2017年12月18日月曜日

本当にさようなら、ニューオーリンズ

明日の夕方ニューオーリンズから旅立ちます。修士と博士課程合わせて4年半住んだニューオーリンズ。なんだか長編のハリウッド映画を観ていたような留学生活でした。例えてみれば映画フォレストガンプの一部を観ていたような感覚です。

担当教授のマーク先生をはじめとし、素晴らしい先生方、たくさんの友人たちにも恵まれ博士課程は毎日とても楽しかったです。博士課程は精神的に辛いよとよく経験された人が言いますが、辛い、やめたいと思ったのは一度もありませんでした。人間関係に悩むってことも一度もありませんでした。

ただマーク先生にサヨナラをいうことが一番切なく少し泣いてしまいました。先生も半泣きでした。学校以外のプライベートでも先生と先生の奥さんと一緒にご飯に行く機会が多く、家族ぐるみでピクニックに行ったり、野球観にいったり、カヌーに行ったりもしました。娘のように可愛がってもらい感謝しています。こんないい先生を指導教官として持てたことは私はとても恵まれていたのだなと思います。

自分の居心地のよい場所から新たな場所へ向かうのはエネルギーを使い、不安がつきまとうものです。「あなたにはそんなことできない。無理だ。」っていう人も現れるかもしれません。でも自分の人生を決めるのは自分次第。難しいことほど乗り越えたあとの爽快感や学んだことは言葉にできないほどの価値があるとこの大学院留学で実感しました。

卒業後は外務省から派遣されるJPO(ジュニアプロフェッショナルオフィサー)として1月末から移住の問題を専門に取り扱う国連機関で働くことが決まっています。勤務地は東南アジアです。難民、移民問題に関わる仕事に関わることができ、安堵していますがこれはまだ始まりにしか過ぎないと気持ちを引き締めていきたいと思います。国連での仕事を獲得するのが目的でなく、仕事で一人でも多くの難民また移民が健やかに暮らせるような世の中にすることが神様から与えられた私のミッションだと思っています。

次の現場での仕事に不安はありますが、ワクワクする気持ちでいっぱいです。

このブログは今日で終わりにしたいと思います。修士課程から始め長い間私の徒然日記にお付き合いいただきどうもありがとうございました。先生方、友人をはじめとし、理解ある夫や家族にも感謝しきれません。そしてさようなら私の大好きな街ニューオーリンズ。

Merry Christmas! Happy New Year!


 私のオフィスからみたニューオーリンズの景色




2017年12月16日土曜日

第二次世界大戦の博物館

残り3日でアメリカを去ります!信じられません。荷造まだ何もしてません。

ニューオーリンズを去る前にしなければいけないことの一つ、The National WW II Museum(第2次世界大戦博物館)に先日行ってきました。なぜかニューオーリンズにある博物館。ぜひ観光客の方にお勧めです。トリップアドバイザーでは米国の中で2番目に人気があり、世界では11位にランクするほど人気があるMuseumです。大きい博物館なので数時間ではとても見切れません。


博物館の入口。


博物館にあるRoad To Tokyo(東京への道)は日本人が絶対に見ておくべき展示です。

終戦する前にアメリカが太平洋(サイパン、ガダルカナルなど)の日本の旧植民地をどのように攻め、東南アジアを移動し、沖縄本土戦、東京大空襲、広島、長崎の原爆投下にいたったのか’、アメリカの視点から展示されています。日本では自分たちが受けた被害に焦点を当てがちですが、他者からみて日本がどのように残酷な植民地支配をしアメリカと戦ってきたかは知る価値があると思います。

またアメリカの中で難民生活を余技なくされたJapanese Americansの難民キャンプの資料なども展示されており、ビデオも観ることができます。

お勧めです!

2017年12月9日土曜日

アメリカの戦争

ニューオーリンズを去る日まで、あと残り10日間です。ニューオーリンズはここ数日寒く今日はついに雪が降りました!4年半ニューオーリンズに滞在し初めて雪をみました。アメリカ南部に寒波が到来し寒いです。

ここ一週間から旅立ちの日まで送別会続きです。今日は職場でランチ送別会があり教授や同僚、友人等を合わせて20人近くの方に博士号取得と就職決定のお祝いをしてもらいました。送別会後もあまり旅立つ実感はありませんが、たくさんの方に今まで支えられてきたことを改めて実感する送別会でした。

アメリカを去るので郷愁に浸ってみるのかと思いきや、本日はアメリカの戦争について語りたいと思います。1か月に1-2冊は本を読んでいます。11月末から今日まで読んでいた本が良書で今年私が読んだ中でベスト本だったと言っても過言ではありません。たまたま図書館で手に取ってあまり期待していない本だったので、買ってもう一度読もうか考えているところです。

タイトルは「The American War in Vietnam」(ベトナムであったアメリカ戦争)という本でCortlandにあるニューヨーク州立大学の名誉教授John Marcianoが著者です。



書籍は2012年5月オバマ前大統領のベトナムで亡くなったアメリカ軍兵の追悼する記念日を2025年の終戦50周年まで行いましょうという発表から始まります。それに対し著者は追悼記念日というのはおかしい、アメリカのベトナム戦争は国際犯罪なのではという投げかけからはじまります。

著者は第2次世界大戦後、ベトナムのフランス植民地独立運動からベトナム戦争終戦まで歴史的記録をアメリカのニュースやジャーナリストの記録だけでなく、ベトナム人、アメリカ軍兵、その他の国出身のジャーナリストの記録などなど様々なソースから分析しています。

現在アメリカが世界各地(特にイラク、アフガニスタンなど)で関わっている戦争もこのベトナム戦争と同じNoble Cause(崇高な理由)でいつも始まっていると見解しています(この点はこの本を読む前から私もずっと思っていました)。アメリカは世界警察かのように正義を訴え他の国の政治に絡み、ややこしくしている。戦争をすることで金儲けや政治家の思うようにしているということです。

フランスの植民地から独立直後、北ベトナムは1954年に共産主義の政党が政権を取ります。簡単に言えば共産主義はだめだ!ソ連や中国がついてバックについている。民主主義を進める南ベトナムを支援しようということからアメリカのベトナム戦争がはじまります。実は独立直後に他の国がベトナムの後ろについていた正確な記録はありません。また北ベトナムがアメリカの海軍を襲ってきたという理由に北ベトナムに戦争をしかけます。その北ベトナムが海軍を襲ったという記述も実は確かな記録が残っていません。

最終的には1954年から1975年までベトナム戦争が続き何百万人ものベトナム人が亡くなっています。およそ20年間の戦争中に南ベトナムを率いる政権が北ベトナムと和解し共産主義の国家として成立しようと会談を持ち掛けるも、アメリカが何度かその会談の機会を意図的につぶしています。

アメリカ兵が南ベトナムにあるMy Lai、立て続けにMy Kye村に住む何百人もの住民を虐殺したり、Agent Orangeという枯葉剤で400万人もの一般市民の健康に影響を与えたりしていたことなどはアメリカ本土ではあまり語られないと著者は訴えかけています。

興味深く一気に読みました。書きたいことがたくさんあり過ぎて書けませんが、一番印象に残っていることを最後に書きたいと思います。

ベトナム人で1973年に平和協定にサインし、後に教育大臣になったMandame Nguyen Thi Binhさんの意見書の中でベトナム人のアメリカに対する抵抗は理にかなったものだったと発言しています。なぜなら ベトナム人には他の国の仲介なしに自分の国の政治体制を選択する権利がある。アメリカはその権利を奪おうとしたので、抵抗せざるおえなかったと語っています。

書籍によるとアメリカは1776年から239年間のうち222年間戦争中であるということです(この戦争中のはアメリカ国内の内戦のみでなく、ベトナムやアフガニスタン、イラクなど様々な国で軍事介入を行った戦争を含みます)。

日本に帰る前にもう一冊読もうと思います。We crossed a bridge and it trembled: voices from Syriaという本です。著者であるノースウェスタン大学のWendy Pearlman先生の講演を聞き興味を持ち買いました。アマゾンレビューでもお勧めな本らしいです。


2017年11月25日土曜日

留学最後のThanksgiving

アジアへ戻るカウントダウンを毎日しています。残り25日を切りました。博士論文は学長室へ提出し、もう卒業することを待つだけです(ティーチングアシスタントやリサーチアシスタントしては最後の最後まで働きますが)。論文提出したらやる気がなくなってしまいました。ここ数日泥人形のように毎日10時間近く寝ています。Thanksgivingという感謝祭のため学校はお休み。昨日は教授の家と米国人の友人の家をはしごしてThanksgivingのブランチと夕食に参加してきました。Thanksgiving恒例の七面鳥を食べるのもこれが最後かと思うと寂しくなります。

タイ風の揚げバナナを作ってThanksgivingのブランチにもっていったのですが、好評で揚げバナナ全部なくなりました!

しかし、あと25日ぼーとしてたらあっという間に過ぎそうです。

友人や先生方に挨拶する以外で残りの滞在中にしなければいけないことは、買い物と車を売ることです。車を売る友人は決まっていますが、車を売る前に買い物を済ませねばと思います。1年半以上乗ったマイカーを手放すのは寂しい。

買い物は米国でしか売っていない歯が白くなる歯磨き粉や洋書などを買っていきたいと思います。日本のAmazonを通じて洋書を買うと高い。下のCrest 3DWhiteという歯磨き粉を日本で輸入で買うと50ドルくらいします。米国では13ドルくらいなのに。この歯磨き粉使い始めて歯が徐々に白くなった気がします。


私はあまりファッションブランドや化粧品に興味はないのですが、米国発のブランドもの(例えばCOACHとか)や化粧品はとても安いです。


2017年11月13日月曜日

論文の口頭試験に合格

金曜日に最終の論文口頭試験(Defense)を受け、無事に合格しました。Honors(優等)でパスしました。

論文の発表は30分だけなのですが、その後1時間もの質問を受けました。1時間の質問は博士論文審査委員会のメンバーからと一般聴講者からです。口頭試験には20人近くの人(友人とお世話になった先生方)がみに来てくれました。今まで参加した口頭試験でこんなに参加者が多いのは初めて見ました。思わず論文発表前に「私ってこんなに有名だったんですね。知りませんでした(笑)」と言ってしまいました。

1時間の口頭の質疑応答、本当に疲れました。途中で集中力がなくなりそうでした。予想もしなかった質問もたくさんあり焦りました。うまく答えられなかったなとも思ったりしていましたが、優等でパスすることができました。母国語が英語でない私でもよい結果を出すことができ光栄です。

合格発表後には職場の同僚、教授、友人などがサプライズケーキを用意してくれていて、みんなで一緒に食べました。ちょっと泣けそうでした。試験の前日は私の誕生日だったのです。恵まれた環境でたくさんの方に支えられてきたことを実感しました。



今週一週間は少しの論文を修正し、学校に提出して終わりです。12月末までに博士論文を学術雑誌に投稿することが目標です。正直もう論文みたくないけど。。。

明日は博士課程最後の講義です。博士課程になり毎学期2-3回、ゲストレクチャーとして講義をさせてもらっています。明日は修士1年生の学生さん向けに難民と健康についての授業を行う予定です。最後の講義気を抜かずに終えたいと思います。

そして残り1カ月のアメリカ滞在を楽しみたいと思います。

2017年10月15日日曜日

第28回 New Orleans Film Festival

今週と来週はニューオーリンズでフィルムフェスティバルが開催されています。アメリカ南部、ルイジアナ州、ニューオーリンズなどを題材にした作品が毎日のように上映されています。



今日ルイジアナ州のショートドキュメンタリーフィルム特集を観に行ってきました。題材の半分がニューオーリンズに住む難民、移民についてでとても興味深かったです。カンボジア難民でニューオーリンズ郊外で漁師として暮らしている人の話、イラク難民でニューオーリンズに渡り、他の難民の生活を手助けするNGOで働いている人の話、ニューオーリンズのベトナム難民、移民のコミュニティーがどのように形成され、ハリケーンカトリーナから復興したかという話などでした。

私は今大学院内にある避難民研究センターでリサーチアシスタントとして働いているのですが、センターの同僚で元ベトナム難民だったスタッフ(カム)がドキュメンタリーフィルムにでていてびっくりしました!彼女がこのフィルムフェスティバルについて教えてくれ観に行くことになったのですが予想外でした。

カムさんは6歳の時に両親とともにボートピープルして船に乗りフィリピンへ逃げました。彼女が作品の中で、両親と船で逃げたときに船に乗り遅れた人や共産党に見つかって殺されてしまった人たちの死体が海に浮かんでいたことを記憶しており、幼い頃はそのことを夢でみて怖くて仕方がなかったと訴えていました。

普段とても明るいカムさんからそのような話を聞いたことがなかったので、とても衝撃的でした。

この作品ではないのですがニューオリンズでベトナム移民の方々と仕事をしているときに、船に逃げた時に船の中に食べ物がなくて6か月の赤ちゃんを餓死で亡くしたお母さんの話を聞きました。その話は今でも忘れることができません。

ニューオリンズには世界各地から来たたくさんの難民が住んでいます。シリア、ホンジュラス、イラク、アフガニスタン、ミャンマー、カンボジア、ベトナム等から難民を経験した方々がニューオリンズにいる今もなお、心に傷を負っているかもしれないことを考えるドキュメンタリーフィルムでした。


2017年9月25日月曜日

米国生活残り3か月

ブログを長らく更新してませんでしたが、無事に生きています。新学期が始まりドタバタしていたらあっという間に9月下旬になっていました。

アメリカでの生活も残り3か月を切りました。早速12月のアジアに帰る航空券を買ってしまいました。ミャンマーによって日本へ帰国する予定です。まだ論文審査委員会の先生方全員からはOKをいただいていないのですが、おそらく11月上旬に博士論文の口頭審査試験を受ける予定です。この審査に通れば晴れて12月に卒業です。卒業登録願いも先月提出しました。この口頭審査試験は大学院の誰でも出席することができ、私の友人や他の教授もおそらく見に来ることかと思います。

そしてこの夏にひっそり行っていた就活が実を結び、来年冬からの就職先がほぼ決まりそうです。この夏ニューヨークで面接を受けていました。就職先は私の大好きな東南アジアになりそうです。また就職内容については後日正式に決まれば書きたいと思います。就職の見込みが決まるとあまり期待していなかったので、よいお知らせをいただいたときは嬉しくて信じられませんでした。

マーク先生は私が卒業することについて、とても寂しそうですが(周りの人に悲しいと言っているそうです)、就職がほぼ決まったことより12月末までに私を卒業させねばとサポートしてくれています。ありがたい。

修士課程と博士課程合わせて5年近くいたアメリカからあと3か月でお別れとは未だに想像がつきません。タイやミャンマーで過ごした3,4年間と同じように数えきれないほどのことをここで学びました。国際社会で生きていくうえでのたくましさを培ったのが一番の成長かなと思います。アジア文化では敬遠されがちですが、Assertiveになったと思います。


こんなきれいなミシシッピ川の夕日を見ることができるのはあとわずか。悔いのない充実した3か月間を過ごしたいと思います。




2017年8月19日土曜日

20代をどう生きるか

もうすぐで秋学期が始まります。秋学期でティーチングアシスタント(TA)として2つのコースをもつ予定です。その1つのコースはCapstoneコースと言い、MPH学生(特に国際保健の仕事をしたい学生)の就職活動を準備するコースです。履歴書、カバーレター作成方法、面接の準備、途上国での生活、仕事と家族などのバランスのとり方などを教えるクラスです。私がこのようなコースのTAになり、MPH学生の就職活動をサポートするとは思ってもみませんでした。コースの中で私は途上国での生活について講義をする予定です。

就活中の私としてもなんてタイムリーなコースだと思っています(笑)。

コースの中でMPHの学生が読まなけばいけいない読み物としてThe Defining Decade:Why Your Twenties Matter--And How to Make the Most of Them Nowという書籍があてられています。秋学期が始まる前に読もうと思い面白くて数日で読みました。著者(Dr. Meg Jay)はTEDトークでもプレゼンをした有名なカウンセラーの先生です。

簡単に内容を言うと20代で培うことが今後の人生を左右するということです。研究によると20代の経験が人格形成の8割に影響を与えるそうです。何の目的なく人生を歩むのではなく、20代のうちに目標に向かって何か新しいことに経験したり、勉強したり、配偶者をみつけたり意義のあることをしようということです。著者は仕事、恋愛、健康(高齢出産のことも)などの分野に分けて20代ですべきことを著者の患者のストーリーを通じて書いています。20代、30代にとっても良書だと思います。

ぜひ著者のTEDトークみてください。日本語の字幕のTEDトークはこちら








2017年7月20日木曜日

PhD学生の就職探し

長らくブログを更新しませんでした。元気です。特に変わったことなく、毎日博士論文を書き、リサーチアシスタントとしてもくもくと働く日々が続いていました。博士論文は最終章を書いており、あと2,3ページを書き加えて、論文書きを終了します。あとは博士論文審査委員会の議長、マーク先生をはじめとし、その他の教授にみてもらうのみ。

何事もなければ秋セメスターに博士論文の口頭審査を終えて卒業する予定です。卒業が待ち遠しいです。3年ちょっとで卒業なら予定より少し長い期間でしたが、平均博士課程の在籍より短いです。平均は5年です。

夏から年末にかけて就職活動をしていくつもりです。私はPhDの学生にとって異色な非学術の世界で就職活動をしたいと思っています。就職先としては国際機関や国際NGOです。タイにあるメータオクリニックみたいな地域に根差した場所で仕事をするのは楽しいですが、PhDはそのような組織には不要です。そして安月給で家族を養っていくことは不可能です。

高学歴すぎになるし、できれば難民や移民の人たちがどのようにしたら医療機関に受診しやすくなるか政策レベルで考え、時々フィールドにでかけて調査するかんじで働きたいと思っています。メータオのような草の根の組織はとても重要なのですが、政策レベルで働きかけないと難民、移民の健康問題の根本的な問題は変わりません。例えばパスポートもワークパーミットもない難民、移民が保護国で医療保険なしに医療機関の受診をし、強制送還されないためにはどうするか等を考える仕事につきたいです。

一方でPhD卒業後多くの学生がポスドク研究員や助教授として大学で就職します。周りが大学で就職する人が多いので大学で就職しなければいけないのかしらという気にかられますが、流されないように気をつけています。同じPhD課程で勉強する友人から米国の大学で働く人ようの指南書をかり、読みました。もしアメリカでPhDを取得し、アメリカの大学で就職したい人にはお勧めの本です(The Professor Is In) 。



興味深く読みましたがアメリカの学術の世界で活躍するなんて私には到底無理だわと思いました。学術論文の投稿から助成金獲得まで翻弄される生活なんで無理です。

夏休みがあと1か月少しで終わります。残りの学生生活を悔いのないように過ごしたいと思います。

2017年5月7日日曜日

PhDのABDとは

分析が終わり、博士論文の結果を書いています。論文を書きながらリサーチアシスタントとして2つのプロジェクトに関わっているので毎日慌ただしいです。

1つはマーク先生のハリケーンカトリーナに関連したベトナム移民のプロジェクトでデータコレクション(インタービュー)やデータマネージメントに関わる仕事です。同じプロジェクトで働く助教の先生が育児休暇を2か月取りはじめたので彼の仕事を私が代行でやっています(ちなみに働く男性が育休を取るのが当たり前になっているアメリカはすごい!)。

もうひとつは大学院の先生とともにUNAIDS(国連連合エイズ合同計画)のコンサルの仕事をしています。モロッコに住む女性のセックスワーカーについてのプロジェクトなのですが最近している仕事の中で最も面白いプロジェクトです。どっちの仕事の内容もまた時間があるときにブログに書ければと思います。

今日のテーマはPhD課程のABDについてです。PhDの学生にはABDと呼ばれるステータスにいる人がたくさんいます。私もその一人です。ABDとはAll but dissertationという略語でコースワークと総合試験は終了したけど博士論文は書き終えていない人たちのことを指します。ABD期間に論文を書くのが嫌になり鬱になる人結構います。

ABDの期間が長くなり、なかなか卒業できない人たちの原因は
①パートタイムやフルタイムワーカーとして仕事をしながら論文を書くのが難しい。
②論文を書いた経験がなく時間がかかる。または論文のテーマが決まらない。変更した。論文に取り掛かるまでの時間が長い。
③データコレクションを自分で行わなればならない。倫理委員会の審査、データコレクションのための資金確保など時間がかかる。
④わざとABD期間を延ばす。その間に博士論文以外の論文を執筆し学術雑誌に投稿する。功績が次の就職活動につながる。
⑤出産をし育児をしながら論文書きが難しい。
⑥博士論文審査委員会のメンバーが論文を読んでくれない。読むのが遅い。

などなど挙げればきりがないのですが⑥は列挙した中でも、深刻な原因で多くのPhDの学生が頭を抱えているのをみてきました。正直に言うとマーク先生は⑥の読むのが遅い教授に入ると思います。そのことを知っているので他の人に比べてかなり早い時期から論文に取り掛かり、今のところ同期の中では私が一番卒業に近いと考えられます。ただしブログに以前登場したパキスタン人の友人は今年の3月記録的な早さ(3年未満)でPhDを卒業しました。彼はものすごく頭がいいのと、お子さん2人と奥さんが故郷で待っていることもありかなり頑張って先生の協力も得、卒業しました。

同じくマーク先生を審査委員会に持つPhD5年目の友人がいるのですが、この5月に卒業ができなくかなり落ち込んでいます。マーク先生、早く彼女の論文を読んで卒業させてあげて!と思うのですが卒業の目途はたっていません。恐ろしや。彼女は論文の取り掛かりが遅かったので卒業が延び延びになってしまいました。

読むのは遅いけど私の場合はマーク先生が私の教授でよかったと思います。移民の勉強をするのは大学院ではこの先生しか思い浮かばないし、放任主義の教授ではないし、学生を大切にしてくれる。几帳面であとは相性が合います。Disorganizedの先生にあたるほうが嫌です。

博士論文にしっかりと目を通すこともなく卒業させる教授も中にはいたりしてびっくりするのですが、教授選びはPhD取得までの運命を左右するといっても過言ではありません。今からPhDで勉強する方、教授選びを慎重にしましょう。

最後にアメリカのPhD学生なら誰でもが知っていると思われるPHDcomicsより漫画です。この漫画に登場する学生の気持ちがよくわかる!




2017年4月16日日曜日

奴隷について考える

気がつけば4月も半ば。ティーチングアシスタントやリサーチアシスタントの仕事でとても忙しく過ごしていました。今年の夏か年末までに卒業を考えています。博士論文は分析が終わり、結果と考察を書いている最中です。就職が決定してから卒業しようと計画しています。

卒業でニューオーリンズを去る前に今まで行ったことのなかった動物園に行ったり、ミュージアムに行ったりしています。

今日はWhitney Plantationを訪問しました。車で1時間ほどのニューオーリンズの郊外にあります。プランテーション(大農園)はアメリカにおける奴隷の歴史を学ぶ上で重要な場所です。以前のブログ(12 Years a slave それでも夜は明ける)でプランテーションで働く奴隷についての映画をみたことを書いています。映画を観た後からずっとこのWhitney Plantationを訪問したいと考えていました。

本日訪問したプランテーションの奴隷の多くはアフリカのセネガルから連れられてきた人々です。ニューオーリンスの港で売り買いをされ、このプランテーションで強制労働させられることになった奴隷の家やオーナーの家などを見ることができました。ツアーガイドさんがとても熱心に勉強されている方で奴隷がどのように生活してきたのかなども詳しく話を聞くことができました。

アメリカにはたくさんのプランテーションがあり美しいプランテーションオーナーの家をミュージアムのように一般公開しているのですが、驚くべきことに全米でこのWhitney Plantationのみが奴隷問題に焦点をあて奴隷の家や牢屋などを公開しています。このWhitney Plantationがミュージアムとしてオープンしたのは2014年12月。とても最近のことです。

 Whitney Plantationのオーナーの家。17世紀に来たドイツ人移民一家だそうです。

奴隷たちが暮らしていた小屋の近く

 奴隷の家入口

奴隷の小屋の中(とても狭くベッドとテーブルぐらいしか入りません)

奴隷の牢屋。奴隷が売られる前にニューオーリンズの港で使われたり、プランテーションの中でも脱走した奴隷を閉じ込めるためになどとして使われたそうです。服もなく裸で動物のように扱われたとガイドさんが語っていました。

プランテーションの中で若くてかわいい奴隷の女の子たちはきれいな服を身に着け、オーナーの家で過ごすことができたものの、オーナーやその訪問者たちの性のおもちゃとして扱われたと説明されました(まるでみた映画の内容そのもの)。

最後の写真は衝撃的で少し閲覧注意です。ニューオーリンズ郊外で脱走し蜂起をたくらんだ200人近くの奴隷が警察やオーナーによって斬首された事件があったそうです。そのメモリアル像たちです。怖い。。。


同じ人間が行ったとは思えない奴隷制度。今では考えられません。アメリカに長年住んでいるとよくわかるのですが白人と黒人の貧富の差は目でみても明らかです。奴隷制度が廃止されても読み書きも何もできなかった奴隷達が白人と同じように人生を再スタートしても、白人には追いつきようがありません。

一日訪問してたくさんのことを考えさせられました。今からニューオーリンズに訪問される方にはこのWhitney Plantationの訪問をお勧めしたいと思います。

2017年3月12日日曜日

学校、職場での搾乳について考える

国際女性の日に大学院で、母乳で育てるお母さんの搾乳について考えるというセミナーがありました。社会学部の教授の研究プレゼンだったのですが、このセミナーに参加するまで搾乳についてじっくり考えたことはありませんでした。

そのセミナーの大きなテーマは搾乳をしているお母さんの思いというものでした。
研究の対象になったのはチュレーン大学内で働く教授、スタッフ、勉強する学生の中で赤ちゃんを完全母乳で育てるために学内で搾乳をしている方々(30名ほど)です。

ここでなぜ完全母乳と搾乳が関係があるか説明します。

多くの方がご存知のように国際保健機関では生後6か月まで赤ちゃんを母乳のみで育てることを推奨しています。これを完全母乳といいます(略して完母)。母乳にはたくさんの栄養や病気を防ぐための抗体が含まれているためです。6か月以降も離乳食を導入し、可能であれば2歳くらいまで母乳を推奨している国が多いです(以前投稿したIYCFのブログをご覧のとおり、赤ちゃんと乳児の栄養についてリサーチアシスタントして研究をしてきたのでこの分野は人より詳しいです)。

その完母を続けるにあたり、働くお母さんたちは職場や学校で一定時間を空けて搾乳をする場合が多いです。胸が母乳で張ることや搾乳し続けなければ母乳が止まっていまい完母ができなくなることがあります。

話の内容をもとに戻します。今の大学では6週間の産後休暇が一般的で、職場に復帰し搾乳をする方がたくさんいます。大学には10数か所以上Lactationルームと呼ばれる母乳の部屋が設置されています。赤ちゃんに母乳をあげたり、搾乳ができる部屋です。

そのLactationルームや職場のオフィスで搾乳をすることをどう思うかが研究内容だったのですが、インタビューに答えた多くのお母さんが赤ちゃんのために搾乳することは使命であるし最低1年を続けることが私のゴールであるという声が多数でした。搾乳は苦痛ではないという人がいた一方で、うまく搾乳ができない、ストレスという負の意見もあり研究のインタービュー中に泣き崩れてしまうお母さんが結構いたそうです。

印象だったのは6か月の赤ちゃんを育てる医学生のお母さんは病院実習中に時間通りうまく搾乳できず、指導者の医師に搾乳したいと言えずどうしたらいいのかわからないと泣き出したという話でした。

気がつけば私の仲がよいPhDの同期もみんなで総合試験の勉強中搾乳をしによく席を外していたなと思います。タイの研究所でもオランダ人同僚の医師は難民キャンプで堂々と搾乳していました。

ふと考えてみたのが日本では搾乳って一般的なのかどうか。

赤ちゃんを育てる日本居住する数名の友人のうち、全員6か月以上の育休をとっているか職場を退職しています。子どもが1,2歳になりパートで復帰というパターンが結構多いです。おそらく私の友人たちは職場などで搾乳したことはないと思います。そして私の中で日本でLactation Roomがある企業ってどのくらいあるのか疑問です。

もう5年以上前になりますが少なくとも今まで勤めた病院にはLactation Roomなんてなかったような気がします。気になって日本語でインターネットでも”職場での搾乳”について検索した結果、職場で搾乳専用の部屋がない、上司に搾乳するために職場を少し抜けたいと相談すると長く育休をとるように勧められたなどの多くのマイナス意見がありました。

なんて後進国なんだ日本。。。

アメリカでは子どもを産んで仕事を辞めてしまう、パートになるお母さんは少ないと思います。今の大学院内でも最近女性の教授(42歳!ちなみに彼女の初産は38歳でした。大学院では晩産が普通です)が春に3番目の赤ちゃんを出産する予定であることを知りました。もちろん彼女は産後休暇後復帰します。2番目の赤ちゃんと同様に職場で搾乳されると思います。よく2番目の赤ちゃん出産後にはオフィスの前に( Please don't disturb. I'm pumping:搾乳中なので訪問ご遠慮ください)と書かれていました。

日本もキャリアを中断したくないお母さんたちのために搾乳専用の部屋を職場で設けることを法律で義務化したり、お母さんたちがいつでも気軽に搾乳できる環境を作ればと思います。女性が輝く日本と掲げるのであれば早期の職場復帰、搾乳を推進しないとだめだと思う今日この頃です。

こういう貼り紙が日本中の職場にあればいいのになあ。




2017年3月1日水曜日

学力の差はなぜうまれるのか

ティーチングアシスタントとして修士課程の学生さんたちのクラスを受け持つようになり思ったことがあります。なぜ学力の差が生まれるのかです。それはやる気だと思います。

TAアワーと言われるティーチングアシスタントのオフィスアワーがあります。修士の学生さんは私にアポを事前にとらなくても、オフィスアワーの時間帯であれば誰でも宿題や試験について私に聞くことができます。

そのTAアワーに来る学生さんはほとんどと言っていいほど成績がよい学生さんたちです。宿題、試験でも満点が取れるような人たちが多く優秀です。一方宿題でも試験でも70%以下の点しか取れていない学生さんほどTAアワーや教授のオフィスアワーに現れません。私がもし70%しか点数が取れていない学生だったらTAアワー、教授のオフィスアワーに毎回出現すると思うのですが、そうではない学生さんが結構います。おそらく彼らは単位を取れればよいかぐらいなやる気なんだと思います。高い学費を払っているのに中途半端な理解力で卒業するのは不安ではないかと不思議です。

私にとって英語は母国ではないのですが、理解力は語学の問題ではないのだなとアメリカに来てから感じます。要は本人のやる気かなと。日本人として米国の大学院に留学し、母国語じゃない英語で勉強についていけないのではないかと不安に思う方が多いかと思いますが、TAアワーや教授のオフィスアワーを利用ししっかり予習、復習すればアメリカ人よりもいい点が取れます。アメリカ人でない私もGPA3.7以上を修士も博士も取ることができました。やる気、忍耐、行動力があれば日本人でも優秀な成績で卒業できると思います。

下の動画は私の好きな教育に関するTEDトーク。日本の字幕もあると思います。




2017年2月19日日曜日

竜巻後のニューオーリンズ東部

2月9日に巨大な竜巻が発生しニューオーリンズ東部を襲いました。ニューオーリンズ東部は黒人やベトナム移民が住む貧しい地域です。ハリケーンカトリーナでは多くの死者がこの地域からでました。リサーチアシスタントの関係で博士課程では東部に何度も訪問しています。

今日は東部を訪問し、教授のマーク先生と職場の同僚達と瓦礫の撤去を手伝うボランティア活動に参加しました。

被害にあったのは600件の家屋で、その半数が半壊です。幸いなことに死者はありませんでしたが被災地の光景は東日本大震災を思いだすような悲惨な光景でした。




私が住む地域は都会でビルがたくさんあり、竜巻が襲うことはありませんでしたが、空き地が多い東部はたくさんの被害がでました。竜巻がニューオーリンズを襲うことはめったにありません。地球温暖化が竜巻発生につながっているのだろうと専門家は伝えています。

一日でも早くニューオーリンズ東部が復興しますように。


2017年2月12日日曜日

面白すぎるサタデーナイトライブ

ヒラリー氏とトランプ氏の選挙討論戦から観ているサタデーナイトライブ。Saturday Night Live (SNL)はアメリカのニューヨークで収録されているお笑い番組です。5-10分の短編のお笑いコントを土曜日に何作も放送しているのですが、完成度が高い!いつも大爆笑してみています。オンラインですべて見れます。YouTubeでSubscribeしています。

お気に入りのシリーズは政治に関するコントです。俳優のAlec Baldwinさんのトランプ氏のコントは傑作です。トランプ氏がかわいく見えてくる(苦笑)。



先週の報道官Sean Spicerのコント最高でした。

悲しいかなトランプ政権がこんなにエンターテイメントを提供してくれるとは思ってもみなかったです。YoutubeでSubscribeできるのは米国内だけかもしれません。第三者がコピーしているものは日本でもみれるかも。そしてSNLは字幕がないので英語を勉強し始めたビギナーには難しいかもしれませんが楽しみながらする英語の勉強にはおすすめの番組です。

2017年1月28日土曜日

移民を受け入れる国、アメリカ

春学期がはじまってから忙しく毎日を過ごしていました。この学期は前半にティーチングアシスタント(TAとも言われる教授の授業補助。担当クラスは国際保健のモニタリングのクラスです)、リサーチアシスタント、博士論文の執筆を同時進行しているので毎日忙しく過ぎ去っています。

トランプ氏が就任してからおよそ一週間が経ちました。次々と大統領令に署名するトランプ氏。トランプ氏が大統領に当選してから大学本部や大学の留学生オフィスから「この選挙で動揺している学生がいると思いますが、大学は君たちと一緒です。精神的カウンセリングが必要な場合はXXXXまで電話してください。」とEメールをもらったり、今日は留学生オフィスから「トランプ大統領が新たに移民令に署名し、出身国によって学生のアメリカへの入国が制限される可能性があります。ここ数日間、留学生はアメリカから出国することを控えてください。入国できない場合があります。アメリカ国内でも外出時は身元証明書を常に持参してください。」などの通知をもらったりします。なんだかアメリカ、大変なことになったなあと肌で感じています。

どの米国のメディアでもトランプ氏のニュースは毎日トップなのですが、その中でも特に気になるのは中南米からの移民についてです。

トランプ氏の公約のひとつであるメキシコとアメリカの国境に大きな壁を作り、不法滞在している移民(特に中南米出身)を強制送還させるという話があります。それに沿ってNew Yorkタイムズで不法移民としてメキシコからアメリカへ両親とともに幼い頃に渡り、給付の奨学金をもらい大学まで進学した女の子の話が書かれています(‘The Only Way We Can Fight Back Is to Excel’)。記事では彼女のお母さんが南部のアメリカの州で運転をしているときに事故を起こし、運転免許証と合法なパスポートを持たないためお母さんだけ強制送還されそうになった時の話や、トランプ氏が大統領になって女の子が今後アメリカで勉学を続けていくことができるのか不安であるという内容が書かれています。

この女の子だけでなく、アメリカに住む多くの不法移民はトランプ氏の政権に不安を感じていると思います。ニューオーリンズにも不法で滞在している中南米からの移民がたくさんいます。多くの人が低賃金でレストランや清掃業で働いています。

このNew Yorkタイムズの記事を読んで驚くべきことに厳しい意見がたくさんありました。記事の中で一番多かった一般読者からのコメントは「法律で定められているのだから不法滞在は許されるべきではない。法律は破るためにあるものではなく強制されるものである。」というコメントです。

私は記事を読みながら私自身に問いかけていました。答えは未だわかりません。

日本でも似たような事例がつい最近ありました。タイ出身の母親が不法滞在中に男の子を生み、男の子が成長し10代まで日本に滞在し続け、男の子自身が日本でこのまま大学へ進学するための裁判を起こすというニュースがありました。結果は敗訴でした。

私もどの国でも法律は守られるべきだと思います。ただ私がメキシコやグアテマラ出身だったらアメリカ国境を命がけで渡り不法滞在するかもしれません。悪いと思っていてでも。タイとミャンマー国境を渡るミャンマーからの不法移民も同じ環境です。

それはアメリカやタイという先進国の方がお金を多く稼ぐことができ、安全でよい教育、保健医療を受けられるチャンスがあるからです。世界の不平等な状況が続き、グローバル化が進む今、この問題を解決するのは難しいでしょう。

5-6年前に観た映画「闇の列車、光の旅」は中南米出身の移民がどのようにしてアメリカに渡ってくるのかをとらえた映画です。移民問題に興味がある方はぜひチェックしてみてください。



2017年1月5日木曜日

Hacksaw Ridge

新年あけましておめでとうございます。映画のタダ券をいただき、新年早々にHacksaw Ridgeという映画を夫と一緒に観に行きました。この映画は今年の夏頃に日本で公開される予定です。


第2次世界大戦の沖縄地上戦を舞台とした映画でメル・ギブソンが監督をつとめています。アメリカ人の視点で描かれており、沖縄で武器をひとつも持たずに何十名もの負傷したアメリカ兵士を助けたデスモンド・ドス衛生兵士の物語です。ドス兵士役のアンドリュー・ガーフィールド(スパイダーマンの主役をしていた俳優です)の演技がとても自然で映画に引き込まれてしまいました。実際にあった話でドス兵士はのちにアメリカの大統領から名誉勲章をもらっています。

まず映画の主人公ドス兵士。彼は戦場で犠牲になる米国兵士を救うためにメディック(看護衛生師)になるのですが、戦場に行く前にミリタリーキャンプで兵士としての訓練を受け、武器として銃を持つように大佐から指導を受けます。しかし彼はプロテスタントのキリスト教徒で、武器を使って身を守り、まして敵の兵士(日本兵)の命を奪うのは神の教えに反すると意志を曲げず、周りの同僚、上司からいじめを受けても屈することなくそのまま戦場の沖縄へ行きます。

想像を絶するほど残酷で悲惨な沖縄での戦場。周りの同僚兵士がつぎづきと撃たれけが負い、生死をさまようなかで武器ももたず、自分の命を顧みずに他人の命を助けるために戦火を走るドス兵士。

私の英語のリスニングが正しければ、ドス兵士は負傷し生きのびた日本人兵士をも映画の中で助けていました。

私はこの映画の中で信仰の有無に関わらず、他人の命のために危険までおかして最後まで自分の信念を貫き通すことについて考えていました。今、私はFaith(信念、誠意)を持って人のために何かできるだろうか。難民の健康のために博士課程まで進学し公衆衛生を勉強しているけれど、名誉や地位を考えるのではなく、どうすればよいかFaithを持って戦火や迫害から逃げてくる難民のために今後の私の人生を生かすことができるのかと考えていました。

この映画が日本で公開されれば日本人の方々の感想が気になります。おそらく沖縄で犠牲になった日本兵のことにほとんど触れられていないので、残念だと思う方はいるかもしれません。ただこの映画は戦争の醜さや残虐さが痛いほどに鮮烈に伝わってくる作品であり、暴力だけの世界では悲しみしか生まず、他人を思う気持ちの尊さを問いかけてきます。気になる方はぜひご覧ください。こちらのリンクはハクソーリッジの予告