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2017年11月13日月曜日

論文の口頭試験に合格

金曜日に最終の論文口頭試験(Defense)を受け、無事に合格しました。Honors(優等)でパスしました。

論文の発表は30分だけなのですが、その後1時間もの質問を受けました。1時間の質問は博士論文審査委員会のメンバーからと一般聴講者からです。口頭試験には20人近くの人(友人とお世話になった先生方)がみに来てくれました。今まで参加した口頭試験でこんなに参加者が多いのは初めて見ました。思わず論文発表前に「私ってこんなに有名だったんですね。知りませんでした(笑)」と言ってしまいました。

1時間の口頭の質疑応答、本当に疲れました。途中で集中力がなくなりそうでした。予想もしなかった質問もたくさんあり焦りました。うまく答えられなかったなとも思ったりしていましたが、優等でパスすることができました。母国語が英語でない私でもよい結果を出すことができ光栄です。

合格発表後には職場の同僚、教授、友人などがサプライズケーキを用意してくれていて、みんなで一緒に食べました。ちょっと泣けそうでした。試験の前日は私の誕生日だったのです。恵まれた環境でたくさんの方に支えられてきたことを実感しました。



今週一週間は少しの論文を修正し、学校に提出して終わりです。12月末までに博士論文を学術雑誌に投稿することが目標です。正直もう論文みたくないけど。。。

明日は博士課程最後の講義です。博士課程になり毎学期2-3回、ゲストレクチャーとして講義をさせてもらっています。明日は修士1年生の学生さん向けに難民と健康についての授業を行う予定です。最後の講義気を抜かずに終えたいと思います。

そして残り1カ月のアメリカ滞在を楽しみたいと思います。

2017年9月25日月曜日

米国生活残り3か月

ブログを長らく更新してませんでしたが、無事に生きています。新学期が始まりドタバタしていたらあっという間に9月下旬になっていました。

アメリカでの生活も残り3か月を切りました。早速12月のアジアに帰る航空券を買ってしまいました。ミャンマーによって日本へ帰国する予定です。まだ論文審査委員会の先生方全員からはOKをいただいていないのですが、おそらく11月上旬に博士論文の口頭審査試験を受ける予定です。この審査に通れば晴れて12月に卒業です。卒業登録願いも先月提出しました。この口頭審査試験は大学院の誰でも出席することができ、私の友人や他の教授もおそらく見に来ることかと思います。

そしてこの夏にひっそり行っていた就活が実を結び、来年冬からの就職先がほぼ決まりそうです。この夏ニューヨークで面接を受けていました。就職先は私の大好きな東南アジアになりそうです。また就職内容については後日正式に決まれば書きたいと思います。就職の見込みが決まるとあまり期待していなかったので、よいお知らせをいただいたときは嬉しくて信じられませんでした。

マーク先生は私が卒業することについて、とても寂しそうですが(周りの人に悲しいと言っているそうです)、就職がほぼ決まったことより12月末までに私を卒業させねばとサポートしてくれています。ありがたい。

修士課程と博士課程合わせて5年近くいたアメリカからあと3か月でお別れとは未だに想像がつきません。タイやミャンマーで過ごした3,4年間と同じように数えきれないほどのことをここで学びました。国際社会で生きていくうえでのたくましさを培ったのが一番の成長かなと思います。アジア文化では敬遠されがちですが、Assertiveになったと思います。


こんなきれいなミシシッピ川の夕日を見ることができるのはあとわずか。悔いのない充実した3か月間を過ごしたいと思います。




2017年7月20日木曜日

PhD学生の就職探し

長らくブログを更新しませんでした。元気です。特に変わったことなく、毎日博士論文を書き、リサーチアシスタントとしてもくもくと働く日々が続いていました。博士論文は最終章を書いており、あと2,3ページを書き加えて、論文書きを終了します。あとは博士論文審査委員会の議長、マーク先生をはじめとし、その他の教授にみてもらうのみ。

何事もなければ秋セメスターに博士論文の口頭審査を終えて卒業する予定です。卒業が待ち遠しいです。3年ちょっとで卒業なら予定より少し長い期間でしたが、平均博士課程の在籍より短いです。平均は5年です。

夏から年末にかけて就職活動をしていくつもりです。私はPhDの学生にとって異色な非学術の世界で就職活動をしたいと思っています。就職先としては国際機関や国際NGOです。タイにあるメータオクリニックみたいな地域に根差した場所で仕事をするのは楽しいですが、PhDはそのような組織には不要です。そして安月給で家族を養っていくことは不可能です。

高学歴すぎになるし、できれば難民や移民の人たちがどのようにしたら医療機関に受診しやすくなるか政策レベルで考え、時々フィールドにでかけて調査するかんじで働きたいと思っています。メータオのような草の根の組織はとても重要なのですが、政策レベルで働きかけないと難民、移民の健康問題の根本的な問題は変わりません。例えばパスポートもワークパーミットもない難民、移民が保護国で医療保険なしに医療機関の受診をし、強制送還されないためにはどうするか等を考える仕事につきたいです。

一方でPhD卒業後多くの学生がポスドク研究員や助教授として大学で就職します。周りが大学で就職する人が多いので大学で就職しなければいけないのかしらという気にかられますが、流されないように気をつけています。同じPhD課程で勉強する友人から米国の大学で働く人ようの指南書をかり、読みました。もしアメリカでPhDを取得し、アメリカの大学で就職したい人にはお勧めの本です(The Professor Is In) 。



興味深く読みましたがアメリカの学術の世界で活躍するなんて私には到底無理だわと思いました。学術論文の投稿から助成金獲得まで翻弄される生活なんで無理です。

夏休みがあと1か月少しで終わります。残りの学生生活を悔いのないように過ごしたいと思います。

2017年5月7日日曜日

PhDのABDとは

分析が終わり、博士論文の結果を書いています。論文を書きながらリサーチアシスタントとして2つのプロジェクトに関わっているので毎日慌ただしいです。

1つはマーク先生のハリケーンカトリーナに関連したベトナム移民のプロジェクトでデータコレクション(インタービュー)やデータマネージメントに関わる仕事です。同じプロジェクトで働く助教の先生が育児休暇を2か月取りはじめたので彼の仕事を私が代行でやっています(ちなみに働く男性が育休を取るのが当たり前になっているアメリカはすごい!)。

もうひとつは大学院の先生とともにUNAIDS(国連連合エイズ合同計画)のコンサルの仕事をしています。モロッコに住む女性のセックスワーカーについてのプロジェクトなのですが最近している仕事の中で最も面白いプロジェクトです。どっちの仕事の内容もまた時間があるときにブログに書ければと思います。

今日のテーマはPhD課程のABDについてです。PhDの学生にはABDと呼ばれるステータスにいる人がたくさんいます。私もその一人です。ABDとはAll but dissertationという略語でコースワークと総合試験は終了したけど博士論文は書き終えていない人たちのことを指します。ABD期間に論文を書くのが嫌になり鬱になる人結構います。

ABDの期間が長くなり、なかなか卒業できない人たちの原因は
①パートタイムやフルタイムワーカーとして仕事をしながら論文を書くのが難しい。
②論文を書いた経験がなく時間がかかる。または論文のテーマが決まらない。変更した。論文に取り掛かるまでの時間が長い。
③データコレクションを自分で行わなればならない。倫理委員会の審査、データコレクションのための資金確保など時間がかかる。
④わざとABD期間を延ばす。その間に博士論文以外の論文を執筆し学術雑誌に投稿する。功績が次の就職活動につながる。
⑤出産をし育児をしながら論文書きが難しい。
⑥博士論文審査委員会のメンバーが論文を読んでくれない。読むのが遅い。

などなど挙げればきりがないのですが⑥は列挙した中でも、深刻な原因で多くのPhDの学生が頭を抱えているのをみてきました。正直に言うとマーク先生は⑥の読むのが遅い教授に入ると思います。そのことを知っているので他の人に比べてかなり早い時期から論文に取り掛かり、今のところ同期の中では私が一番卒業に近いと考えられます。ただしブログに以前登場したパキスタン人の友人は今年の3月記録的な早さ(3年未満)でPhDを卒業しました。彼はものすごく頭がいいのと、お子さん2人と奥さんが故郷で待っていることもありかなり頑張って先生の協力も得、卒業しました。

同じくマーク先生を審査委員会に持つPhD5年目の友人がいるのですが、この5月に卒業ができなくかなり落ち込んでいます。マーク先生、早く彼女の論文を読んで卒業させてあげて!と思うのですが卒業の目途はたっていません。恐ろしや。彼女は論文の取り掛かりが遅かったので卒業が延び延びになってしまいました。

読むのは遅いけど私の場合はマーク先生が私の教授でよかったと思います。移民の勉強をするのは大学院ではこの先生しか思い浮かばないし、放任主義の教授ではないし、学生を大切にしてくれる。几帳面であとは相性が合います。Disorganizedの先生にあたるほうが嫌です。

博士論文にしっかりと目を通すこともなく卒業させる教授も中にはいたりしてびっくりするのですが、教授選びはPhD取得までの運命を左右するといっても過言ではありません。今からPhDで勉強する方、教授選びを慎重にしましょう。

最後にアメリカのPhD学生なら誰でもが知っていると思われるPHDcomicsより漫画です。この漫画に登場する学生の気持ちがよくわかる!




2016年12月1日木曜日

博士号取得候補者へ

あっという間に12月になろうとしています。

アメリカはご存知のようにトランプ氏とヒラリー氏の選挙があり、トランプ氏勝利から一時期は街も学校もお葬式のように暗かったです。ニューオーリンズは民主党の街です。

今年のThanksgivingは家族とは一緒に過ごさない人も多かったようです(大学院の友人の中にも結構いました)。Thanksgivingはアメリカ人にとって家族と集まる大事な行事です。
友達や教授陣の中でも家族内で民主党支持者と共和党支持者に分かれ口論になった家族があったそう。アメリカのニュース番組でも選挙が家族内の不和をもたらしていることが話題になっていました。

私はアメリカで5回目となるThanksgivingは教授のお家で過ごしました(今年はマーク先生のお家ではなく、別の大好きな教授のお家に招かれました)。5回目のThanksgivingを迎えるにあたり、アメリカに住んでもう4年以上も経つことを身に染みて実感していました。まさかこんなに長くアメリカに住むとは思っていませんでした。

そのThanksgivingのあと、Dissertation Prospectus Defense(研究提案の口頭試問)に無事合格し、PhD Candidate(博士号取得候補者)になることができました。アメリカの博士課程では総合試験のあと、Dissertation Prospectus Defenseに合格して初めて博士号取得候補者になり、博士論文を書くことができます。さらに卒業の道が近づき嬉しいです。2016年の目標は総合試験に通り、Prospectus Defenseに合格して博士号取得候補者になることだったので、無事に目標を達成し満足です。目標の3年でPhDを取得することは不可能ではないと思います。来年卒業を目指し、残りも手を抜かず研鑽したいと思います。




2016年11月6日日曜日

英語で教鞭に立つ

今学期は3クラスの特別ゲストスピーカーとして授業をする予定です。最近2クラスの授業が終わりました。あと1クラスです。英語でアメリカ人相手に1時間近く授業をするのは本当につらいです。博士の学生となって何回か授業をすることはありましたが、今月は多いです。

授業の後は全力を使い果たしたせいか、疲れ果て何もできません。緊張をし、おどおどすることはあまりありません。とにかく気が張り疲れます。

修士課程の学生向けの授業の方が、学部生の授業よりはるかにやりやすいです。大学院生の方がやる気があり教えがいがあります。よく質問もしてくれます。先週は修士の学生向けに、紛争、災害に関する移住というテーマで話しました。タイ・ミャンマー国境に住む難民の事例や東日本大震災、ハリケーンカトリーナなどの事例をもとに、災害に関する研究の課題と提案などを話しました。私のアドバイザーであるマーク先生のクラスでゲストスピーカーとして講義を任されました。マーク先生の前で授業するのは初めでした。

終わった後にマーク先生から「素晴らしい!発音も時間配分も問題なかったし、生徒の目を見ながら台本をほとんど読まずによくやったね!難点のつけようがない講義だったよ。Aikoの指導教官として誇りに思うよ。」とこれまで以上にない褒め言葉をいただきました。授業がうまくいって安堵です。めちゃ疲れたけど。。。

博士課程後にアメリカでポスドクをし、准教授になったりする道はあるのですが、おそらくそのような進路は歩まないと思います。英語で授業をし続けるなんて疲れ過ぎます。。。日本語でも大変なのに。

そしてやっと論文のProspectus Defenseの予定日が決まりました。何事もなければ11月29日にDefenseをします。これを通ればPhD Candidate(博士号取得候補者)として博士号取得にまた一歩近づきます。論文審査委員会からこのまま何もコメントがないように祈る毎日です。





2016年10月16日日曜日

ロジカルに書く

私の博士論文について今回は書きます。夏から博士論文の研究提案書を提出するために準備をしているのですが時間がかかりすぎて少々焦っています。6月に投稿した博士論文 Prospectus Defense準備にどうのような段取りで博士論文に取り掛かるのか書いています。興味のある方はご覧ください。

現在、研究提案書は30ページくらい書いたところです。イントロ、Significance、文献レビュー、Conceptual Modelなどの原稿はマーク先生からOkをいただき、次のミーティングで分析内容を話し、何事もなければ11月中にProspectus Defenseを行います。

Prospectus Defenseのための研究提案書でマーク先生に何度も言われていることは

「AikoのWritingの質がひどすぎる。磨きをかけろ。」と毎度のように言われています。もっとロジカルに文章を書けと。毎回厳しく言われるので泣きたくなります(涙)。

自分で言うのもなんですが、Writingの文法間違い(英語)はほとんどしなくなりました。これは英語で文章を書く上で最低限のルールです。博士課程で求められるのは学術者として簡潔にロジカル(論理的)に文を書く必要があります。

このブログではロジカルに書くことからほど遠いですが(誤字脱字も多々)、日本語でも新聞や書籍は人にわかりやすく簡潔にロジカルに書くことがあたり前だと思います。

指導教授にWritingを何度も指導される博士の学生と先生よりWritingの他にも何も言われないですぐに卒業できてしまう学生がいます。先生が放任主義の場合です。うちは真逆です。近すぎる。。。

私の教授はHarvardと並ぶくらい有名なPrinceton大学の卒業生です(PhD in Demography)。Princeton大学は2016年アメリカ国内の大学ランキングで1位をとっていました。ちなみに私の大学は国内で39位でした。公衆衛生部門ではアメリカ国内12位。

先生がプリンストンで受けていた博士教育をもとに、先生から指導を受けているので、日本人でプリンストン大学に入れないような私にそこまで求められても。。。と複雑な気持ちになります。2-3ページの研究提案書に数週間かかるときもあり泣きたくなります。

私のWritingにしびれを切らした先生からWritingのTutorまでつけられる予定です。先生の友人なのですがNew York TimesやThe Nationというアメリカの有名な新聞でも時々記事を掲載するフリーランスの女性ジャーナリストさんが私のWritingの先生として指導してくれる予定です。私の教授もNew York Timesにたまに記事を書きます。

これは修行だと思い耐えてWritingの力を伸ばしたいと思います。でも一日でも早くProspectus Defenseをするぞ!






2016年6月6日月曜日

博士論文 Prospectus Defense準備

この夏はおそらく旅行に行くこともなく、Prospectus Defenseの準備に時間をかける予定です。Prospectus Defenseとは博士課程の学生がどういう論文を書きたいのか、口頭で約30分かかて、博士論文審査委員会に説明するという博士課程の学生にはなくてはならない儀式です。このProspectus Defenseに通過して、晴れて私は博士号取得候補者(PhD Candidate)になる予定です。

このProspectus Defenseを行う前に30ページ近くのプロポーザルを書き、博士論文審査委員会の長(私の場合はマーク先生)にOkを出してもらって、はじめてProspectus Defenseのプレゼンテーションの準備を進めることができます。

さて肝心の私の論文テーマはなんと「ハリケーンカトリーナ災害復興の軌跡:ベトナム移民における健康と医療アクセス」です。

こんなにミャンマーのことを長くやってきたのになぜにベトナム移民??と思う方もいるかもしれません。論文テーマを決めるのは苦渋の決断でした。

でも今となってはこの決断に間違いはなかったのではと思います。以下の内容はこれからPhDで博士論文の内容を決める方の参考になればなと思います。

教授をハッピーにすること
博士論文を書くにあたって一番大事なのは論文審査委員会の長(私でいえばマーク先生)との人間関係です。ベトナム移民はマーク先生の専門分野。マーク先生はずっとわたしに彼のデータセット(2005年から2010年までのベトナム難民のコホートサンプル)を使い論文を書いたらいいのになと熱烈なアプローチをしてきました。

去年ハーバード大学とミシガン大学などとともにハリーケーンカトリーナに関するNIH(米国保健省)の1億円近い助成金を手にしたばかりの彼にはベトナム難民の論文本数を教え子が増やしてくれるのはもってこいだったのだと思います。

論文委員会の長との関係が悪く卒業まで困難を極めた学生さんたちを見てきたので、この教授をハッピーにするというポイントはとても大事です。

論文のデータ収集を自力でできるのか?
先生のアプローチを断ってミャンマーの結核問題を書くことになれば先生は論文を見てくれるのか、卒業が遅くなるのではととても心配でした。先生は「アイコがミャンマーの難民キャンプの結核スクリーニングを書くことにしても読むよ。」と言ってくれたのですが、そこで大きな問題が発生しました。

去年夏に元職場の上司と面談したところ「難民キャンプの結核スクリーニングのための資金は半分しか得てない。」と言われました。これは困りました。半分しか難民キャンプの結核スクリーニングができないのではれば私の研究は中途半端なものとなってしまいます。これをマーク先生に話したところ「Risky!」と難民キャンプで論文を書くことを避けるようにアドバイスを受けました。

さらにミャンマーの難民の帰還が近々予想されているので、この不安定な情勢中で難民キャンプで論文を書くには本当に中途半端な結末で終わってしまう可能性があると思います。

卒業目標年と資金
他のテーマでミャンマーのことを書くこともできたのですが、最初から自力でデータ収集しなければならず1年以上はデータ収集にかかることが予想されました。

いただいている給付の奨学金が3年間で終わってしまうので3年間で卒業するために現実的な方法を考える必要がありました。先生をハッピーにしながら3年以内で卒業するためにはベトナム移民について既存のデータを用い論文を書くことが一番無難な選択でした。

もともと日本にいるベトナム難民の友人に出会ったことがきっかけで難民関係の仕事をしたいと思うようになったので、ベトナム移民のことについて書くことも私のMissionには十分合うと思い、今はベトナム移民についてのプロポーザルを書いています。去年ベトナム移民コミュニティーでもお仕事をする機会があったのでご縁があったと思い頑張りたいと思います。
写真はこの冬にニューオーリンズ東部にあるベトナムコミュニティーを訪ねた時の写真です。

                ベトナムの新年祭にて


              ベトナムのカソリック教会にて








2016年5月2日月曜日

総合試験合格

数日前に無事総合試験は合格!というメールを博士課程をコーディネートする教授からもらいました。私の博士課程同級生(アメリカ人、イラン人、バルべトス人、パキスタン人)も全員合格しました。みんなで1月から毎週勉強会を開き勉強しただけあってうれしいです。去年もおととしも私の学科内で試験に落ちている人がいるので、全員合格できてよかったです。

さてこの総合試験後は博士論文の提案書を提出しなければいけません。Prospectus Defenseというイベントが待っています。博士論文審査委員会の教授陣の前で口頭でどのような研究をするのか、手法、分析方法などを発表します。目標は今年7月までにそのProspectus Defenseを行うことができればと思っています。担当教授のマーク先生は「7月までにできないことはないと思うけど、アイコは野心的だ。」と言われましたが、来年の春に卒業するために歯を食いしばってでも新学期が来る前に終わらせようと思います。




2015年8月6日木曜日

夏休み in Thailand

2週間リサーチアシスタントの仕事はお休みをいただき7月末からタイに来ています。

やっぱりタイ最高です。夫と半年ぶりに再会し、ホアヒンというビーチに旅行に行きました。ホアヒンはタイの王室の避暑地として有名です。日本人の観光客にはあまり知られていませんが、古い町並みで比較的旅行客も少なく静かです。

ホアヒンに行くには電車(約4時間)あるいはミニバン(約3時間)が一般的なようです。私たちはバンコクから電車に乗っていき、帰りはバンにのりました。写真はバンコク駅にて。




ホアヒンの静かな海。雨季のため海がブルーでなくて残念。


今は私の第二の故郷、国境の町メソトです。今回の旅は学校の研究費補助金をいただいてきているので、名目は博士論文の研究内容を固めるためです。将来研究に協力していただけるよういろんな方にお会いしているのですが、この訪問でメソトで研究をするのかテーマを変えてアメリカで研究するか決定する予定です。私としてはこのメソトで研究したいという気持ちが強いのですが、すべては担当教授のマーク先生と話をして決めます。先生を納得できるような収穫をこの旅で成し遂げたいと思います。