2015年12月31日木曜日

カンチャナブリ 戦場にかける橋

気がついたら珍しく1ヶ月以上ブログを更新していませんでした。11月から12月上旬までは猛烈に忙しく、リサーチアシスタントの仕事に加えて、クラスの学期末テストもありバタバタ過ごしていました。

期末のペーパーを提出後はアジアに直行しました。大阪の実家に数日間だけ立ち寄り、その後1週間はマーク先生とともにバンコクで開催されたワークショップに参加していました。メコン地域の研究者集まりのワークショップでgrant writingについてがメインでした。

ワークショップ中にマーク先生の研究地でもあるタイとミャンマーの国境のカンチャナブリを訪問しました。

カンチャナブリには旧日本軍が収容していた戦争捕虜によって建設された泰麺鉄道(タイとミャンマーを架ける鉄道)があります。その鉄道は今使われてはいないのですが、資料館があり鉄道に関する貴重な資料が保管されています。鉄道建設にあたり、劣悪な環境の中で何万人もの捕虜の方々の命が奪われたことがわかります。

タイのバンコクやアユタヤ遺跡を楽しむだけでなく、日本人としてカンチャナブリを訪問し歴史を振り返る必要性を学びました。




2015年11月23日月曜日

ミャンマーからあの人が。。。

気がついたら一ヵ月近くブログを更新していませんでした。この1か月間仕事が忙しかったのと、ミャンマーから夫が渡米し、11月上旬より一緒に暮らし始めました。結婚してから11か月目にしてやっと一緒に暮らすことができました。

夫にとって先進国で暮らすのははじめての経験です。ニューオーリンズの街並み、スーパーマーケット、ショッピングモール、ビル街などを見るたびに感動しています。夫を見ていてるとその驚きように私のほうが面白いです。

今は新しい生活にも慣れ、私と一緒にご飯を作ったり、洗濯、掃除などの家事を率先して夫が行っています。来年からニューオーリンズ市内にある公立の短期大学で英語を勉強する予定です(授業料が無料なのです!すごくありがたいです。私はニューオーリンズに住んで3年ほどたち、州税を支払っているので配偶者の授業料は無料になるそうです)。夫と私の会話は60%英語、30%ミャンマー語、10%日本語です。日常生活の英語に問題はないのですが、ネーティブイングリッシュスピーカーとためらいもなく何でも話せるようになることが目標みたいです。英語の読み書きも強化していきたいと言っています。

一緒に生活しはじめ、生活の質が上がった気がします。どんな忙しい時も一緒にご飯を作り、しっかりきちんと食べています。

さて秋学期終了まであと2週間。仕事も勉強も年末にかけてラストスパートです!


2015年10月25日日曜日

ミレニアム開発目標評価

ニューオーリンズにきて先週はじめて、2日間連続徹夜で仕事をしていました。忙しかった理由はUNFPA (国連人口基金)のコンサルの仕事です。客員助教の先生とともにUNFPAのプロジェクトをしており、12月までに全ての任されたプロジェクトを終わらせなければいけません。

内容は国連が掲げたミレニアム目標指標5(妊産婦の健康改善)の評価です。アフリカ23ヶ国 (東と南アフリカ地域が中心で、ケニア、エチオピア、ザンビア、レソトなどなど)の妊産婦に関する1990年から2015年までのデータを私ひとりで全て集めグラフを作るなどの仕事をしています。データはDHS、国連ミレニアム開発目標指標Webサイト、UNAIDSなどから集めています。先週作ったグラフ数は400近くです(汗)本当に疲れました。。。まだグラフを作っています。

ミレニアム開発目標は12月までに終了、評価され、今年9月に国連で採択された持続開発目標に移行される予定です。

ミレニアム開発目標の評価に関わり思ったことはグラフでみるとアフリカ23ヶ国の多くが妊産婦の健康改善に努めてきたことがわかります。達成できなかった目標はあったとしてもグラフでみればその変化は顕著です。

下のグラフは私が作った南部アフリカ地域10ヶ国の妊産婦の死亡率のグラフです。10万人の出産あたりに亡くなる妊産婦の割合を示しています。1990年アンゴラ(黄色ライン)では1400人近くのお母さんが妊娠出産に伴い亡くなっていたのに対し、2013年には500人近くまで下がっています。日本は10万人あたり4人のお母さんが亡くなる統計になっています。

勿論未だにこんなに沢山のお母さん達の尊い命が奪れているのは信じられない悲しい事実です。それでもなお、グラフでみると驚くほどに死亡率が下がっていることがわかります。

ミレニアム開発目標評価に関わるとは思ってもみませんでしたが、モニタリング評価をこれからも仕事の中心にしていきたいと思っているので、12月まで頑張って仕事と勉強を継続していきたいと思います!



2015年10月12日月曜日

引っ越し

先週の日曜日に引っ越ししました!無事に家が見つかりました。ニューオーリンズで一番安全な世田谷区(正式名はGarden District)です。実は同じ大家さんで新しいアパートは前のアパートの隣りです。このアパートに移るまで5件ほど物件を見ました。

1000ドル以下で安全な地域で、ガスコンロがある1bed room & 1 bathroomの物件はどこも汚かったです。。。日本の標準がきれい過ぎるからどこみても汚く見えました。日本人の清潔は世界一だと思います。汚れがあり、きれいでない物件でもアメリカ人的には住めればオッケーなんだなと学びました(*_*)

新しい家は5件ほど視察した後にたまたま今の大家さんにばったり会い、家は見つかったのか聞かれ、大家さんが持っている他のアパートに空き部屋がでたから見てみないかと言われたのがきっかけでした。

あんまり期待はしてなかったのですが、なんと820ドルで、そこそこきれいな1bedroom&1bathroomであり、かつガスコンロ付き、世田谷区地域内と私の希望条件を全て満たしており、引っ越しすることに決めました。

先週はリサーチアシスタントの仕事が猛烈に忙しく、引っ越しして一週間目の本日徹底的に掃除をしました。うーん、やっぱり日本の業者さんのクリーニングレベルは世界一だと実感せざる終えないアメリカの引っ越しでした。

2015年9月27日日曜日

家を探し中

今新しい家を探し中です。今住んでる家はアパートでstudioという間取りです。独り暮らし向けの1DKと言ったらわかりやすいかもしれません。

11月からやっと夫とともに暮らし始めることもあり、1 bedroom & 1 bathroomの家、あるいはアパートを探しています。10月中に引っ越す予定です。予算は900ドルまでで、安全な地域でガスコンロがあり、白ありがでなさそうな家を探してます(汗)。今の私のお城は700ドルです。ほとんどの賃貸が冷蔵庫、洗濯機、レンジがついてきます。これは助かる。

安全な地域で1bedroom&1bathroomはいくらでもあるのですが、1000ドルを越える物件ばかりで苦戦しています。アメリカでは安全はお金で買うものです。安全な地域は白人ばかりです。治安が悪い地域であればいくらでも安い物件はあります。そのような地域で銃撃をみたり、銃声を聞くことはまれではありません。私の大学院の友達で治安が悪い地域に住み、お隣さんが銃殺されるのを見てPTSD(心的外傷ストレス症候群)にかかり、学校を辞めた女の子がいました。ニューオーリンズ、本当に治安が悪いんです。crime mapをインターネットで見れば背筋が凍ります。

私もそんなアドベンチャーを経験するなら、白ありがいても安全な地域に暮らしたいです(。>д<)

物件を探しのソースはcraigslistというアメリカ人なら誰でも知っているというwebsiteです。物件を見る前に必ず治安を調べること、友人などにも聞くようにしています。不動産から中古の家具、車の売り買いまで誰でも参加できるwebsiteなのですが、独りで知らない人に会わない、公共の場所で会うなど注意が必要です。事件に巻き込まれることもあります。

週明け気になっている家を見にいきます。いい家がここ数週間で見つかりますように。。。

2015年9月15日火曜日

生と死の狭間で

欧州の難民受け入れのニュース、毎日気になって読んでいます。

私も早く現場にでて、難民支援に関わりたいです。人口の半分近くが家を失うなどして、移動を余儀なくされ戦禍から逃げるシリアの人びと。今日New York Timesでシリアの特集が掲載されていました。下記がリンクです。衝撃的な写真があり、涙なくては見れません。

Death in Syria

記事の始まりに国連のオフィサーの強烈な
コメントがありました。 “Everyday decisions —whether to visit a neighbor, to go out to buy bread —have become, potentially, decisions about life and death (隣人を訪問したり、パンを買いに外出したり、そういった毎日の決断が生と死を決断しているようなものだ).”

これはISISの攻撃だけでなく、アメリカによる空爆でもたくさんの罪のない人びとの命が毎日のように奪われ、彼らが生と死の狭間で生きていることを訴えかける記事です。

今アメリカに第三国定住をした難民についての本を読んでいます。海や川を泳いで、あるいは船の中に隠れて命懸けで新たな国を目指してきたベトナム難民、カンボジア難民などの話しです。壮絶を越えるような体験をしてきた難民の人達。

一日も早く博士課程を卒業して現場で働きたいと思わずにはいられない今日この頃です。

2015年9月14日月曜日

2015年秋学期

秋セメスターが始まり半月が経ちました。ニューオーリンズは暑さが和らぎ過ごしやすい毎日です。このセメスターはフルタイムの学生として博士課程最後のコースワークです。冬に4単位とる予定ですが、次のセメスターは総合試験の準備にほとんどの時間を費やす予定です。

今セメスターの科目は下記です。
Monitoring and Evaluation of Maternal  and Child Health (母子保健のモニタリングと評価) 3単位
Qualitative Analysis(質的分析) 3単位
Introduction to GIS (GIS入門) 1単位
Women's issues in developing countries (途上国における女性問題) 1単位
Independent study (自主研究:カレン族難民の健康問題と医療機関へのアクセス)1単位

計9単位です。今までのセメスターの中で一番難易度が低いです。難しい科目は前年度に取りおえたので。

これに加えて、まだアフリカの家族計画とHIVのリサーチアシスタントを今月末までしています。来週にプロジェクト本部のUSAID(米国開発庁)の家族計画課とSkype会議があります。無事に仕事が終わるか本当に心配。。。ベトナム移民の健康ニーズ報告書は終わりニューオーリンズ市役所に提出し、レポートが一般市民向けに公開される予定です。

そろそろまた新しい仕事を探そうかなと思ったところに、同じ博士課程を卒業したマーク先生の教え子で特別講師の先輩から連絡があり、仕事のオファーをもらいました。なんとまたアフリカの家族計画(縁があります)。UNFPA(国連人口基金)のコンサルの仕事です。うまく始めればこの12月までUNFPAのコンサル、プロジェクトアシスタントとして働く予定です。データの分析とinfographicsがメインの仕事で未知の世界ですが、仕事で成果が出せるよう頑張りたいと思います。

2015年9月8日火曜日

海外大学院留学のための給付型奨学金

9月に入り新しい学期が始まりました。来年の秋の入学を目指して、留学の準備されている方のお役に立てたらと思い、私が修士課程の時にいただいていた奨学金と今現在の奨学金について書きたいと思います。2つも給付の奨学金をいただけたのは本当に幸運なことで、今の円安時に奨学金なしでは私の留学は不可能だったと思います。

①独立行政法人日本学生支援機構 海外留学支援制度(大学院学位取得型)
http://www.jasso.go.jp/scholarship/long_term_h.html

今、博士課程の授業料、月の生活費をいただいています。期間は3年間。日本学生支援機構と聞いて貸与では?と思う方いるかもしれませんが、給付で返済不要です。官民連携の国費の奨学金で、もともとは文科省が実施していました。

給付:年間250万円上限の授業料と月額89000円から148000円の生活費。生活費は地域によって異なる。
支給期間:修士2年。博士3年。
募集〆切:例年11月
結果:書類審査1月あたり
         面接審査2-3月あたり
年齢:修士35歳まで。博士40歳まで。

倍率は他の奨学金と比べ低めです。応募資格や倍率などの詳しい内容はホームページを御確認下さい。注意点をあげるとしたら、締め切りギリギリに書類の準備をすると大変なことになります。たくさんの書類を準備する必要があるので計画的に準備をされることと、GPA(直近の成績)にあしきりがあるので受験資格にも要確認です。

②ロータリー財団グローバル補助金
https://www.rotary.org/myrotary/ja/take-action/apply-grants/global-grants

私はこの奨学金ではなく、ロータリー財団国際親善奨学金(27000ドル)をいただきました。グローバル補助金の内容はホームページを確認してもらうことと、近くのロータリークラブに尋ねた方がよいです。ロータリーの重点分野(水と衛生、母子保健など)で勉強する必要があります。国際保健を勉強する人にはおすすめです。

おそらく奨学生は地区から選出されます。私の前の奨学金と同じ流れだと思います。本籍や住居地近くのロータリー地区で募集がないか調べ、地区にあるロータリークラブから推薦してもらう必要があると思います。地区内によって様々かと思いますが書類、語学審査、論文試験、英語の面接があると思います。締め切りも地区によってそれぞれ。東京や大阪は受験者数が多いので倍率が地方より高めだと思います。地方に本籍がある方は地方で受験された方がよいかもしれません。

2015年8月30日日曜日

ニューオーリンズ、ハリケーンカトリーナから10年目を迎える


10年前の2005年8月29日ニューオーリンズ史上に残る大きな災害により、約2000人近くの尊い命が奪われました。

ハリケーンカトリーナ被災後10年に関する催しものがニューオーリンズ市内各地で開催されています。8月27日にはオバマ大統領がニューオーリンズを視察、今週末はブッシュ元大統領、クリントン元大統領もニューオーリンズを訪問されています。

ニューヨークタイムズにカトリーナに関するドキュメンタリーフィルムが掲載されていました。この10年の間にいったいニューオーリンズに何があったのかビデオに映し出されています。

New Orleans, 10 Years After Katrina

ハリケーン直後1ヶ月は街がゴーストタウンになり治安は物凄く悪かったそうです。あれから10年街は復興したものの、市内、市外には廃墟となった家やビルがまだあります。またハリケーンによりさらに地域住民、特に白人、黒人の格差は広がったままです。まだ課題は残されています。

写真はカトリーナ10周年イベントよりミュージジックバンドが演奏して、街の人たちとともに踊っている写真です。日常的に街中が音楽に溢れて、街の人びとがダンスするのはアメリカではニューオーリンズしかないでしょう。

2015年8月17日月曜日

ハリケーンカトリーナとベトナム移民

ニューオーリンズに帰ってきました。タイのあの穏やかな日々は夢だったのかしらと思うくらいに猛烈に働いています。8月24日から授業が始まるのでそれまでに仕事を片付けたいと思います。

本日のニューヨークタイムズの論説に私の指導教授マーク先生の記事が載っています。内容はポスト・ハリケーンカトリーナとベトナム移民の成功です。下がリンク先。
http://mobile.nytimes.com/2015/08/16/opinion/sunday/post-katrina-vietnamese-success.html

今月末でニューオーリンズはカトリーナからの被災後10年目を迎えます。それに関連した大きなカンファレンスが大学院内で開催される予定です。ハーバード大学やニューヨーク大学、ミシガン大学など大物ゲストスピーカーが来る予定です。開催者はマーク先生。師匠を補佐すべく私はボランティアとしてカンファレンスの裏方にまわる予定です。

2015年8月6日木曜日

夏休み in Thailand

2週間リサーチアシスタントの仕事はお休みをいただき7月末からタイに来ています。

やっぱりタイ最高です。夫と半年ぶりに再会し、ホアヒンというビーチに旅行に行きました。ホアヒンはタイの王室の避暑地として有名です。日本人の観光客にはあまり知られていませんが、古い町並みで比較的旅行客も少なく静かです。

ホアヒンに行くには電車(約4時間)あるいはミニバン(約3時間)が一般的なようです。私たちはバンコクから電車に乗っていき、帰りはバンにのりました。写真はバンコク駅にて。




ホアヒンの静かな海。雨季のため海がブルーでなくて残念。


今は私の第二の故郷、国境の町メソトです。今回の旅は学校の研究費補助金をいただいてきているので、名目は博士論文の研究内容を固めるためです。将来研究に協力していただけるよういろんな方にお会いしているのですが、この訪問でメソトで研究をするのかテーマを変えてアメリカで研究するか決定する予定です。私としてはこのメソトで研究したいという気持ちが強いのですが、すべては担当教授のマーク先生と話をして決めます。先生を納得できるような収穫をこの旅で成し遂げたいと思います。




2015年7月19日日曜日

孤立する日本

このテーマを書こうかどうか迷っていましたが、戦争、難民問題に関心があるので書こうと思います。

安全保障関連法案が先週可決されました。あっという間に可決されびっくりしました。夏までに法案を通すと米国議会にスピーチで約束した首相。 
アメリカではこの日本の法案を快く受け止めているように感じます。ニューヨークタイムズの記事やアメリカ人のコメントを見てわかります(下に記事)。


アメリカ議会でのスピーチや記事を読んでまるでアメリカはジャイアン。日本はスネ夫のような子分に感じてしまいました。

私がこの法案に対してどのように受け止めているかは別として、違憲だと散々非難されたのに強行採決されたのでは最高法の憲法の意味が全くないのではないかと思っていました。こんなに急いで可決するとはジャイアンにプレッシャーをかけられたのか?

首相、日本政府がこの法案を通したかったのであれば憲法改正からすべきだったと思います。
仮想敵国の中国やイスラム国に侵入されたらどうするのか、戦争はしたいくないなど色々議論はあると思います。この点のうち、中国との外交について私の意見を述べたいと思います。

日本は中国を威嚇する外交から経済の強靭なパートナーとして関係を強固するべきだと思います。どれだけ日本が防衛しても、軍でも経済の面でも到底、勝てる相手ではありません。アメリカに留学して3年たち思うのは野心を持った優秀な中国人留学生の数の多さです。アメリカのアジア人人口で一番多いのは中国人、次いで韓国人です。留学をしてる私が言うのもなんですが、日本の経済は中国と反対にどんどん衰退して行くでしょう。優秀な日本人留学生の数は中国の留学生15-20分の1、もっと比率は小さいと思います。中国はいつか経済バブル崩壊に陥るかもしれませんが、今世界中の投資家にとって魅力な市場です。日本が中国にとってアメリカのようになくてはならないパートナーになり、Win Winの関係を作れば侵略の危機にびくびくすることも減るのではないのでしょうか。

今の中国人留学生の大半が安倍首相を嫌いです。これはまずいです。

この法案が最終決定された場合、懸念するイベントはアメリカの大統領選です。2016年オバマ政権は終了し、新しい大統領が決まります。もし共和党の戦争好きなブッシュ大統領のような人物が大統領になればアメリカから日本も戦争に参加してくれないかと言われる日が近い将来来るでしょう。そしてジャイアンの要求にスネ夫は逆らえない((((;゜Д゜)))

アメリカに住んでからイラクで地雷を踏んで事故に合い耳の聴力を失った米国人、アフガニスタンに派遣され気性が荒くなった米国人の学生さんに会いました。どちらも今の大学の生徒でした。アメリカにいると戦争が本当に身近に感じます。戦地に派遣されるアメリカ人、戦争で逃げてきた多くの難民が住む国、アメリカ。日本も近い将来アメリカみたいな国になるのか?ぞっとします。日本学生支援機構の奨学金が返済できないなら戦地へ行って下さいみたいなお手紙が来る日があるかもしれません。。。

私の意見は法案を白紙に戻して、憲法改正の根本的なところから話し合いをしてほしいです。憲法改正が必要か今はわかりません。でも戦後70年目議論する余地はあると思います。

2015年7月13日月曜日

アフリカの家族計画とHIV/AIDS

この夏私が毎日考えてるのは、アフリカの家族計画とHIV問題についてです。この仕事はUSAID(米国開発庁)から委託されたものであり、USAIDはアフリカの出生率が高い国で様々な家族計画に関するプログラムを実施しています。

私が担当してみている国はザンビア、ウガンダ、ナイジェリア、タンザニア、マラウイです。これらの国は一生涯に女性が産むこどもの数が5人ほどであり、人口増加が問題になっています。日本の女性が一生のうちに産む赤ちゃんの数は1.23。日本は高齢化、人口現象が問題視されているのにアフリカは人口が多すぎて困っているなんてところ変われば事情が違うもんなんですね。。。

その出生率が高いアフリカの5つ国は同時にHIVの有病率(国民の10人につき1人はHIV罹患者という感じ)も高くて困っています。この家族計画とHIVの治療、診断などのサービスをひとつの病院やクリニックでできたらいいのになという考えが私の仕事に関係しています。

HIVを持つ患者さんは将来妊娠したいのか、赤ちゃんがHIVポジティプで産まれてきてもよいのか考えるのが一般的です。たくさんのアフリカで調査された研究論文を読んだところ、90%近くのお母さんはHIV感染を知ってから新たな妊娠は望まないそうです。ですがそれでも妊娠してしまうHIVポジティプのお母さんが多いのが現状です。理由は性交渉時に確実な避妊をしていないから(本当は避妊用ピルやコンドームを使用したいのにないから)。

HIVクリニックに行ってコンドームをもらえたとしても、文献によるとコンドーム使用から妊娠する確率は10%近くあります。なので家族計画の視点から国際的にはHIV患者さんで妊娠を望まない場合、2つ以上の避妊方法の同時使用を勧めているのですが、なかなかうまくいきません。

そして問題なのはHIVクリニックで家族計画のサービスが整っている場合は多くなく、避妊用のピルをもらったり、精管切除などその他の避妊方法を受ける場合は家族計画専門のクリニックに行くや大きな医療機関に受診しなければいけません。それがスムーズにいかないのです。。。

一度一ヶ月ほどアフリカにいたので想像がつくのですが、首都以外の場合HIVの患者さんがコンドームをHIVクリニックでもらえたとしても、そこから何十あるいは何百キロと離れた家族計画専門のクリニックに行くかはかなり疑問です。貧しく車もない、仕事も休めない、わざわざ別の日にまた遠くの医療機関に受診するのは苦難です。HIVクリニックですら、ちゃんとコンドームがあり、病院の転送案内を出してくれるかも謎。

また問題なのはUSAIDは家族計画を支援するけどHIVは違う米国政府機関(PEPFAR)が支援しています。世界のHIV関連に関わる寄付の半分はPEPFARがしています。このUSAIDとPEPFAR自身も別々の動きをしているので、一貫した家族計画とHIV関連がコラボされたサービスが提供できていません。

2015年秋に国連が掲げていたミレニアム開発目標が評価され、ポストミレニアム開発目標としてサステナブル開発目標が決まっています。内容は世界の人口増加が加速し、資源が枯渇しないようにするにはどうしたらいいか、都市化問題、人口の移動(私の時代が来てます(о´∀`о)ノ。なぜなら私の専門はMigration and Health:移住と健康)などです。アフリカの人口問題が落ち着くかどうかが焦点になっているので、人口学が気になる私としては目が離せません。

こんな感じで、毎日レポートを書いたり、文献読んだりしながら「この要求は今のアフリカには無理やでー(´д`|||)」と毒を吐きながら仕事してます。

そして仕事のやる気を上げるためにアフリカで撮影されたミュージックビデオをたまに鑑賞。"Am I Wrong"と曲はずっと前アメリカでも流行ってました。ジンバブエとボツアナで撮影されたそうです。自然の美しさに圧倒。


2015年7月6日月曜日

カレン族の今@ヒューストン

金曜日と土曜日の1泊2日間、ヒューストンに滞在していました。無事に倫理委員会から研究許可がおり、調査が始まりました。今回の滞在目的はカレン族出身のリサーチアシスタントとともにカレン族家族のお家を訪問し、質問表をもとにデータ収集をチェックするというものです。

4軒のカレン族のお家を訪問したのですが、彼らが直面する問題の大きさに撃沈してしまいました。

どの家庭も非常に貧しく、メディケイドというアメリカ版生活保護を受けていました。そのメディケイドの更新方法がわからずリサーチアチスタントに助けを求める場面もありました。

訪問したひとりのカレン族のお母さんは話しの途中で泣き出してしまいました。英語は全く喋れず隣人の黒人やメキシコ人たちにからかわれる、カレン語すら読み書きもできない、毎月家賃が払えるか不安で育ち盛りのこどもに満足にご飯を食べさせあげることもできない。難民キャンプでは困ったときは家族、親戚、友人に頼ることができたのに今は誰も頼る人がいないと等々。

このカレン族の家族らが住む地域は実はあまり治安がよくなく、今まで少なくとも2人のミャンマー出身の難民が強盗に合い射殺されるという事件がありました。私がここに住まなければいけないと言われたら精神的に参りそうです。

最近は難民を支援するNGOの活動が手薄になっており、難民がアメリカに到着したら必ず受けなければいけない語学学校についてNGOから案内されることもなく、語学学校に通ったことがないカレン族難民もいました。ヒューストンがあるテキサス州だけで年間7000人近く世界各地から難民を受けいれているのでNGOが多くの難民の生活をフォローしきれていないのかもしれません。

また今回の滞在で考えさせられたのは、精神疾患についてです。難民キャンプの中やミャンマー国内で診断を受けることなく、アメリカにきて統合失調症と診断された人がいました。その統合失調症を持った患者さん家族は渡米後症状が悪化し大変だったそうです。

難民がよく抱える心的外傷ストレス障害と判断が見分けにくいのですが、精神疾患や知的障害をもって渡米する難民も実は結構いるのではと思います。難民キャンプやメータオクリニックでも受診し適切に精神疾患の診断を受けている人はどれくらいいるのだろか疑問です。

また悶々と考えていたのですが、私もアメリカに初めて住み始めた当時ホームシックにかかり今だから言えるのですが、早く日本に帰りたく仕方ありませんでした。しかし難民として渡米してきた彼らにはもう帰る場所はなく、アメリカで第2の人生を歩むしかないのです。ジャングルの国内避難民エリアに産まれ、内戦で家族や友人を失い、教育の機会も失った彼らにとってアメリカでの新しい人生はそう簡単なものではありません。

世界の不公平さに憤りを感じ、何もできない自分に虚しさを感じてしまいました。

写真はヒューストン空港内と調査を行うリサーチアシスタントとカレン族のお母さん。ひざには3歳のお子さんを抱えています。

2015年6月28日日曜日

Take me to church

今週は米国で大きなニュースがありました。最高裁判所が同性の結婚を全州で認めるというものです。これで米国での同性結婚は合憲になり、歴史的なニュースに米国中は盛り上がっています。

米国の多様性を受け入れる姿勢はすごいです。ニューオーリンズはとてもリベラルな街なので同性カップルが街で手をつないで歩いていても、みんなびっくりしません。マルディグラのパレード中にはゲイパレードもあります。

驚くべきかこの大学院で勉強する男子学生はゲイの人が多いと思います。HIV/AIDSに興味がある人が多いから?途上国で働きたいという母性がある男性が多いから?理由はわかりませんが、HIVのMonitoring and Evaluationの授業を取っていた修士課程時代は男子クラスメートの半数がゲイでした。それをオープンにしているので私たちもなんとも不思議には思っていません。女性陣には残念な話ですが、大学院のゲイ学生はイケメンが多いです。卒業したイケメン同士のカップルを知っていますが、男前過ぎて美しく、まぶしいです(冗談じゃなくて、本当!汗)。

私は人間誰しにも人を愛する権利があり、それを他人に邪魔されるのは人権侵害だと思うので同性結婚には賛成です。日本はHomogeneou(同種な)が好きな人が多いから、同性愛者というマイノリティーにはなかなか目を向けるのが難しいんだろうなと海外にいて思います。

そして日本の同性愛者の多くがそれを周りに告白することができず、社会規範(結婚して家庭を築く etc)などに精神的に苦しめられてるのではと思います。
こんなに海外で同性愛者の友達が私の周りでいっぱいいるのに、日本人の友人ひとりが同性愛者と告白するまで、私の友人が同性愛者であるということを長年知らなかったこともありました。

Take Me To Church という曲が最近までアメリカ、全世界でヒットしていたことをご存知でしょうか。アイルランド出身の歌手が歌っており、宗教と同性愛に関して訴えかける曲です。もし自分が一人の同性愛者だったらと社会が考えられるようになれば、みんな幸せになれるのになと考える米国のニュースでした。





2015年6月21日日曜日

世界難民の日


6月20日は世界難民の日でした。私はミャンマーからの難民、移民をはじめとし、世界で困難に直面している難民、移民の健康を守る仕事をプロとしてしていきたいと思っているので今年の世界難民の日もいろいろと考えていました。

先日大学内で社会学部生向けの授業、Immigration Policy(移民政策)というコースでゲストレクチャーとして授業をさせてもらいました(特別講師として英語で1時間授業をさせてもらうのは初めてで緊張しましたが)。内容は「カレン族難民と健康」でした。

ニューオーリンズにはカレン族の難民が住んでいないので、学生さんのほとんどがカレン族の存在を知らなかったのですが、授業では活発なディスカッションが進み、世界中から難民、移民を引き受けるアメリカの学生さんたちが将来カレン族の難民を身近な存在として感じてもらえたらなと思いました。

写真はタイとミャンマー国境にあるメラ難民キャンプの小学校授業風景。

 

先週ニューヨークタイムズに載っていた記事が世界の難民問題について写真とともにわかりやすく伝えているのでリンクを載せたいと思います(下記)。
 

国連の調べによると難民の数は第2次世界大戦後、過去最多だそうです。その多くはシリア、イラクからの難民をはじめとし世界中に散らばっています。
ニューヨークタイムズの記事ではミャンマーからのロヒンギャ難民についても掲載しています。

アメリカにいると多様なバックグランドをもった人たちと出会います。
イラク、ベトナム、ミャンマーから第三国定住した友人たちにアメリカで知り合うことができました。

大学院内で出会った私の仲の良いアフガニスタン人の女の子は、タリバン政権時代にアフガニスタンの中で教育を受けることができなかった(タリバン政権は女性の教育を禁じている)ため、家族とともに隣国のパキスタンに移動し、10年間母国から離れるほか選択肢がなかったと聞きました。

同じ大学で修士課程時代に出会ったシリア人の医師はいったい今どこにいるんだろうともあのシリアの内乱当初からずっと考えています。

今は大学院の中で勉強することしかできませんが、難民、移民の健康問題に携わるべく早く現場で仕事がしたいです。