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2016年12月25日日曜日

メコン地域開発研究会@ヤンゴン

ミャンマーのヤンゴンに滞在していました。最近ニューオーリンズに戻ったため時差ぼけがひどく夕方の眠気が激しいです。

アメリカのユタ州立大学とミャンマーにあるNGOが主催するメコン地域開発研究会の公共政策についての勉強会に参加してきました。参加者はアメリカの大学院関係者、メコン地域(タイ、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、中国、シンガポールなど)の大学や研究機関で働く研究者が参加しました。うちの大学はマーク先生が招待され、マーク先生の子分である私も招待を受けました。旅費から滞在費まで出してもらいありがたかったです。途中で少し日本の実家にもよることができ日本食を楽しみました。

ミャンマーのNGOが率先して公共政策に関する研究会を主催したことに感動しました。研究会の初日にはミャンマーの政府関係者や教育関係者がパネリストとして集まりミャンマーの公共政策(インフラの改善、村落開発など)の課題について議論されました。軍事政権の時にはこのような内容を公に話すことは難しかったと思うので、時代の変化を感じとりました。

宿泊先も会議場もセドナホテルという5つ星ホテルでした。人生で5つ星ホテルに泊まるの初めでした。こんなところにお金を使わなくてもと思うのですが、5つ星ホテルの会議場でさえも一日何度も停電(苦笑)。インフラはまだまだ改善しないといけないミャンマーでした。
セドナホテルの外観

ホテルのプール

ホテルエントランス

セドナホテル前にできた新しいショッピングモール、ミャンマープラザ

2016年8月6日土曜日

ニューオーリンズのミャンマー(ビルマ)コミュニティー

ニューオーリンズに住むミャンマー人は夫と大学院で勉強するミャンマー出身の留学生しかないと思っていたのですが、いました!ニューオーリンズ郊外に100-200人近くのミャンマー人コミュニティーを発見したのです。さすが人種のるつぼアメリカ。すごいです。夫も大喜び。

出会いは突然でした。3週間前にスーパーで夫ともに買い物をしていた時のこと。私がミャンマー人っぽいスーパーの店員さんを発見し、

私「ねぇ。あの人ミャンマー人っぽいと思わない??カレン族かな?」
夫「そうかなー。」
私「声かけてみよう!」
夫「えっ?(苦笑)変な人って思われるぞ。」
私「すみません!!あの、どこの国出身ですが?」(突然店員に声をかける私)
店員「バーマ(Burma:ビルマ)です。」
夫・私「おおおおーーーー!!!」(私の方が夫よりミャンマー人を発見するのに優れている!笑)

ってな感じでミャンマー人コミュニティーの一人を発見。スーパーで仲良くなり電話番号を交換。そのあと友人になった店員さんの友人たちを紹介され、でるわでるわたくさんのミャンマー出身の人たち。主にミャンマーで一番貧しいと呼ばれるチン州出身の方々でクリスチャンです。カレン族も見つけました。ほぼ全員難民として第三国定住プログラムからアメリカに定住した人たちでした。マレーシアにある難民キャンプからアメリカに移ったようです。ほとんどの人が在米歴まだ10年未満。

大多数がニューオーリンズ市内か隣の市に住んでいました。写真はチン族出身の友人の家近くにて取りました。湖が近くにありとてもきれいでした。ニューオーリンズにかかっているアメリカで一番長い橋を渡って隣の市まで訪問しました。


橋が見えるでしょうか。

湖の名前。歴史も書かれています(興味あればぜひ読んでください)。

人生初に食べたチン料理。なかなか美味しかったです。

2014年6月18日水曜日

つながる世界

難民、移民の人口移動と健康問題は私の最も興味があるトッピックスです。そのmigration and health(移住と健康)を専門的に勉強すべく博士課程へ進学する予定です。

国境の街、タイのメソト(私が住む街)はミャンマーからgatewayです。勉強する身にとって街の変化が学びにもなります。

夏季が終わり、新学期とともにミャンマー移民学校が開校されはじめました。国境のタック県4郡に74校の移民学校があり、14000人生徒が勉強しています。学生のほぼ99%はミャンマーからの移民と言ってよいと思います。

新学期に伴い、私が携わる拡大予防接種プログラムでも新しい生徒が今年の予防接種プログラムに加わりました。おそらく2500名くらいの子どもたちが私たちのプログラムでフォローされる予定です。

学校で予防接種を打つ研究所のスタッフが「どこから来たの?」と聞くと、各学校10名に1人くらいの割合で「ヤンゴン(ミャンマー)から来ました」と答えます。理由は両親のどちらかがタイで働き始めたからと言うのです。

メソトの隣町、ミャンマー、カレン州ミャワディーから来た学生がたくさんいるのはわかりますが、ヤンゴンからこんなにたくさんの子供たちが移動しているんだなと肌で感じられずにはいられません。

ヤンゴンからだけでなく、他の街バゴーやモロミャイ等からも新しい学生さんが来ています。

2015年にはASEAN Economic Community(ASEAN経済連合)が形成され、EUのように国境の行き来が自由になり、人の往来が加速される見込みです。結核や予防接種で防げる感染症(特に麻疹など)にASEAN Economic Communityがどのように実践的に対応するのか健康関連の大きな会議では議題になります。

日本ではグローバル人材育成という言葉を政府の戦略としてよく耳にしますが、ASEAN諸国の人材育成においてかれるのではないかと思います。グローバルって言っている側ほど差別化して壁をさらに高くしているような気がするなぁ。

私もそうですが、人が海外へ積極的に移動する理由には夢や希望があって出ていくわけで、強く動かす原点がないと人の移動は進まないと思います。ミャンマーの人であれば、高い賃金を求めてよりよい仕事につくためにタイへ移動するわけで、私も難民、移民の分野において公衆衛生関連の仕事がしたくてタイにいたり、米国で勉強したりするわけです。

海外で働く夢を渇望させる機会が日本にあればうまくいくかもしれませんが、多くの人は衛生的で生活水準も普通に保てる日本以外に住むことは機会がないと考えないのではと思います。

ここに住んでいる土地の人は必然的にミャンマー語、タイ語、カレン語、英語といくつもの言語を駆使し仕事しています。たくましい!


ミャンマーとタイを結ぶ国境の橋は商業関連のトラックが列をなしています。



2014年1月30日木曜日

ヤンゴン~パアン~ミャワディー~メソトへの道

ミャンマー国内出張も今週月曜に終え、無事にタイに戻ってきました。

最後は肉体的にも精神的にもちょっと落ち込んでしまいました。

WHOとの会議は思ったよりも緊張することなく、1人でもうまく切り抜け、なんとか仕事のサポートもしてもらえそうな感じでしたが、やっぱり自分が働いたことがないミャンマー国内で仕事をするのは難しいです。役所的な手続きを終えておらず、会うべきはずだった方と会えなかったりもし、再びミャンマー国内に来ることになるかもしれません。私の上司には近々、出直してミャンマー出張だなと言われたので、なんとしてでもこのミッションをやり直さなければです。

ミャンマーの皆さんはとても大好きなのですが(私はビルメロ族ですし)、毎日の食事が本当につらいです。。。ミャンマー料理脂っこいので途中タイ料理が恋しくてつらかったです。

出張の大半はヤンゴンで過ごし、帰りにカレン州の州都パアンを通りぬけ、初めて陸路でタイへ戻りました。陸路で外国人がタイとミャンマーを行き来できるようになったのは去年の9月からなのです。

カレン州パアンまではヤンゴンからバスに乗り6時間くらいでした。行先はパアン経由下呂温泉!

嘘です!日本の中古バスを使っているからです。パアンには下呂温泉なんてありません(苦笑)

パアンの恋人たちが集う橋です。橋の後ろにはうっすらとパアンを象徴するゾエカビン山が見えます。

 ゾエカビン山のふもとには1000体もの仏像が並び、この聖なるゾエカビンを古くから守っているそうです。

パアンの街郊外をパアンにある有名なパコダから見下ろせます。自然豊かで美しい眺めでした。

内戦だったカレン州に入って大丈夫なのですか?っと思われる方もいるかもしれませんが、パアンは昔は旅行者の移動の制限があり、入れなかったそうです。今は政府側のコントロールエリアなのでカレン文化とビルマ文化が混在したような街になっています。旅行するには全く問題はありません。

垣間見れたパアンにうっとりしながら、パアンからコーカレー、ミャワディー、メソト(タイ)とプライベートカー(10000チャット:約1000円)で5時間かけて移動しました。

悲劇は帰り道にありました。この帰り道は人生で経験したことのないほど、舗装が全くされてない土砂道を通り、山を何度も通りぬけ、まるでハリウッド映画のカースタントですかっ!って思うほどのドライブでした。崖がすぐそばにあり、崖に落ちている車も見えました(ひえ~冷や汗)。道がとても狭く、一通のため、隔日毎に上りと下りで分けて車が走っています。そのため毎日パアンからミャワディーに行けるわけではありません。一日おきなのです。

車酔いを大人になってから一度もしたことがない私がなんともグロッキーになってしまい、道中の写真を撮ることはできませんでした。前日に食べた脂っこい野菜炒めがこの車酔いに見事に当たり、何度嘔吐してしまったことか。。。もう二度と陸路でカレン州からは帰らないかなと思います。





2014年1月5日日曜日

Happy New Year!

皆さん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

あっという間に2014年となりました。12月は怒涛に過ぎ去っていきましたが、年末はミャンマーのカレン州で年越しをすることができました。

私の所属している研究所にはいくつかフィールドクリニックがあり、ひとつのクリニックがミャンマー、カレン州ミャワディー郡ココという街にあります。そのココという街で過去最大のカレンニューイヤーフェスティバルという催し物が12月31日から1月1日にかけて開催されました。


写真はココの結核村からみた2013年最後の夕日です。建物が何もなくきれいな夕日がみえます。

カレンニューイヤーでは歌やダンスと言った多くの催し物が開催され、おそらく1000人以上の観客がいたのではないかと思います。カレンの民族ダンスも夕方から始まり夜11時半まで披露されていました。カレン州の5つの郡から来たチームがダンスを披露しコンテストをしていました。


もちろん深夜0時のカウントダウンには花火もあがりましたよ!


メータオクリニックで働いていたときも、このカレンニューイヤー祭りに参加したことがあるのですが、今年の祭りは感動しました。なぜならミャンマーが平和への道を歩んでいるんだなと感じたからです。1月1日のセレモニーには首都のネピドーから訪問した政府関係者が挨拶をし、またミャンマーの国旗が掲げられていました。さらに祭りの一角には、カレンの伝統シャツを着たミャンマーのテイセイン首相の写真が飾られていたのです。

長い間カレン族と軍政府の内戦は続き、多くの人が家を失い15万人以上のカレン族をはじめとした少数民族がタイにある難民キャンプに今もなお住んでいます。全少数民族と昨年停戦合意をしたミャンマー政府。平和への道のりはまだ始まったばかりですが、ミャンマーの人たちが平和で穏やかに祖国へ帰れる日が来ることを願ってやみません。

Happy, Healthy and Peaceful 2014!





2013年11月6日水曜日

ビルメロ族7年目

11月に入りタイ・ミャンマー国境のメソトの街は乾季に入ったものと思われます。もう1週間近く雨も降っておらず、朝と晩は20℃近くになるほど涼しくなってます。この季節が一番好きです。

ところでミャンマーは多くの少数民族からなる国です。この国境地域にはカレン族という少数民族が大多数住んでいます。「バルミョレ?(ビルマ語:何族ですか?)」と聞かれたら、私は「ジャパンルミョ(ビルマ語:日本人です)」と答えるのですが、私は日本人でも自分を「ビルメロ族」と名乗りたいなと最近つくづく思います。

ビルメロ族とは実はビルマ(ミャンマー)にメロメロになってすっかりはまり込んでしまった人たちをさすようです(日本ミャンマー友好協会やビルメロの会がこの民族名を考えたのかもしれない。ネット検索で由来は確定できず)。ビルマ関連の書籍を読むとビルメロ族と称される方々も結構でてきます。

私は2007年7にはじめてメータオ・クリニックで医療ボランティアスタッフとして働き始め、この国境に行ったり来たりの人生を始めてから、もうかれこれ7年目に入りました。どのくらいビルマにメロメロになっているのか以下指数を出します。

東京で働く私―幸せ度60%
看護師として東京で働いていた私はまずまずの給与をもらい、買い物、友達との楽しい外食など何不自由なく暮らす私。でも何か足りません。

米国で勉強する私―幸せ度80%
興味ある国際保健を思いっきり勉強でき、幸せ度やや上昇。勉強&テストに追われ、また欧米人の自己主張についていくために時々どこか無理をしているかもしれない私。

タイ・ミャンマー国境で働く私―幸せ度120%
国境のミャンマーの人々の笑顔にメロメロになっている私。ミャンマーのみならず、タイの食事、文化も好きなため幸せ度が一気に上昇。もはや測定不能。

今も例年のごとくタイ人&ミャンマー人友人夫婦の家に住み、2世帯の家族と暮らしています。離れのバンガローに一人住んでいるのですが、夕食は母屋の家族とともに食べます。タイ人&ミャンマー人家族が「アイコーご飯食べるわよー!」と声をかけてくれます。

私はこの夕食の時間が楽しみで、まるで家族になったような気分です。特に一緒に住むミャンマーのおじいちゃん(80代)、おばあちゃん(70代)の笑顔には毎日癒されています。

研究所のスタッフや街でメータオのローカルスタッフなどに会ったときには、

「たらむ、をらげ~!(カレン語:先生、おはようございます!)」とみんな笑顔で挨拶してくれます。

その笑顔は伝染していき私まで満面の笑顔になります。これはビルメロ族の主な特徴と思われます。私も国境に住む少数民族、ビルメロ族として明日もがんばりたいと思います。


2013年8月12日月曜日

ミャンマー、ヤンゴンにて

今はタイ・ミャンマーの国境メソトという街にいます。

今の近況を書く前に、約1週間前に滞在していたミャンマー、ヤンゴンについて振り返ろうかと思います。

初めてヤンゴンを訪れました。タイ・メソトの隣にあるミャンマーの街ミャワディーは何度か訪問しましたが、大都市ヤンゴンを訪れるのは私にとって初めてでした。

米国の大学院で仲良かったミャンマーの友達がいくつかの観光スポットを見せに連れて行ってくれました。

ヤンゴンの観光スポットの最大とも言えるシェダゴンパコダ。


日曜日の昼だったので観光客以外にもたくさんの現地の方が訪れていました。友達に願いが叶うと言われるパコダからの祈りのスポットや、パコダの周り方(パコダは円形なので自分の身体の右側を常にパコダに沿わせて歩く等々)等を教えてもらいながら回りました。




ミャワディーのパコダよりも大きく、きれいに手入れされています。曜日ごとに神様が祭られています。

続いてボージョー・アウンサウン・マーケット。外国人ツーリスト向けのやや高めの市場

そして沿道がカップルでにぎわうインヤ・レイク
米国人のジャーナリストがこの湖を泳いで、湖の近くにあるアウンサウン・スーチーさん家を訪問し、物議を呼びました。

最後に私の大好物、豆腐シャンヌードル(毎日のように食べていました)。そして最後晩に友達と食べたビルマ料理。現地の人が教えるレストランはおいしいのです。


初めてヤンゴンを訪れてみて思ったことは、タイとミャンマーの国境の街メソトと同じ!と思ったことです。メソトと同じくたくさんのミャンマー人であふれていました(ミャンマー国内だから当たり前か)。

そして私のビルマ語がどこでも通じる。道で迷ったときも、ご飯をオーダーするときも。

たった1週間しかヤンゴンに滞在することができず、仕事の面接があったり、また雨が毎日強く降っていたので遠くまで外出することができませんでした。このブログの内容はヤンゴンを垣間見たに過ぎない内容です。

1週間では足りなさすぎる滞在でした。でもミャンマー国内と国外両方で仕事がしたいなと思わせられる滞在でした。