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2017年12月18日月曜日

本当にさようなら、ニューオーリンズ

明日の夕方ニューオーリンズから旅立ちます。修士と博士課程合わせて4年半住んだニューオーリンズ。なんだか長編のハリウッド映画を観ていたような留学生活でした。例えてみれば映画フォレストガンプの一部を観ていたような感覚です。

担当教授のマーク先生をはじめとし、素晴らしい先生方、たくさんの友人たちにも恵まれ博士課程は毎日とても楽しかったです。博士課程は精神的に辛いよとよく経験された人が言いますが、辛い、やめたいと思ったのは一度もありませんでした。人間関係に悩むってことも一度もありませんでした。

ただマーク先生にサヨナラをいうことが一番切なく少し泣いてしまいました。先生も半泣きでした。学校以外のプライベートでも先生と先生の奥さんと一緒にご飯に行く機会が多く、家族ぐるみでピクニックに行ったり、野球観にいったり、カヌーに行ったりもしました。娘のように可愛がってもらい感謝しています。こんないい先生を指導教官として持てたことは私はとても恵まれていたのだなと思います。

自分の居心地のよい場所から新たな場所へ向かうのはエネルギーを使い、不安がつきまとうものです。「あなたにはそんなことできない。無理だ。」っていう人も現れるかもしれません。でも自分の人生を決めるのは自分次第。難しいことほど乗り越えたあとの爽快感や学んだことは言葉にできないほどの価値があるとこの大学院留学で実感しました。

卒業後は外務省から派遣されるJPO(ジュニアプロフェッショナルオフィサー)として1月末から移住の問題を専門に取り扱う国連機関で働くことが決まっています。勤務地は東南アジアです。難民、移民問題に関わる仕事に関わることができ、安堵していますがこれはまだ始まりにしか過ぎないと気持ちを引き締めていきたいと思います。国連での仕事を獲得するのが目的でなく、仕事で一人でも多くの難民また移民が健やかに暮らせるような世の中にすることが神様から与えられた私のミッションだと思っています。

次の現場での仕事に不安はありますが、ワクワクする気持ちでいっぱいです。

このブログは今日で終わりにしたいと思います。修士課程から始め長い間私の徒然日記にお付き合いいただきどうもありがとうございました。先生方、友人をはじめとし、理解ある夫や家族にも感謝しきれません。そしてさようなら私の大好きな街ニューオーリンズ。

Merry Christmas! Happy New Year!


 私のオフィスからみたニューオーリンズの景色




2016年5月25日水曜日

IYCFとは

最近全くブログを更新していませんでしたが元気です。渡米4年目にして初めて車を買いました。と言っても夫が乗りまわして私は運転ができないのですが、夫婦で車があると行動範囲が広がり便利でありがたいです。米国で車を買った経験や博士論文の準備について等をブログで書きたいなと思っているのですが、本日はIYCFのテーマで書こうと思います。

IYCF?私は今年になるまで恥ずかしながらこの単語を聞いたことがありませんでした。ちなみにYMCAとは関係ありません(汗)。

IYCFとはInfant Young Child Feeding(乳児の食事)についてです。母子保健の業界用語だと思います。UNICEFのホームページには詳しく説明されています。こちら→UNICEF IYCF

今Tulane大学とUNICEFエチオピア事務所が共同で行っているモニタリング評価プロジェクトのリサーチアシスタントして毎日働いているのですが、その内容がエチオピア郊外のIYCFの現状とニーズを評価するというものです。評価対象のある地域では子供の40%近くが栄養失調状態だったりとエチオピア飢饉の再来を思わせるような深刻な栄養問題を抱えている地域があります。

そのような地域で完全母乳(Exclusive breastfeeding)、 離乳食の開始(Complementary feeding)、お母さんとその家族がどのように赤ちゃんに食事を与えているか等などの調査内容を分析しています。

去年の末からずっと母子保健の仕事が立て続いており、IYCFは未知の世界でしたが(私には子供を育てた経験もないですし)興味深く事態の深刻さを痛感させられました。

干ばつで作物が取れない。貧しすぎて十分にお肉など高価な食べ物は買うことができない。水を汲みにロバに乗って4時間かけて川まで行く等など日本では考えられないようなことを仕事で学びました。

またお母さんや家族が生後6か月までの完全母乳の重要性をわかっておらず、赤ちゃんに水やジュースをあげてしまったり、食事の準備前の手洗いの実施等いろんなIYCFに関わるデータの分析をしています。

もともとHIVやTB(結核)の仕事に興味があったのですが、IYCFをはじめとした母子保健も大事でやりがいがある仕事だなと最近実感しました。

最後にエチオピアの栄養についてのビデオ。現地がどのような状況なのか痛いほどに伝わってきます。









2014年8月2日土曜日

タイ編終了

おそらくタイからのブログ更新はこれで最後になるかと思います。来週メソトから帰国します。

この一年を振り返り、自分が思っていたよりもはるかに充実した1年を過ごすことができました。昨年の今頃米国の博士進学を1年延期し、給付の奨学金がこの1年間でとれるのか、仕事はみつかるのか本当に不安でした。

仕事も私が希望していたようなアカデミアで結果を残せるような組織に就職でき、素晴らしい上司と同僚に恵まれ、支えてくださった皆さんに本当に感謝しています。

修士課程を終えてから、はじめての本格的な国際保健の分野での仕事でしたが、一言につきます。

「国際保健の仕事ってめちゃ楽しい!」

日本で病院で働くよりも、毎日自分が生き生きしているのが手に取るようにわかりました。現場で現地の人と目でみて、肌で感じて勉強することができました。いろんな場所(ミャンマー国内、バンコク)にも出張にいかせてもらい、いつもわくわくしていたことを思い出します。

また全て英語での仕事で、かつ英文学術雑誌へ主著として2本論文を書き、いろんな国の人とまたいろんな組織の人(ローカルNGOから国連機関まで)と仕事をしネットワークを築けたのでこの1年は実り多い1年となりました。

職場の皆さん、家族、友人、1年間タイ編を支えてくださった皆さんへ感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

さてあと2週間後、私は米国にいます。帰国後ビザの手配等日本でしなければいけないことを丁寧にすませ、新しい米国編へ進みたいと思います。


感謝の気持ちをこめて今週は職場のスタッフとお世話になっている友人のために巻きずしを作りました。計18本もこの3日間で巻きました!職場のスタッフにもたくさんお別れのプレゼントをいただきました。カレン族シャツの嵐です。メータオから数えると何枚もらってきたんだろうっていうくらい家にもカレン族シャツがたくさんあります。。。



2014年7月12日土曜日

帰国までカウントダウン

タイでの仕事もあと3週間となりました。6月末に辞表届をだし、私本当に辞めてしまうんだとしみじみ実感。周りのスタッフにも「辞めちゃうんだって?どうして?」と聞かれることが多くなりました。

もともと博士課程へ進学する前の1年間だけの仕事だと思って、仕事をしていたのですがなんだか働き物足りないような気もします。6月末から7月中は仕事の大詰めです。

ミャンマー移民学校で勉強する子どもたちの予防接種率を評価した論文を英文雑誌へ投稿しました。私が主著なので共著の先生方にも何度も見てもらい、修正を繰り返し7月上旬やっと提出できました。これから2カ月間ほど雑誌のpeer reviewersにみてもらいアドバイスをいただく予定ですが、投稿してから論文が雑誌に載るまで半年~1年はかかるようです。

あと結核の仕事は7月下旬に大きな会議(この研究所の歴史でも大きな転換期かも)があり、私の仕事も大いに関わっています。結核に関する論文も書き上げ、もう英文雑誌へ投稿する準備はできているのですが、7月下旬まで何も身動きが取れません。どんでん返しがおきませんように。。。

そして7月に入って、なんと今さら二つのプロポーザルを書いています。どちらも今月中に提出。ひとつは結核村の拡大支援の要請に関するプロポーザルです。私が書かなくてもGrant manager(財務担当者)が書くものですが、一度英文プロポーザルを書く練習をしてみたい!と思い、手を挙げて書かせてもらっています。何度も修正していますが。。。

追い打ちをかけるように副所長さんからHIVに関するNational Institute of Health(米国の保健省)へプロポーザルの案件形成にも声をかけてもらい、新しい分野にも最後の最後に挑戦中です。これが通れば私の博士課程の論文はおそらくHIVと結核になる予定です。内容はまだ秘密。

郷愁に浸る暇がない本音です。丁寧に無事、仕事を終えるまでラストスパートです。

2014年6月9日月曜日

雨季はじまるなり。

ぼーっとしていたら1ヶ月以上もまたブログを更新していませんでした。元気です。本格的な雨季がタイにも訪れ毎日雨がザーザー降っています。

この時期になると自分が初めてタイで活動を始めた時、2007年の7月の雨季を思い出します。あの時期も雨季の真っただ中でした。

私がこの地域に関わってもう7年が経ち、もうすぐで8年目になります。博士課程で今後勉強することを考えると10周年記念を祝う日もそんな遠くはないです。私の性格上、いろんな地域で国際保健の活動をするよりも、一つのところに腰を据えて現地の人たちと勉強しながら活動する方が性に合うようです。

5月のミャンマー国内出張が終わったあとは、ずっと2つの論文書きに勤しんでいます。今までやってきたこと、関わったプロジェクトの評価をしているので、集大成です。私が主要研究者でよいのかしら?と思いながら上司に指導され勉強になります。この後博士課程に行き、人生でこんなに長期に渡って勉強させてもらう機会はそうそうないから、思う存分楽しんで勉強したいなと思っています。
(私、オタクになる傾向が高いのかも。苦笑。)

最近、嬉しかったニュースは米国公衆衛生学会( APHA: American Public Health Association)へ提出した研究要約が採用され、学会で口頭でのプレゼンをさせてもらえることになりました。今回の学会は11月にニューオーリンズで開催される予定です。学会で口頭でのプレゼンをさせてもらえるというのは結構倍率が高いようで、落ちる人も多々います。冬にぎりぎりでも要約を提出した甲斐がありました。

絶対ニューオーリンズに帰らねば!


雨季のタイは色鮮やかな花でいっぱいです。


2014年5月6日火曜日

ドムアン空港なう。

またまた出張です。最近1ヵ月に一度はバンコクあるいはミャンマー国内へ出張しています。飛行機に乗る回数が多いです。飛行機嫌いの私にはつらいです。小型便に乗り揺れる度に半泣き状態です。客室乗務員のお姉さんの冷静さにいつも尊敬。揺れてる中よく笑顔でお客さんにサービスできるわ~と感心(いや、私が揺れる度に動揺しすぎなのでは苦笑)。

今はバンコクのドムアン空港です。夜行バスで早朝バンコクへ着き、バンコクにある本部へ立ち寄りパスポートをピックアップし(バンコクにある職場の本部がミャンマー入りのビザの手配をしてくれました)、今飛行機待ちです。



本当は飛行機待ち時間、拡大予防接種計画の論文を書き始めなければ!と思っていたのですが、眠くて断念。来週あたり上司に内容を見せなければならないのですが、夜行バス明けで眠いし、バンコクの炎天下を歩きまわり疲れたため、ブログを書いています(仕事放棄!)

飛行機の待ち時間中にミャンマー人の女性がミャンマー語で声をかけてきました。

女性「あなたもヤンゴンに行くのよね?」
私「はい。雨が降ってるので遅くなるかもしれないですね。」
女性「予定の搭乗時間を10分過ぎてるもんね」
   「トイレ行ってきても大丈夫かしら?」「タイには何してるの?仕事?」などたわいのない話をしていると・・・

女性「あなたシャン州(ミャンマーの)出身よね?」
私「言ったかもしれないけど、私は日本人ですよ。」
女性「そうなの?日本人がそんなミャンマー語話せるわけないじゃない?シャンに違いないと思ってたわ。」

おいおい。バンコクの空港でタイ人がたくさんいる中で、どれだけ私はミャンマー人オーラを出してるのだろうと感じられずにはいられませんでした。

ミャンマー国内でもシャン州出身でつき通すか。前回はカチン族のふりをしてました(カチンの服を着ていたので)。。。

2014年5月2日金曜日

Pedagogy of the oppressed -国際協力の視点-

あっという間に5月ですね。Time is going faster and faster...

仕事もあと3か月を切り、こんな感じで全ての仕事を終わらせることができるのか日々プレッシャーです。特に拡大予防接種計画(EPI)プログラムの評価が大変で、昨日は副所長さん(オーストラリア人)であるプロジェクトの上司と夜10時半までEPIの評価レポートを作成していました。遅くまで仕事をしていましたが、上司が本当に素敵な女性で一緒に仕事をしていてとても元気がでます(二人とも昨晩はややハイテンション)。

今の仕事は上司にも恵まれ、とても勉強になります。ただ思うのは私したい国際協力の形って何なんだろう?と最近よく思います。

職場の米国人の友達に借りて読んでいる「Pedaogogy of the oppressed」Paulo Freire著はよくその私の疑問をとらえていると思います(この書籍は少しdenseです)。

今の職場は欧米諸国出身の医師が多くを占め、職場のデスクは本当に外国人ばかり。昔の私なら「めちゃくちゃインターナショナルな職場!かっこいい!」と夢をみていたかもしれません。

でも最近はちょっと違うんではないかと思いはじめています。私の上司であるフランス人の所長さんとオーストラリア人の副所長さんは本当に素敵な上司で、一緒に仕事をしていて苦でなく楽しいです。2人はこの職場につとめて20年あまり。ローカルスタッフの気持ちがよくわかっています。

その2人や少数の長期の欧米諸国のスタッフを除いて、海外から来た医師や研究者は、ローカルスタッフを上から見ているのではないかと思うのです。彼らが無意識に気づかないうちに。ローカルスタッフには自己紹介もしないし、挨拶もしない人もいます。もし白人同士だったら挨拶するだろうにと思うことが多々あります。

紹介した書籍のThe oppressed(抑圧されている人々)というのはローカルスタッフを指します。

書籍を簡単に説明すると欧米人が植民地支配をし、開発という名の下にローカルの人々をないがしろにしてきた。その植民地支配が終わった今でも、ローカルの人々の声をちゃんと聞いているのか?と言う点を書籍は投げかけています。

私はよく「何のために働いているの?自分のため?貧しい人を救うという正義感、優越感に浸ってるのか?本当にローカルの人たちと向き合い、一緒に問題解決しようと思っているの?誰がこの土地の主人公なの?」とよく思います。

もちろん、自分もThe oppressor(支配する側)になっているかもしれません。

この職場がイギリスの大学から形成され、またドナーもEUやイギリス政府等です。お金の関係からもDecision makerが欧米人になり、欧米優位になってしまうのもしょうがないかもしれません。

この職場は博士課程中も大変お世話になると思います。ですが将来私がフィットしているなと感じる職場ってどこにあるのだろう?といろいろ考える今日この頃です。


2014年4月4日金曜日

バンコクなう。

また最近ブログを更新していませんでした。

月曜から土曜までぎっしり働かないと渡米前まで2つのプロジェクトのペーパーを終えられそうにありません。このまま忙しく7月末になりそうです。拡大予防接種計画のプログラム評価がひとつの仕事なのですが、対象が16000人の子どもたち。不揃いなデータ等をきれいにしてから分析なので、大変。

質的評価は国境の結核コントロール、量的評価は予防接種プログラムと全然違う評価なのですが、毎日勉強になります。フランス人(結核評価)、オーストラリア人(予防接種の評価)の上司が本当にいい人で、丁寧に仕事を教えてくれるので素晴らしい環境で働かせてもらえていることに感謝です。

本日のブログはバンコクからレポートしています。今回は質的研究の分析トレーニングをバンコクの本部で受けました。トレーニングを受けて新たなことをまた学べたので、刺激になりました。いつもEメールベースでやりとりをしている本部の方々にも会え挨拶できてよかったです。

明日はどうやらバンコクで大きなデモがあるらしいです。デモに巻き込まれないようにバンコク市街を早めにでて、メソトへ戻ります。

もうすぐタイは水かけ祭りの正月が始まります。メソトも水かけ戦闘モードに来週あたりからなるのでは。。。恐ろしい。日本は花見かな・・・うらやましい!



久々に都会の刺激を受けて満足。バンコクにいると散財してしまうので、数日でメソトへ帰るのが調度です。



2014年1月15日水曜日

ヤンゴンなう。

ミンガラバー(ビルマ語:こんにちわ)!

ついにこの日が来てしまいました。ミャンマー国内出張。年明け早々に予定されていたのですが、いろいろ予定があわず、今日からミャンマー国内入りです。今はヤンゴン。

明日はWHOミャンマーと初会議。もうだめ。緊張です。WHOタイは何人か知り合いがいたり、何度も会ったりしているのであまり緊張はしないのですが、WHOミャンマーとの顔合わせは初です。誰も知り合いがいない。しかもうちの研究チームから私だけピンです。ほんま大丈夫かいなっ!て感じです。。。

このミャンマー国内の仕事内容はあまり言えないのですが、仕事が終わるまでタイには帰らないつもりです。早ければ1週間、長くて2週間ちょっとかも。ヤンゴンだけでなく、他の都市にも仕事で訪問する予定です。新年早々に力試しです。

久しぶりのヤンゴン。相変わらず日本の古いバスが走っています。車の渋滞がすごいです(バンコクみたいにモノレールもないし)。



タイバーツをチャット(ミャンマーのお金)へ両替しようといろんな銀行を歩いて周ったのですが、ほとんどの銀行が米ドル、日本円、ユーロなど貨幣価値が高い紙幣しか両替できず困っていました。

いく先々のミャンマーの人たちはとても親切で、「あの銀行だったら替えてくれるかも?連れていくよ」と銀行で働くミャンマーの人たちは親切に答えてくれました。またタクシーを拾ってくれて銀行までの道をタクシーのドライバーさんに説明までしてくれたりと、大都市のヤンゴンでもミャンマーの人たちは優しいなとほっとしました。

私はなるべくミャンマーの人たちと話すときにミャンマー語で話します。日常生活程度はミャンマー語で問題ないことと、外国人って思われたくないからです。ただ私のミャンマー語の発音は明らかにミャンマー族ではない。。。

タクシーの運転手:「どこから来たの?何人?」
私:「タイのメソトで働くカレン族です」
タクシーの運転手:「へ~」

などとも嘘をついてしまいました。日本人って言ったらぼったくられるなと思い・・・ごめんなさい(汗)。ヤンゴンでミャンマーのカレン族出身って言っても信じてくれるんですね(苦笑)。


     日本出身のビルメロ族ミャンマーの大衆食堂で夜ご飯を食べる。明日からがんばろう!

2013年12月18日水曜日

栄養失調の子ども

私がメインの研究者として行っている結核の質的研究が本格的に取り出し、12月に入ってから本当に多忙であっという間に1年が終わろうとしています。早い!

昨日から仕事でまたバンコクにきています。今日はWHOタイの2人のオフィサーと話をすることがあったのでWHOのオフィスと、ダウンタウンのホテルロビーで話をしていました。2人とも女性(タイ人とインド系米国人)。仕事がてきぱきしている。言うことも直球でわかりやすい。ちなみに1人はシニアのオフィサーで独身(Smart, strong, successful and independent women tend to be single...this might imply the future for PhD female students!)

バンコクに来る前は結核と同時併行で仕事をしているミャンマー移民自治学校での拡大予防接種計画について、興味深い出来事がありました。

ある移民学校を予防接種チームとともに訪問したときのこと。

予防接種を打つのに並んでいた9歳の小さな女の子。110センチ、14キロ。1か月前に体重を計測したときより1キロ減少。

これは明らかに栄養失調じゃないか!?まるで3歳児くらいの体重。信じられない。学校の先生も誰も不思議に思わなかったのか?歩き方も普通じゃない!

予防接種チームがどういう対応をするのかみていたところ・・・

チーム「毎日ちゃんとご飯食べているの?」

女の子「食べてます。」

チーム「じゃ、これからもしっかり食べてね~。」

以上。

そんな対応でこの女の子の栄養状態が改善するはずないでしょ!と心の中で怒り爆発。
怒ってはいかんと思い、女の子とそのお姉ちゃんと話をすることに。。。

移民学校での予防接種を待つ子どもたちの様子。



なんと姉妹のお母さんが去年結核で亡くなったというのです。結核とコンタクトがあり、体重減少・・・もしかしたら結核なのではと思い、研究所の結核医師にコンサルトしました(咳はなかったのですが)。

数日後ツベルクリンは強陽性結果、また胸部レントゲン上明らかな肺結核の所見があるため、研究所より結核治療が開始されました。

自分が結核の患者を移民学校で発見してしまうとは思ってもいませんでした。こうして異常児もスルーしてしまう予防接種チームの対応を改善すべく、ワークショップを開いたり、学校へ同行することが今後も必要なようです。移民エリアの多くの結核患者は、患者の症状があって医療機関に受診するという、医療機関の受け身でしか発見されません(Passive case detection)。もっともっと結核患者がいるはずなのに見逃している可能性は拭いきれません。



2013年12月2日月曜日

もし日本人ではなかったとしたら

皆さんは自分が日本人ではなかったとしたらと考えたことがありますか。海外で生活していると必ずと言っていいほどの自己紹介の決まり文句。

「Where are you from?」(出身はどこですか?)

先日仲の良いビルマ人医師と話していたところ、自分の出身国を言うのが恥ずかしくてたまらない時があるということを言われました。

彼はとても優秀な医師で、米国NGOの中堅ポジションとして私と同じタイ国境で働いています。彼がそのNGOで働く前はバンコクの大学院でMPH課程に所属していました。

彼がMPH課程で出会った同級生のタイ人の友達に自分がビルマ人であることを自己紹介したところ、

「あービルマ人なんだ。僕の家にビルマ人のメイドがいるよ。」

タイ人の家にビルマ人の家政婦がいたり、タイ人がビルマ人を非正規労働者として雇っているという光景はどこでも見受けられます。

自分の国は貧しく、隣国のしもべ扱いされているように感じた私の友人。

私が米国の大学院で出会ったビルマ人の友人も私にこう言いました。

「ビルマ出身ですって言っても誰もわかってくれないし、興味を持ってくれない。自分はまるで宇宙から来たように感じるわ。」

皆さんはきっと2人のようなことを感じたことはないでしょう。

先日私がWHOの予防接種会議に出席していたとき、隣にいたWHOのイギリス人技官が私にこう話しかけてきました。

「君、日本人?僕は日本人の上司とフィリピンのWHOで働いてたんだ。日本人はとても優秀だね。」

またあるビルマ人は、私が研究所で所長さんから仕事のオファーを得たことを知った時、私にこういいました。

「あいこは日本人っていうことでとても得しているよ。日本人はまじめで勤勉だし、お金持ちだし。ただのビルマ人はあいこのように仕事を獲得できないよ。」

最近よく思うことがあります。

私には無限の可能性を選択する力があるということ。

もし自分が戦争で家族や家をなくし、飢えをしのぎ、隣国、タイ社会の差別の中で生きるという状況におかれていたらこんなブログを書いて進学を目指すこともなかったと思います。

先週は仕事で久しぶりに難民キャンプに行きました。今もなお、何万にもビルマ難民がタイ・ミャンマー国境で暮らしています。写真は難民キャンプの様子。



2013年11月12日火曜日

研究所のdiversity

以前にも書きましたが、今回ここに就職するまで全くこの研究所の中を知らなかった私。今でも知らないことだらけです。

研究所は外観ではわからないのですが、タイの家が4軒連なる大きなコンパウンドからなります(一度も踏み入れたことがない建物もあります)。

その中に人事、医師、ヘルスインフォメーションシステム部、実験室、私や医師等の国際スタッフ、ミャンマー人医師スタッフのオフィス等があります。研究所の外には研究所が運営する、移民コミュニティーエリアの4つのクリニック、難民キャンプの中に1つのクリニックがあります。そこでは300~400人のローカルスタッフが働いています。

私のデスクはDoctors' office(医師の事務所)という中にあります。こんな事務所に入れないでほしい!と始めは思いました。まるで日本の病院の医局の様だなと思ってしまいました。。。

その名の通り、私とアメリカ人の医学生のインターンを除いて、すべて本当に医師のデスクばかりです。みんなそれぞれ臨床研究(clinical trial)や公衆衛生の量的研究をしている人ばかり。

そして私のデスク側はなぜか欧米人に固められています。アメリカ人3人、スイス人1人。ミャンマー人の仲良い医師たちのデスクとはなぜか遠い。彼らと近い席にしてほしかったのに。米国に住んでいましたが、アジア人の方が断然付き合いやすいです!いろんな意味で。。。

研究所の中ではもちらん日本人(加えてビルメロ族!)は私だけ。

ミャンマー、タイ、イギリス、米国、オーストラリア、フランス、イタリア、オランダ、ポーランド、スイス、ニュージーランド等まるで世界を縮図にしたかのように世界各国の医師や臨床検査技師が集まっています。欧米人だけでも20~30人はいます。知らない人ばっかり。

しかしおもしろいことに、ミャンマー人のスタッフの90%はもう私には英語で話しかけず、ビルマ語で話しかけてきます(私は日常生活は問題ならない程度ビルマ語を話せます)。

そんなことから欧米人の中で私を未だビルマ人だと思っている人はいるはず。もういっそのことずっと私をミャンマー人だと思ってもらっても構いませんが。。。ビルメロ族として本望です。

ここは私のホーム、アジア!と思って欧米人の迫力に負けないよう今日も明日も日本のビルメロ族としてがんばりたいと思います。

2013年10月28日月曜日

一度入ったら出られない村

私の所属する研究所が運営している村がタイとミャンマーの国境にそれぞれ1か所ずつあります。

その村に入居すると数カ月間しばらく出れません。人里離れたところにその村は存在します。

名前は結核村(通称:TB village)。



結核の治療は通常6か月かかります。多剤耐性結核を発症した患者さんも村に住んでおり、中には2年ほど住んでいる人もいます。

この結核村に住んでいるほとんどの人がミャンマーとタイを行き来するミャンマーの移民です。正式なパスポートや労働許可書を持たず、タイの保険システムからも除外され、研究所が運営する無料の結核治療を受けています。ミャンマーのカレン州とタイのタック県の患者さんが中心です。

この村では、衣食住も無料。患者さん用の農地もありとてものどかです。

のどかな村の裏にはいろんな問題が潜んでいます。

まず疫学的にミャンマー、タイで結核は大きな問題です。両国はWHOの結核蔓延大国22か国リストに入っており、とりわけミャンマーは東南アジアで多剤耐性結核の有病率が一番高いのです。一時2006年に世界基金が出したレポートでは国民の40%が結核(潜在性の結核も含め)に感染しているであろうと報告しています。

またその中でも結核の有病率が高いのはミャンマーからタイへ移動してきた移民と言われています。タック県に住むタイ人とミャンマー人の多剤耐性結核の患者の内訳を比較したところ、ミャンマー人の割合が70%を占めていたという論文もだされています。

移民の多くが長期に渡り同じ病院施設で治療を受けることが困難であること、経済的に家族を支える必要があり早く治療を終わらせたいがために症状がよくなれば断薬してしまう人がいることなどいろんな要因が移民患者の治療を難しくさせています。

結核についてもっともっと書きたいことがあるのですが、今日はこのへんで。。。

厚みのあるいい仕事をできるように、この結核問題の改善に貢献できるようInput、Output、Outcomeをしっかりしたいと思います。

最近思うこと。博士課程進学は1年延期になってしまいましたが、興味ある仕事ができるのは最高に幸せで、やりがいがあるなと感じるこの頃です。





2013年10月18日金曜日

バンコクなう。

今バンコクです。WHOとタイの保健省が主催する、結核国家戦略会議に参加していました。

研究所の職員としてバンコクの会議に行くのははじめてです。

そしてこともあろうに研究所から私一人が出席です。相方のビルマ人医師(結核専門)が別件があったために、「あいこ、行って来い!」と言われ一人飛行機にのってバンコクに来ました。

メソトでWHOと保健省が視察に来ることはあったのですが、自分からバンコクの会議にでるのは初めてで新鮮でした。

なんと一番新鮮だったのは、同時通訳のイヤホンを渡されたこと!!タイ人がタイ語で話すと英語の通訳がイヤホンを通して流れ、英語で国際スタッフが話すとタイ語になるという仕組みです。

WHOさすがです。coffee breakもfree lunchも豪華です。



今回の会議でこの結核のための国家戦略プランを修正するために、結核関係者(NGOやGO、大学研究機関等)が招待され、意見を交わすという内容でした。

私も数回挙手をして、うちの研究所の結核政策やメータオの経験から垣間見た意見を言いました。は~緊張した。。。欧米からのNGO職員やWHO職員は流暢な英語で意見を言うのに対し、私のはジャパニーズイングリッシュ。でも会議で静かに聞いているだけではあかん!と思い、勇気を出してジュニアですが意見を言わせてもらいました。

結核政策関連の文献等を毎日読みあさっています。スポンジのように書いていることを吸収せねばと思う毎日です。

来月研究所の所長さんがイギリス出張から帰ってくるので、それまでに仕事のプロポーザルの最終まとめをしなければいけません。奨学金の応募もはじまっているので、がんばらねば!


2013年10月6日日曜日

新しい仕事

久しぶりのブログ更新です。8月末、ヤンゴンの某国際機関でインターンor短期コンサルとして働く予定だったのですが、先方の予算の都合で仕事が延期されてしまいました。

さてどうしようかといろいろ就職活動をしていたところ、やっと仕事が決まり、タイのメソト郡でまた働き始めました。新しい職場はマヒドン大学オックスフォード大学熱帯医学研究所のフィールド研究所、ショクロマラリア研究所という医療研究機関です。結核政策にかかわる研究員として活動をはじめました。

この研究所、長らくメソトに以前住んでいたにも関わらず、何をやっているか全く知りませんでした。

研究所、就職活動先とも全く考えておらず、たまたま研究所の所長さんとタイ・ミャンマー国境の結核政策について話すことがあり、

所長さん:「結核の政策について研究員としてうちで働いてみない?給料はだすし、うちから論文をだせばいいから。Aikoの博士課程でも僕がスーパーバイザーになって論文みてあげよう。」

私:「え?え?今何っていいました?」

所長さん:「うちで働かないかっていうジョブオファー!」

私:「えー!!本当ですか!」

という感じでインフォーマルに仕事のオファーをいただきました。

今ではデスクとコンピューター、E-mailアカウントももらい、新しい職場で仕事をはじめたんだなと実感しています。

上司の所長さんはフランス人でおちゃめなおじさんです。所長さんも私と同様自転車に乗って、研究所まで来てます。オックスフォード大学のフランス人教授が自転車こいで、職場に来るとは親近感わきます。

研究所はマラリアやその他の感染症の臨床研究のみならず、ミャンマーカレン州、またタイ側で難民、移民向けの無料クリニックを運営しています。

研究所内だけでなく、難民キャンプ内にもラボ(実験室)があります。新しい治療だけでは、タイ・ミャンマー国境の健康問題は解決せず、公衆衛生的アプローチの必要性から私が雇われたようです。

私の仕事はメータオ・クリニックやその他のNGO医療機関、研究所が運営する結核村、ミャンマー国内の医療機関、タイ内の医療機関、政府機関等の連携について考え、話し合いを持つのが私の役目です。

仕事を通じて今のところQualitative Study(質的研究)をする予定なのですが、この国境の結核問題に少しでも解決策を見出すことができるよう仕事をしていきたいと思います。

研究所が運営する結核村の写真。結核村とはなんなのか?また説明します。