは世界警察かのように正義を訴え他の国の政治に絡み、ややこしくしている。戦争をすることで金儲けや政治家の思うようにしているということです。

フランスの植民地から独立直後、北ベトナムは1954年に共産主義の政党が政権を取ります。簡単に言えば共産主義はだめだ!ソ連や中国がついてバックについている。民主主義を進める南ベトナムを支援しようということからアメリカのベトナム戦争がはじまります。実は独立直後に他の国がベトナムの後ろについていた正確な記録はありません。また北ベトナムがアメリカの海軍を襲ってきたという理由に北ベトナムに戦争をしかけます。その北ベトナムが海軍を襲ったという記述も実は確かな記録が残っていません。

最終的には1954年から1975年までベトナム戦争が続き何百万人ものベトナム人が亡くなっています。およそ20年間の戦争中に南ベトナムを率いる政権が北ベトナムと和解し共産主義の国家として成立しようと会談を持ち掛けるも、アメリカが何度かその会談の機会を意図的につぶしています。

アメリカ兵が南ベトナムにあるMy Lai、立て続けにMy Kye村に住む何百人もの住民を虐殺したり、Agent Orangeという枯葉剤で400万人もの一般市民の健康に影響を与えたりしていたことなどはアメリカ本土ではあまり語られないと著者は訴えかけています。

興味深く一気に読みました。書きたいことがたくさんあり過ぎて書けませんが、一番印象に残っていることを最後に書きたいと思います。

ベトナム人で1973年に平和協定にサインし、後に教育大臣になったMandame Nguyen Thi Binhさんの意見書の中でベトナム人のアメリカに対する抵抗は理にかなったものだったと発言しています。なぜなら ベトナム人には他の国の仲介なしに自分の国の政治体制を選択する権利がある。アメリカはその権利を奪おうとしたので、抵抗せざるおえなかったと語っています。

書籍によるとアメリカは1776年から239年間のうち222年間戦争中であるということです(この戦争中のはアメリカ国内の内戦のみでなく、ベトナムやアフガニスタン、イラクなど様々な国で軍事介入を行った戦争を含みます)。

日本に帰る前にもう一冊読もうと思います。We crossed a bridge and it trembled: voices from Syriaという本です。著者であるノースウェスタン大学のWendy Pearlman先生の講演を聞き興味を持ち買いました。アマゾンレビューでもお勧めな本らしいです。


2017年11月25日土曜日

留学最後のThanksgiving

アジアへ戻るカウントダウンを毎日しています。残り25日を切りました。博士論文は学長室へ提出し、もう卒業することを待つだけです(ティーチングアシスタントやリサーチアシスタントしては最後の最後まで働きますが)。論文提出したらやる気がなくなってしまいました。ここ数日泥人形のように毎日10時間近く寝ています。Thanksgivingという感謝祭のため学校はお休み。昨日は教授の家と米国人の友人の家をはしごしてThanksgivingのブランチと夕食に参加してきました。Thanksgiving恒例の七面鳥を食べるのもこれが最後かと思うと寂しくなります。

タイ風の揚げバナナを作ってThanksgivingのブランチにもっていったのですが、好評で揚げバナナ全部なくなりました!

しかし、あと25日ぼーとしてたらあっという間に過ぎそうです。

友人や先生方に挨拶する以外で残りの滞在中にしなければいけないことは、買い物と車を売ることです。車を売る友人は決まっていますが、車を売る前に買い物を済ませねばと思います。1年半以上乗ったマイカーを手放すのは寂しい。

買い物は米国でしか売っていない歯が白くなる歯磨き粉や洋書などを買っていきたいと思います。日本のAmazonを通じて洋書を買うと高い。下のCrest 3DWhiteという歯磨き粉を日本で輸入で買うと50ドルくらいします。米国では13ドルくらいなのに。この歯磨き粉使い始めて歯が徐々に白くなった気がします。


私はあまりファッションブランドや化粧品に興味はないのですが、米国発のブランドもの(例えばCOACHとか)や化粧品はとても安いです。


2017年11月13日月曜日

論文の口頭試験に合格

金曜日に最終の論文口頭試験(Defense)を受け、無事に合格しました。Honors(優等)でパスしました。

論文の発表は30分だけなのですが、その後1時間もの質問を受けました。1時間の質問は博士論文審査委員会のメンバーからと一般聴講者からです。口頭試験には20人近くの人(友人とお世話になった先生方)がみに来てくれました。今まで参加した口頭試験でこんなに参加者が多いのは初めて見ました。思わず論文発表前に「私ってこんなに有名だったんですね。知りませんでした(笑)」と言ってしまいました。

1時間の口頭の質疑応答、本当に疲れました。途中で集中力がなくなりそうでした。予想もしなかった質問もたくさんあり焦りました。うまく答えられなかったなとも思ったりしていましたが、優等でパスすることができました。母国語が英語でない私でもよい結果を出すことができ光栄です。

合格発表後には職場の同僚、教授、友人などがサプライズケーキを用意してくれていて、みんなで一緒に食べました。ちょっと泣けそうでした。試験の前日は私の誕生日だったのです。恵まれた環境でたくさんの方に支えられてきたことを実感しました。



今週一週間は少しの論文を修正し、学校に提出して終わりです。12月末までに博士論文を学術雑誌に投稿することが目標です。正直もう論文みたくないけど。。。

明日は博士課程最後の講義です。博士課程になり毎学期2-3回、ゲストレクチャーとして講義をさせてもらっています。明日は修士1年生の学生さん向けに難民と健康についての授業を行う予定です。最後の講義気を抜かずに終えたいと思います。

そして残り1カ月のアメリカ滞在を楽しみたいと思います。

2017年10月15日日曜日

第28回 New Orleans Film Festival

今週と来週はニューオーリンズでフィルムフェスティバルが開催されています。アメリカ南部、ルイジアナ州、ニューオーリンズなどを題材にした作品が毎日のように上映されています。



今日ルイジアナ州のショートドキュメンタリーフィルム特集を観に行ってきました。題材の半分がニューオーリンズに住む難民、移民についてでとても興味深かったです。カンボジア難民でニューオーリンズ郊外で漁師として暮らしている人の話、イラク難民でニューオーリンズに渡り、他の難民の生活を手助けするNGOで働いている人の話、ニューオーリンズのベトナム難民、移民のコミュニティーがどのように形成され、ハリケーンカトリーナから復興したかという話などでした。

私は今大学院内にある避難民研究センターでリサーチアシスタントとして働いているのですが、センターの同僚で元ベトナム難民だったスタッフ(カム)がドキュメンタリーフィルムにでていてびっくりしました!彼女がこのフィルムフェスティバルについて教えてくれ観に行くことになったのですが予想外でした。

カムさんは6歳の時に両親とともにボートピープルして船に乗りフィリピンへ逃げました。彼女が作品の中で、両親と船で逃げたときに船に乗り遅れた人や共産党に見つかって殺されてしまった人たちの死体が海に浮かんでいたことを記憶しており、幼い頃はそのことを夢でみて怖くて仕方がなかったと訴えていました。

普段とても明るいカムさんからそのような話を聞いたことがなかったので、とても衝撃的でした。

この作品ではないのですがニューオリンズでベトナム移民の方々と仕事をしているときに、船に逃げた時に船の中に食べ物がなくて6か月の赤ちゃんを餓死で亡くしたお母さんの話を聞きました。その話は今でも忘れることができません。

ニューオリンズには世界各地から来たたくさんの難民が住んでいます。シリア、ホンジュラス、イラク、アフガニスタン、ミャンマー、カンボジア、ベトナム等から難民を経験した方々がニューオリンズにいる今もなお、心に傷を負っているかもしれないことを考えるドキュメンタリーフィルムでした。


2017年9月25日月曜日

米国生活残り3か月

ブログを長らく更新してませんでしたが、無事に生きています。新学期が始まりドタバタしていたらあっという間に9月下旬になっていました。

アメリカでの生活も残り3か月を切りました。早速12月のアジアに帰る航空券を買ってしまいました。ミャンマーによって日本へ帰国する予定です。まだ論文審査委員会の先生方全員からはOKをいただいていないのですが、おそらく11月上旬に博士論文の口頭審査試験を受ける予定です。この審査に通れば晴れて12月に卒業です。卒業登録願いも先月提出しました。この口頭審査試験は大学院の誰でも出席することができ、私の友人や他の教授もおそらく見に来ることかと思います。

そしてこの夏にひっそり行っていた就活が実を結び、来年冬からの就職先がほぼ決まりそうです。この夏ニューヨークで面接を受けていました。就職先は私の大好きな東南アジアになりそうです。また就職内容については後日正式に決まれば書きたいと思います。就職の見込みが決まるとあまり期待していなかったので、よいお知らせをいただいたときは嬉しくて信じられませんでした。

マーク先生は私が卒業することについて、とても寂しそうですが(周りの人に悲しいと言っているそうです)、就職がほぼ決まったことより12月末までに私を卒業させねばとサポートしてくれています。ありがたい。

修士課程と博士課程合わせて5年近くいたアメリカからあと3か月でお別れとは未だに想像がつきません。タイやミャンマーで過ごした3,4年間と同じように数えきれないほどのことをここで学びました。国際社会で生きていくうえでのたくましさを培ったのが一番の成長かなと思います。アジア文化では敬遠されがちですが、Assertiveになったと思います。


こんなきれいなミシシッピ川の夕日を見ることができるのはあとわずか。悔いのない充実した3か月間を過ごしたいと思います。