2017年1月5日木曜日
Hacksaw Ridge
第2次世界大戦の沖縄地上戦を舞台とした映画でメル・ギブソンが監督をつとめています。アメリカ人の視点で描かれており、沖縄で武器をひとつも持たずに何十名もの負傷したアメリカ兵士を助けたデスモンド・ドス衛生兵士の物語です。ドス兵士役のアンドリュー・ガーフィールド(スパイダーマンの主役をしていた俳優です)の演技がとても自然で映画に引き込まれてしまいました。実際にあった話でドス兵士はのちにアメリカの大統領から名誉勲章をもらっています。
まず映画の主人公ドス兵士。彼は戦場で犠牲になる米国兵士を救うためにメディック(看護衛生師)になるのですが、戦場に行く前にミリタリーキャンプで兵士としての訓練を受け、武器として銃を持つように大佐から指導を受けます。しかし彼はプロテスタントのキリスト教徒で、武器を使って身を守り、まして敵の兵士(日本兵)の命を奪うのは神の教えに反すると意志を曲げず、周りの同僚、上司からいじめを受けても屈することなくそのまま戦場の沖縄へ行きます。
想像を絶するほど残酷で悲惨な沖縄での戦場。周りの同僚兵士がつぎづきと撃たれけが負い、生死をさまようなかで武器ももたず、自分の命を顧みずに他人の命を助けるために戦火を走るドス兵士。
私の英語のリスニングが正しければ、ドス兵士は負傷し生きのびた日本人兵士をも映画の中で助けていました。
私はこの映画の中で信仰の有無に関わらず、他人の命のために危険までおかして最後まで自分の信念を貫き通すことについて考えていました。今、私はFaith(信念、誠意)を持って人のために何かできるだろうか。難民の健康のために博士課程まで進学し公衆衛生を勉強しているけれど、名誉や地位を考えるのではなく、どうすればよいかFaithを持って戦火や迫害から逃げてくる難民のために今後の私の人生を生かすことができるのかと考えていました。
この映画が日本で公開されれば日本人の方々の感想が気になります。おそらく沖縄で犠牲になった日本兵のことにほとんど触れられていないので、残念だと思う方はいるかもしれません。ただこの映画は戦争の醜さや残虐さが痛いほどに鮮烈に伝わってくる作品であり、暴力だけの世界では悲しみしか生まず、他人を思う気持ちの尊さを問いかけてきます。気になる方はぜひご覧ください。こちらのリンクはハクソーリッジの予告
2016年9月27日火曜日
Missed abortion (稽留流産)②
薬を飲んで痛みで苦しむのは無理だと思い、外科手術をお願いする。
翌日の緊急手術の予約を助産師さんにいれてもらう。
9月23日
手術当日。友達が病院までついてきてくれる。彼女は1歳の子供がいるお母さんで私と同じ33歳。2年前に同じく稽留流産を経験している。病院の受付にて施設使用代金670ドルを支払う(保険なしだと1万ドル=約100万円と言われる)。施設代のみならず、後日麻酔の費用、手術医の費用の請求書が送られてくるけれど驚かないことと言われる(アメリカの医療費怖すぎて冷や汗をかく)。
日帰り入院のため病室に案内され、担当ナースが検温。手術着に着替える。代理の産婦人科医により手術の説明を受ける。この際手術が全身麻酔で行われることを知る(局所麻酔か硬膜外麻酔かと思っていたのでびっくりする。日本はおそらく局所麻酔が主流。助産師さんに言われ手術前日夜12時以降絶飲食にしていた)。余談だがさすが痛みに寛容なアメリカ。親知らずの抜歯でも全身麻酔をするらしい。。。
2時間ほど病室で待ったのち手術室へ案内される。人生初の全身麻酔手術にやや緊張。手術室の前で点滴をいれてもらい、担当医や麻酔科が手術の説明。手術の同意書にサインする。
手術室前で20分ほど待ったのち、手術室へ移動する。手術台へ移動したあとラリンゲルマスクと思われるマスクをつけられ、1秒程度で寝てしまう。手術の記憶は全くなし。
手術1時間半後に目が覚める。回復室へ移動。手術から2時間後尿意があったため徒歩でトイレへ自力移動。ナースに「若いから術後の回復が早いね!」と笑われる。
以上。こんな感じでアメリカで流産手術(D&C: Dilation and curettage)を経験しました。手術後動くとわずかな痛みがあるけれど手術にしてよかったなと思います。精神的にも肉体的にも。手術後は友達が夕食を買ってきてくれたりと友達にお世話になりました。土曜日には教授のマーク先生からも電話があり「大丈夫?何かあったら遠慮せずに電話してね」とも。夫は用事でミャンマーにいるので電話するたびに心配していました。
今回思ったことは流産は誰にでも起こりえることだということです。私の身近な友人数人も流産の経験があったことを知りました。一緒にUNICEFのプロジェクトで働いていた3人のお子さんを持つ先生にも、実は私も1度流産したことがあるから気持ちが痛いほどわかると言われました。初期の流産は15%-20%の確率でおこり赤ちゃんの染色体異常が大きな原因らしいです。
妊娠、流産を終えて正直また妊娠するのが怖いです。でも私の生物学的時計も限界があるのでやっぱり子どもはほしいと思います。キャリアのことを考えて、妊娠、出産を延期してしまう人は多くいると思います。私もいつが産みどきなのか考えて総合試験まで延ばしてきました。不妊、流産をする可能性も考えて子どもがほしい女性は一日でも早めに出産したほうがよいのではないかと痛感しました。
2016年9月25日日曜日
Missed abortion (稽留流産)①
最近稽留流産を体験しました。まさか自分が流産すると思っていなかったのでショックでしたが今は手術を終え、心も身体も落ち着きました。
今年4月末に総合試験を終え、これからは自分のペースで卒業に向けて論文の準備ができるし、赤ちゃんができればと思っていた矢先、8月に妊娠していることがわかりました。
夫ともに思ったよりも早く妊娠できたことを喜んだのを覚えています。以下は時系列で書きます。
8月12日(4W1D) 市販の検査薬で妊娠陽性を確認。
9月8日(8W0D) 産婦人科外来受診。私の担当は助産師さん。米国では普通分娩の妊婦さんい対し、助産師さんが処方箋、超音波オーダーなど日本の医師並みに外来をしています。
尿検査でも妊娠陽性。米国では妊娠8週目くらいからしか妊婦さんをみてくれません。7週、8週目以降でないと胎児心拍が確認できないからということです。超音波検査も出産まで2,3回のみ。
9月16日(9W1D)初めての超音波検査。胎児が7週と2日目で成長が止まっていると医師より伝えられる。自覚症状はなく食べづわりあり。血液検査ではHCG(ヒト絨毛性ゴナドトロピン)が22000mlあり。この怪獣みたいな名前の血液検査の項目は妊娠が成立すると急速にあがります。50ml以下が妊娠陰性です。
9月18日(9W3D)少量の出血あり。
9月21日(9W6D)
3:00 pm ころより30分おきに腹痛がはじまる。
8:00 pm 腹痛で自宅のトイレに何度も駆け込む。鮮血でトイレが血の海に。
10:00 pm 15分おきの間隔で痛みあり。起き上がることができず床に横になる。
11:00 pm シャワーをあび就寝。
3:00 am 激痛で起き上がる。トイレに駆け込みまた鮮血。
6:00 am 朝方までトイレとベットの往復。15分おきに腹痛あるも痛み止め飲み、再び就寝。
9月22日(10W0D)
8:00 am 起床。予定されていた助産師外来へ向かう準備。9時半車に乗って病院へ(あとで助産師さんに怒られる。。。具合が悪いのに運転してはいけませんと。。。)
10:00 am 助産師さんによる内診。子宮頚管に詰まっていた3センチほどの胎芽を除去してもらう。腹痛があっという間になくなる。
1:00 pm 超音波検査。完全流産したかと思ったものの、子宮内はまだ厚くたくさんの血の塊が見られると検査技師に言われる。
2:00 pm 助産師さんに週末に入る前に外科的手術により子宮内の全てのものを除去するか、子宮収縮剤によってまた痛みに耐えながら完全流産するかどちらかを選んでと言われる。子宮収縮剤は大出血を伴う場合があり、緊急時にはER(救急室)に来てもらわないといけない。もし子宮内がきれいでなければ結局外科的手術を行う必要があると言われる。週末に入るので金曜日までに子宮内をきれいにしないと感染症になり状態が悪化する場合があるので今すぐに決めるようにと言われる。
助産師さんに決断するまで10分下さいと頼みこむ。。。
Missed abortion (稽留流産)②へ続く
2016年8月6日土曜日
ニューオーリンズのミャンマー(ビルマ)コミュニティー
ミシッシッピー日帰り旅行
2016年6月19日日曜日
カレン族の親友宅訪問@バッファロー
この5年間の間に2人の赤ちゃんを産み(赤ちゃんは今2歳と4歳)、お母さんになっていたセイリア。子育ての話で盛り上がりました。カレン語で話しかけながら2人の赤ちゃんを育てているのですが、男の子2人ともカレン語が話せないとのこと(理解はできます)。英語のテレビの影響からか英語は達者です。多言語の中で子供を育てるのは結構難しいのだなと思いました。
ベトナム人2世(アメリカで生まれたベトナム人)のほとんども流暢にベトナム語が話せないように、英語での環境下に慣れると子どもでもお母さんが話している言語をスムーズに話すことが難しいようです。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、セイリアが作ったたくさんのミャンマー料理も楽しみました。モヒンガ、オンノーカオソイなど私の好きな料理ばかりでした(あらかじめリクエストしていました汗)。
最近論文のことで行き詰っていたのでニューオーリンズを出て息抜きできました。
2016年1月1日金曜日
2015年の終わりに
2015年は自分が計画していた以上にたくさんのこと(主にリサーチアシスタント)を挑戦することができました。チャンスを下さった周りの方々へ感謝の気持ちを忘れてはいけないなと振り返させられる一年でした。
たくさんのことに挑戦する一方で、仕事と勉強を両立させることが難しくなり、特に勉強の質が落ちてしまったことに気がつきました。このセメスター成績表ではB+のスコア結果になってしまったクラスがあり落ち込みました。来年4月に博士課程の総合試験があるため、来年の春までは仕事よりもこの試験に全力を注ぎたいと思います。B+を取ってしまったことは今後勉強に集中しなさいという警告として受け止めたいと思います。
来年も目の前にある課題を真摯に取り組み、丁寧に勉強また仕事(家庭も!)を両立させていけたらと思います。早く卒業して現場で仕事がしたいです。
それでは2015年も徒然なる私の日記を読んでいただきありがとうございます。皆様よいお年をお迎えください。
下記の写真はニューオーリンズにあるルーズベルトホテルで撮影しました。毎年クリスマスシーズンになるとクリスマスのイルミネーションをみにたくさんの観光客が集まります。
2015年9月27日日曜日
家を探し中
今新しい家を探し中です。今住んでる家はアパートでstudioという間取りです。独り暮らし向けの1DKと言ったらわかりやすいかもしれません。
11月からやっと夫とともに暮らし始めることもあり、1 bedroom & 1 bathroomの家、あるいはアパートを探しています。10月中に引っ越す予定です。予算は900ドルまでで、安全な地域でガスコンロがあり、白ありがでなさそうな家を探してます(汗)。今の私のお城は700ドルです。ほとんどの賃貸が冷蔵庫、洗濯機、レンジがついてきます。これは助かる。
安全な地域で1bedroom&1bathroomはいくらでもあるのですが、1000ドルを越える物件ばかりで苦戦しています。アメリカでは安全はお金で買うものです。安全な地域は白人ばかりです。治安が悪い地域であればいくらでも安い物件はあります。そのような地域で銃撃をみたり、銃声を聞くことはまれではありません。私の大学院の友達で治安が悪い地域に住み、お隣さんが銃殺されるのを見てPTSD(心的外傷ストレス症候群)にかかり、学校を辞めた女の子がいました。ニューオーリンズ、本当に治安が悪いんです。crime mapをインターネットで見れば背筋が凍ります。
私もそんなアドベンチャーを経験するなら、白ありがいても安全な地域に暮らしたいです(。>д<)
物件を探しのソースはcraigslistというアメリカ人なら誰でも知っているというwebsiteです。物件を見る前に必ず治安を調べること、友人などにも聞くようにしています。不動産から中古の家具、車の売り買いまで誰でも参加できるwebsiteなのですが、独りで知らない人に会わない、公共の場所で会うなど注意が必要です。事件に巻き込まれることもあります。
週明け気になっている家を見にいきます。いい家がここ数週間で見つかりますように。。。
2015年8月6日木曜日
夏休み in Thailand
やっぱりタイ最高です。夫と半年ぶりに再会し、ホアヒンというビーチに旅行に行きました。ホアヒンはタイの王室の避暑地として有名です。日本人の観光客にはあまり知られていませんが、古い町並みで比較的旅行客も少なく静かです。
ホアヒンに行くには電車(約4時間)あるいはミニバン(約3時間)が一般的なようです。私たちはバンコクから電車に乗っていき、帰りはバンにのりました。写真はバンコク駅にて。
今は私の第二の故郷、国境の町メソトです。今回の旅は学校の研究費補助金をいただいてきているので、名目は博士論文の研究内容を固めるためです。将来研究に協力していただけるよういろんな方にお会いしているのですが、この訪問でメソトで研究をするのかテーマを変えてアメリカで研究するか決定する予定です。私としてはこのメソトで研究したいという気持ちが強いのですが、すべては担当教授のマーク先生と話をして決めます。先生を納得できるような収穫をこの旅で成し遂げたいと思います。
2015年3月23日月曜日
個人主義
最近考えることとして、アメリカ人は個人主義だなぁと思います。今振り返ると修士の留学した始めのときはアメリカ人のその個人主義っぷりにカルチャーショックを受けていたような気がします。タイにはじめて住んだときと比べものにならないほどホームシックに陥りました。今アメリカに住んで3年目、相手が個人主義でもなんとも思わなくなりました。
むしろ、今は逆にこれからまだアメリカに滞在し、日本には当分住まないと思うと、自分が日本人らしさを失ってしまうときがあるんではないかと思います。他人に対する思いやり、気を遣うなど。
ハリケーンカトリーナのあとベトナム移民はいち早くニューオーリンズに戻り復興をなしとげたのに対し、なぜ黒人や白人グループはニューオーリンズに早く戻ってこず、ニューオーリンズから結果的に去る人も多かったのかと言うことをマーク先生と話しました。
私はそれはアメリカ人は個人主義だからだと思うと言うと、僕もそう思うけど、アジア人の孔子の思想が人と協力しあいベトナム移民コミュニティーの復興に大きく作用したんではないかなと言われました。
なるほど。仁、徳の世界がアジアではあたり前だからか。
逆にアメリカの個人主義がいいなと思うときがあります。他人をあまり干渉しない点です。
日本は大きくいうとhomogeneousな国(アメリカと違い人種が多く分かれていない)にはいるので、出る釘は打たれやすいし、他人の出世等に焼きもちをやいたりしやすいのかも。
こんなことをつらつら書いてしまったのですが、あくまで私個人が感じたことです。
海外に住んで6年目、今後ほかの国にも仕事などで住む可能性は多いにあり得ますが、自分のアイデンティティーが少しずつ変わっていっているような気がします。よい方向に変化すればよいのですが。
2015年1月20日火曜日
留学にかかる生活費
こんなに落ち着いていたら、あとで痛い目似合うのではないかとても不安です。パキスタン人の博士課程の同級生が、学期末にはスーパー忙しくなるから、今はエネルギーを貯めてたほうがいいと言っていたのに納得。今週はTake it easyにすることにしました。
今回のblogでは、アメリカでの生活費について書きます。このblogを書くひとつの目的は、アメリカで大学院留学を目指す方へ情報を発信することでもあります。メインのblogは私の徒然日記になっていますが。
ニューオーリンズは地方都市なので、物価はニューヨークやサンフランシスコに比べて安いと思います。私は学校まで自転車で20分の安全な住宅街のワンルームアパートで一人暮らしをしています。下記が私の1か月分の必要生活費です。
家賃 700ドル
光熱費(ガス代と電気代) 40ドル
食費 200ドル
雑費(洗剤やトイレットペーパーなど) 50ドル
携帯電話代 70ドル
交際費 50ドル
合計 およそ1110ドル
もしこれでルームメイトがいたら、もうちょっと家賃がおさえられると思います。私がMPH時代には3LDKの大きな家を借り、3人で割り月500ドルでした。ルームメイトがいるのは寂しくなくてよいのですが、私は一人のほうが気楽です。
700ドルで今住んでいる世田谷区のような場所に住むのは、かなり運がよいと言われます。治安がよい住宅街で一人暮らしをするには800-1000ドルはかかると思います。学校の寮でも870ドル(光熱費込み)くらいからだったような気がします。犯罪率が高いエリアは安いですが、夜暗くなるととても自転車では帰れません。車でも危ない。ニューオーリンズはアメリカでも上位に治安が悪いです。場所によりますが。
食費は毎日自炊です。お昼もお弁当を学校に持っていきます。Walmartと呼ばれるイトーヨーカドー、イオンみたいな大型スーパーで1週間分の食料を買います。時間がないときは学校の近くにある成城石井みたいな少し高めのスーパーで、買うこともありますが。
週末に何品か作り冷凍します。平日忙しくてご飯も作れないときがあるので。
外食は友達に誘われたときしか行きません。場所にもよるのですが高いです。チップを10-15%ぐらい払う必要があるので。
私はお酒も飲まず、タバコも吸わないのであまりお金はかからないほうかも。
授業で使う教科書は1冊くらいしか今まで買ったことがありません。専門書は100ドルするような本が多いです。
買わずどうしているかと言うと、図書館で教科書を貸りて、必要な章をコピーします。または無料PDFがオンラインでダウンロードできないか探します。先輩の学生に本を学期中だけ貸してもらったり、大学にある本屋でレンタルします。大体購入する値段の半額くらいで1学期レンタルすることができます。
本は買っても自分の専門外や授業後にも読み返しそうにないものは買う必要ないのではと思います。帰国するとき重くて捨てるか売るだけになるんじゃないかなと思います。
一年で生活費だけでも140万円くらいはかかりそうですね。マスターコースだと2年で280万円の生活費プラス授業料(45単位×10万円)、渡航費(一回の往復チケット15万円)、保険料(年間20万円×2年間)と合計800万円以上はかかりそうです。日本の田舎で家が買える金額です。。。
皆さん、給付の奨学金を獲得し留学することをお薦めします。
2015年1月11日日曜日
2015年あけましておめでとうございます
2014年は私にとっていろんな変化があった年でした。8月博士の学生として無事にニューオーリンズに帰ってきたことと、実は年末にミャンマーのヤンゴンで結婚式を挙げました。誰の結婚式?って思う方いらっしゃると思いますが、私の結婚式です。
ブログでは書いたことがなかったのですが、前職で出会い1年間お付き合いをしていたミャンマー出身の男性と結婚しました。今私はニューオーリンズに帰ってきましたが、夫は私が以前働いていた職場で今も働いています。この秋から一緒にニューオーリンズで暮らすことができればなと思っています。すべてはビザ次第です。ミャンマーの法律で結婚したため、日本の法律上での国際結婚の手続き受理(日本大使館で婚姻届をだしました)にまだ時間がかかりそうです。
2013年11月21日木曜日
先生はなぜ結婚しないんですか?
週に数日は結核に関連したフィールドリサーチにでかけ、週2日はミャンマー移民自治学校のEPIプログラム(拡大予防接種計画:Expanded programme on Immunization)のお手伝いをしています(健康の異常児がいないかをみたり、予防接種も一緒に打ちます。子どもたちが泣いて暴れるので戦争です。。。)。来週はWHOのEPIに関する会議があったりと予定が詰まっています。
今週、結核村でミャンマー人現地スタッフ(女性カウンセリングスタッフ)とおしゃべりをしていた時・・・
スタッフ「あいこ先生はいくつなんですか?」
私「今月で31歳になったよ。」
スタッフ「えー!先生若く見えますね!旦那さんは日本ですか?」
私「旦那さんはいません。まだ結婚もしてないからね。」
スタッフ「えー!31歳なのに?先生はなぜ結婚しないんですか?子どもを産む気はないんですか?」
私「ある!ある!(汗)日本はね、女性は30代で子ども産む人もいっぱいいるからね。」(ぐさり。胸に矢がささる)
ちなみにこの話をしていたスタッフはまだ23歳。バンコクで働いてるミャンマー人彼氏と結婚したいらしい。結核村で働く他の女性メディカルスタッフは22歳で1歳の子どもがいます。この国境で出会うミャンマー人の多くが20代半ばまでに結婚しているのではないかと思われます。
逆に30代で独身のミャンマー人女性医師には私のキャリア構築などの姿勢をみて「えー!まだ結婚する気あるの!?」と最近言われる始末。。。彼女はもう結婚する気がさらさらないようです。
まあ日本でも私の年齢は十分に結婚適齢期だと思います。メソトにいる日本のNGOで働く30代女性スタッフが集まればこの話題でもちきりです。日本の国際保健医療系の学生サークルや、看護大学等で講演すると、必ずと言っていいほど
「先生は彼氏いるんですか?結婚される予定はないんですか?」と聞かれることが増えてきました。
はじめは公共の場でこんな質問されて、吹き出しそうになったけど。学生さんは正直(苦笑)。
悲しいかな私は今のところ結婚する予定はありませんが(いつでもしたいですが)、国際協力の世界は未婚の女性で溢れているのが現実です。30~40代女性の方が私の周りでは活躍されていますが未婚の方が多いような気がします。
男性は結婚され、家族一緒に海外で住まれている方が多いような気がします。一方、数少ない女性で結婚されて、海外で活躍されている方の多くが国際結婚されているように思います。私の日本人コミュニティーは。
女性の高学歴化(国際協力バリキャリの人のほとんどが最低修士号を持ち、英語が話せる)、たくましすぎるのが未婚に関係するのでしょうか。
誰か国際協力と女性の未婚についての因果関係を研究してもらいたいくらいです。Prospective cohort study(前向き研究)で私をサンプルに使ってもらってもいいです(涙)。
途上国の人たちが家族団らんで笑いあっている姿(うちの家のタイ&ビルマ人家族も)をみると私もいつか!と思います。
みんなに支えられておかげさまで感謝の誕生日を迎えられました。30代も楽しかった!って振り返られるようあつみを持った30代にしたいです。女性としても!












