またまた出張です。最近1ヵ月に一度はバンコクあるいはミャンマー国内へ出張しています。飛行機に乗る回数が多いです。飛行機嫌いの私にはつらいです。小型便に乗り揺れる度に半泣き状態です。客室乗務員のお姉さんの冷静さにいつも尊敬。揺れてる中よく笑顔でお客さんにサービスできるわ~と感心(いや、私が揺れる度に動揺しすぎなのでは苦笑)。
今はバンコクのドムアン空港です。夜行バスで早朝バンコクへ着き、バンコクにある本部へ立ち寄りパスポートをピックアップし(バンコクにある職場の本部がミャンマー入りのビザの手配をしてくれました)、今飛行機待ちです。
本当は飛行機待ち時間、拡大予防接種計画の論文を書き始めなければ!と思っていたのですが、眠くて断念。来週あたり上司に内容を見せなければならないのですが、夜行バス明けで眠いし、バンコクの炎天下を歩きまわり疲れたため、ブログを書いています(仕事放棄!)
飛行機の待ち時間中にミャンマー人の女性がミャンマー語で声をかけてきました。
女性「あなたもヤンゴンに行くのよね?」
私「はい。雨が降ってるので遅くなるかもしれないですね。」
女性「予定の搭乗時間を10分過ぎてるもんね」
「トイレ行ってきても大丈夫かしら?」「タイには何してるの?仕事?」などたわいのない話をしていると・・・
女性「あなたシャン州(ミャンマーの)出身よね?」
私「言ったかもしれないけど、私は日本人ですよ。」
女性「そうなの?日本人がそんなミャンマー語話せるわけないじゃない?シャンに違いないと思ってたわ。」
おいおい。バンコクの空港でタイ人がたくさんいる中で、どれだけ私はミャンマー人オーラを出してるのだろうと感じられずにはいられませんでした。
ミャンマー国内でもシャン州出身でつき通すか。前回はカチン族のふりをしてました(カチンの服を着ていたので)。。。
2014年5月6日火曜日
2014年5月2日金曜日
Pedagogy of the oppressed -国際協力の視点-
あっという間に5月ですね。Time is going faster and faster...
仕事もあと3か月を切り、こんな感じで全ての仕事を終わらせることができるのか日々プレッシャーです。特に拡大予防接種計画(EPI)プログラムの評価が大変で、昨日は副所長さん(オーストラリア人)であるプロジェクトの上司と夜10時半までEPIの評価レポートを作成していました。遅くまで仕事をしていましたが、上司が本当に素敵な女性で一緒に仕事をしていてとても元気がでます(二人とも昨晩はややハイテンション)。
今の仕事は上司にも恵まれ、とても勉強になります。ただ思うのは私したい国際協力の形って何なんだろう?と最近よく思います。
職場の米国人の友達に借りて読んでいる「Pedaogogy of the oppressed」Paulo Freire著はよくその私の疑問をとらえていると思います(この書籍は少しdenseです)。
今の職場は欧米諸国出身の医師が多くを占め、職場のデスクは本当に外国人ばかり。昔の私なら「めちゃくちゃインターナショナルな職場!かっこいい!」と夢をみていたかもしれません。
でも最近はちょっと違うんではないかと思いはじめています。私の上司であるフランス人の所長さんとオーストラリア人の副所長さんは本当に素敵な上司で、一緒に仕事をしていて苦でなく楽しいです。2人はこの職場につとめて20年あまり。ローカルスタッフの気持ちがよくわかっています。
その2人や少数の長期の欧米諸国のスタッフを除いて、海外から来た医師や研究者は、ローカルスタッフを上から見ているのではないかと思うのです。彼らが無意識に気づかないうちに。ローカルスタッフには自己紹介もしないし、挨拶もしない人もいます。もし白人同士だったら挨拶するだろうにと思うことが多々あります。
紹介した書籍のThe oppressed(抑圧されている人々)というのはローカルスタッフを指します。
書籍を簡単に説明すると欧米人が植民地支配をし、開発という名の下にローカルの人々をないがしろにしてきた。その植民地支配が終わった今でも、ローカルの人々の声をちゃんと聞いているのか?と言う点を書籍は投げかけています。
私はよく「何のために働いているの?自分のため?貧しい人を救うという正義感、優越感に浸ってるのか?本当にローカルの人たちと向き合い、一緒に問題解決しようと思っているの?誰がこの土地の主人公なの?」とよく思います。
もちろん、自分もThe oppressor(支配する側)になっているかもしれません。
この職場がイギリスの大学から形成され、またドナーもEUやイギリス政府等です。お金の関係からもDecision makerが欧米人になり、欧米優位になってしまうのもしょうがないかもしれません。
この職場は博士課程中も大変お世話になると思います。ですが将来私がフィットしているなと感じる職場ってどこにあるのだろう?といろいろ考える今日この頃です。
仕事もあと3か月を切り、こんな感じで全ての仕事を終わらせることができるのか日々プレッシャーです。特に拡大予防接種計画(EPI)プログラムの評価が大変で、昨日は副所長さん(オーストラリア人)であるプロジェクトの上司と夜10時半までEPIの評価レポートを作成していました。遅くまで仕事をしていましたが、上司が本当に素敵な女性で一緒に仕事をしていてとても元気がでます(二人とも昨晩はややハイテンション)。
今の仕事は上司にも恵まれ、とても勉強になります。ただ思うのは私したい国際協力の形って何なんだろう?と最近よく思います。
職場の米国人の友達に借りて読んでいる「Pedaogogy of the oppressed」Paulo Freire著はよくその私の疑問をとらえていると思います(この書籍は少しdenseです)。
今の職場は欧米諸国出身の医師が多くを占め、職場のデスクは本当に外国人ばかり。昔の私なら「めちゃくちゃインターナショナルな職場!かっこいい!」と夢をみていたかもしれません。
でも最近はちょっと違うんではないかと思いはじめています。私の上司であるフランス人の所長さんとオーストラリア人の副所長さんは本当に素敵な上司で、一緒に仕事をしていて苦でなく楽しいです。2人はこの職場につとめて20年あまり。ローカルスタッフの気持ちがよくわかっています。
その2人や少数の長期の欧米諸国のスタッフを除いて、海外から来た医師や研究者は、ローカルスタッフを上から見ているのではないかと思うのです。彼らが無意識に気づかないうちに。ローカルスタッフには自己紹介もしないし、挨拶もしない人もいます。もし白人同士だったら挨拶するだろうにと思うことが多々あります。
紹介した書籍のThe oppressed(抑圧されている人々)というのはローカルスタッフを指します。
書籍を簡単に説明すると欧米人が植民地支配をし、開発という名の下にローカルの人々をないがしろにしてきた。その植民地支配が終わった今でも、ローカルの人々の声をちゃんと聞いているのか?と言う点を書籍は投げかけています。
私はよく「何のために働いているの?自分のため?貧しい人を救うという正義感、優越感に浸ってるのか?本当にローカルの人たちと向き合い、一緒に問題解決しようと思っているの?誰がこの土地の主人公なの?」とよく思います。
もちろん、自分もThe oppressor(支配する側)になっているかもしれません。
この職場がイギリスの大学から形成され、またドナーもEUやイギリス政府等です。お金の関係からもDecision makerが欧米人になり、欧米優位になってしまうのもしょうがないかもしれません。
この職場は博士課程中も大変お世話になると思います。ですが将来私がフィットしているなと感じる職場ってどこにあるのだろう?といろいろ考える今日この頃です。
2014年4月4日金曜日
バンコクなう。
また最近ブログを更新していませんでした。
月曜から土曜までぎっしり働かないと渡米前まで2つのプロジェクトのペーパーを終えられそうにありません。このまま忙しく7月末になりそうです。拡大予防接種計画のプログラム評価がひとつの仕事なのですが、対象が16000人の子どもたち。不揃いなデータ等をきれいにしてから分析なので、大変。
質的評価は国境の結核コントロール、量的評価は予防接種プログラムと全然違う評価なのですが、毎日勉強になります。フランス人(結核評価)、オーストラリア人(予防接種の評価)の上司が本当にいい人で、丁寧に仕事を教えてくれるので素晴らしい環境で働かせてもらえていることに感謝です。
本日のブログはバンコクからレポートしています。今回は質的研究の分析トレーニングをバンコクの本部で受けました。トレーニングを受けて新たなことをまた学べたので、刺激になりました。いつもEメールベースでやりとりをしている本部の方々にも会え挨拶できてよかったです。
明日はどうやらバンコクで大きなデモがあるらしいです。デモに巻き込まれないようにバンコク市街を早めにでて、メソトへ戻ります。
もうすぐタイは水かけ祭りの正月が始まります。メソトも水かけ戦闘モードに来週あたりからなるのでは。。。恐ろしい。日本は花見かな・・・うらやましい!
久々に都会の刺激を受けて満足。バンコクにいると散財してしまうので、数日でメソトへ帰るのが調度です。
月曜から土曜までぎっしり働かないと渡米前まで2つのプロジェクトのペーパーを終えられそうにありません。このまま忙しく7月末になりそうです。拡大予防接種計画のプログラム評価がひとつの仕事なのですが、対象が16000人の子どもたち。不揃いなデータ等をきれいにしてから分析なので、大変。
質的評価は国境の結核コントロール、量的評価は予防接種プログラムと全然違う評価なのですが、毎日勉強になります。フランス人(結核評価)、オーストラリア人(予防接種の評価)の上司が本当にいい人で、丁寧に仕事を教えてくれるので素晴らしい環境で働かせてもらえていることに感謝です。
本日のブログはバンコクからレポートしています。今回は質的研究の分析トレーニングをバンコクの本部で受けました。トレーニングを受けて新たなことをまた学べたので、刺激になりました。いつもEメールベースでやりとりをしている本部の方々にも会え挨拶できてよかったです。
明日はどうやらバンコクで大きなデモがあるらしいです。デモに巻き込まれないようにバンコク市街を早めにでて、メソトへ戻ります。
もうすぐタイは水かけ祭りの正月が始まります。メソトも水かけ戦闘モードに来週あたりからなるのでは。。。恐ろしい。日本は花見かな・・・うらやましい!
久々に都会の刺激を受けて満足。バンコクにいると散財してしまうので、数日でメソトへ帰るのが調度です。
2014年3月11日火曜日
渡米まで5か月
気がつけば約1か月以上ブログを更新していませんでした!ブログをフォローして下さっている皆さん、ご心配をかけてすみません。おかげさまで元気に研究所で働いています。
実は2月は10日間ほど大雪だった日本に帰っていました。下は証拠写真です。ちなみに現在タイは日中摂氏30度は超えております。
今回の帰国の目的は奨学金の面接でした。給付型の奨学金の1次試験であった書類審査に通り、2次試験の面接を受けに行きました。
面接から数週間がたち、先日無事に採用通知を受け取りました。この奨学金は官民が協力した海外留学支援制度という奨学金です。授業料と生活費を原則3年間支給していただけることになり、無事にこの8月博士の学生として渡米することになりそうです。
米国の担当教官マーク先生にも早速報告し、とても喜んでくれていました。
あとは7月末まで研究所で働きながら渡米準備をする予定です。7月末までに今行っている結核に関連した研究をまとめ、論文を書き上げなければなりません。
それだけでなく、移民学校にある拡大予防接種計画のプロジェクトにも携わっているので、そのプロジェクトに関連した量的研究も今から進めていく予定です。これも1本論文書く予定です。主研究者として7月末までに英語の論文2本かけるのかしら。。。ひとまずがんばります!
残りラストスパートがんばるぞ!
実は2月は10日間ほど大雪だった日本に帰っていました。下は証拠写真です。ちなみに現在タイは日中摂氏30度は超えております。
今回の帰国の目的は奨学金の面接でした。給付型の奨学金の1次試験であった書類審査に通り、2次試験の面接を受けに行きました。
面接から数週間がたち、先日無事に採用通知を受け取りました。この奨学金は官民が協力した海外留学支援制度という奨学金です。授業料と生活費を原則3年間支給していただけることになり、無事にこの8月博士の学生として渡米することになりそうです。
米国の担当教官マーク先生にも早速報告し、とても喜んでくれていました。
あとは7月末まで研究所で働きながら渡米準備をする予定です。7月末までに今行っている結核に関連した研究をまとめ、論文を書き上げなければなりません。
それだけでなく、移民学校にある拡大予防接種計画のプロジェクトにも携わっているので、そのプロジェクトに関連した量的研究も今から進めていく予定です。これも1本論文書く予定です。主研究者として7月末までに英語の論文2本かけるのかしら。。。ひとまずがんばります!
残りラストスパートがんばるぞ!
2014年1月30日木曜日
ヤンゴン~パアン~ミャワディー~メソトへの道
ミャンマー国内出張も今週月曜に終え、無事にタイに戻ってきました。
最後は肉体的にも精神的にもちょっと落ち込んでしまいました。
WHOとの会議は思ったよりも緊張することなく、1人でもうまく切り抜け、なんとか仕事のサポートもしてもらえそうな感じでしたが、やっぱり自分が働いたことがないミャンマー国内で仕事をするのは難しいです。役所的な手続きを終えておらず、会うべきはずだった方と会えなかったりもし、再びミャンマー国内に来ることになるかもしれません。私の上司には近々、出直してミャンマー出張だなと言われたので、なんとしてでもこのミッションをやり直さなければです。
ミャンマーの皆さんはとても大好きなのですが(私はビルメロ族ですし)、毎日の食事が本当につらいです。。。ミャンマー料理脂っこいので途中タイ料理が恋しくてつらかったです。
出張の大半はヤンゴンで過ごし、帰りにカレン州の州都パアンを通りぬけ、初めて陸路でタイへ戻りました。陸路で外国人がタイとミャンマーを行き来できるようになったのは去年の9月からなのです。
カレン州パアンまではヤンゴンからバスに乗り6時間くらいでした。行先はパアン経由下呂温泉!
嘘です!日本の中古バスを使っているからです。パアンには下呂温泉なんてありません(苦笑)
パアンの恋人たちが集う橋です。橋の後ろにはうっすらとパアンを象徴するゾエカビン山が見えます。
パアンの街郊外をパアンにある有名なパコダから見下ろせます。自然豊かで美しい眺めでした。
内戦だったカレン州に入って大丈夫なのですか?っと思われる方もいるかもしれませんが、パアンは昔は旅行者の移動の制限があり、入れなかったそうです。今は政府側のコントロールエリアなのでカレン文化とビルマ文化が混在したような街になっています。旅行するには全く問題はありません。
垣間見れたパアンにうっとりしながら、パアンからコーカレー、ミャワディー、メソト(タイ)とプライベートカー(10000チャット:約1000円)で5時間かけて移動しました。
悲劇は帰り道にありました。この帰り道は人生で経験したことのないほど、舗装が全くされてない土砂道を通り、山を何度も通りぬけ、まるでハリウッド映画のカースタントですかっ!って思うほどのドライブでした。崖がすぐそばにあり、崖に落ちている車も見えました(ひえ~冷や汗)。道がとても狭く、一通のため、隔日毎に上りと下りで分けて車が走っています。そのため毎日パアンからミャワディーに行けるわけではありません。一日おきなのです。
車酔いを大人になってから一度もしたことがない私がなんともグロッキーになってしまい、道中の写真を撮ることはできませんでした。前日に食べた脂っこい野菜炒めがこの車酔いに見事に当たり、何度嘔吐してしまったことか。。。もう二度と陸路でカレン州からは帰らないかなと思います。
最後は肉体的にも精神的にもちょっと落ち込んでしまいました。
WHOとの会議は思ったよりも緊張することなく、1人でもうまく切り抜け、なんとか仕事のサポートもしてもらえそうな感じでしたが、やっぱり自分が働いたことがないミャンマー国内で仕事をするのは難しいです。役所的な手続きを終えておらず、会うべきはずだった方と会えなかったりもし、再びミャンマー国内に来ることになるかもしれません。私の上司には近々、出直してミャンマー出張だなと言われたので、なんとしてでもこのミッションをやり直さなければです。
ミャンマーの皆さんはとても大好きなのですが(私はビルメロ族ですし)、毎日の食事が本当につらいです。。。ミャンマー料理脂っこいので途中タイ料理が恋しくてつらかったです。
出張の大半はヤンゴンで過ごし、帰りにカレン州の州都パアンを通りぬけ、初めて陸路でタイへ戻りました。陸路で外国人がタイとミャンマーを行き来できるようになったのは去年の9月からなのです。
カレン州パアンまではヤンゴンからバスに乗り6時間くらいでした。行先はパアン経由下呂温泉!
嘘です!日本の中古バスを使っているからです。パアンには下呂温泉なんてありません(苦笑)
パアンの恋人たちが集う橋です。橋の後ろにはうっすらとパアンを象徴するゾエカビン山が見えます。
ゾエカビン山のふもとには1000体もの仏像が並び、この聖なるゾエカビンを古くから守っているそうです。
内戦だったカレン州に入って大丈夫なのですか?っと思われる方もいるかもしれませんが、パアンは昔は旅行者の移動の制限があり、入れなかったそうです。今は政府側のコントロールエリアなのでカレン文化とビルマ文化が混在したような街になっています。旅行するには全く問題はありません。
垣間見れたパアンにうっとりしながら、パアンからコーカレー、ミャワディー、メソト(タイ)とプライベートカー(10000チャット:約1000円)で5時間かけて移動しました。
悲劇は帰り道にありました。この帰り道は人生で経験したことのないほど、舗装が全くされてない土砂道を通り、山を何度も通りぬけ、まるでハリウッド映画のカースタントですかっ!って思うほどのドライブでした。崖がすぐそばにあり、崖に落ちている車も見えました(ひえ~冷や汗)。道がとても狭く、一通のため、隔日毎に上りと下りで分けて車が走っています。そのため毎日パアンからミャワディーに行けるわけではありません。一日おきなのです。
車酔いを大人になってから一度もしたことがない私がなんともグロッキーになってしまい、道中の写真を撮ることはできませんでした。前日に食べた脂っこい野菜炒めがこの車酔いに見事に当たり、何度嘔吐してしまったことか。。。もう二度と陸路でカレン州からは帰らないかなと思います。
2014年1月15日水曜日
ヤンゴンなう。
ミンガラバー(ビルマ語:こんにちわ)!
ついにこの日が来てしまいました。ミャンマー国内出張。年明け早々に予定されていたのですが、いろいろ予定があわず、今日からミャンマー国内入りです。今はヤンゴン。
明日はWHOミャンマーと初会議。もうだめ。緊張です。WHOタイは何人か知り合いがいたり、何度も会ったりしているのであまり緊張はしないのですが、WHOミャンマーとの顔合わせは初です。誰も知り合いがいない。しかもうちの研究チームから私だけピンです。ほんま大丈夫かいなっ!て感じです。。。
このミャンマー国内の仕事内容はあまり言えないのですが、仕事が終わるまでタイには帰らないつもりです。早ければ1週間、長くて2週間ちょっとかも。ヤンゴンだけでなく、他の都市にも仕事で訪問する予定です。新年早々に力試しです。
久しぶりのヤンゴン。相変わらず日本の古いバスが走っています。車の渋滞がすごいです(バンコクみたいにモノレールもないし)。
タイバーツをチャット(ミャンマーのお金)へ両替しようといろんな銀行を歩いて周ったのですが、ほとんどの銀行が米ドル、日本円、ユーロなど貨幣価値が高い紙幣しか両替できず困っていました。
いく先々のミャンマーの人たちはとても親切で、「あの銀行だったら替えてくれるかも?連れていくよ」と銀行で働くミャンマーの人たちは親切に答えてくれました。またタクシーを拾ってくれて銀行までの道をタクシーのドライバーさんに説明までしてくれたりと、大都市のヤンゴンでもミャンマーの人たちは優しいなとほっとしました。
私はなるべくミャンマーの人たちと話すときにミャンマー語で話します。日常生活程度はミャンマー語で問題ないことと、外国人って思われたくないからです。ただ私のミャンマー語の発音は明らかにミャンマー族ではない。。。
タクシーの運転手:「どこから来たの?何人?」
私:「タイのメソトで働くカレン族です」
タクシーの運転手:「へ~」
などとも嘘をついてしまいました。日本人って言ったらぼったくられるなと思い・・・ごめんなさい(汗)。ヤンゴンでミャンマーのカレン族出身って言っても信じてくれるんですね(苦笑)。
日本出身のビルメロ族ミャンマーの大衆食堂で夜ご飯を食べる。明日からがんばろう!
ついにこの日が来てしまいました。ミャンマー国内出張。年明け早々に予定されていたのですが、いろいろ予定があわず、今日からミャンマー国内入りです。今はヤンゴン。
明日はWHOミャンマーと初会議。もうだめ。緊張です。WHOタイは何人か知り合いがいたり、何度も会ったりしているのであまり緊張はしないのですが、WHOミャンマーとの顔合わせは初です。誰も知り合いがいない。しかもうちの研究チームから私だけピンです。ほんま大丈夫かいなっ!て感じです。。。
このミャンマー国内の仕事内容はあまり言えないのですが、仕事が終わるまでタイには帰らないつもりです。早ければ1週間、長くて2週間ちょっとかも。ヤンゴンだけでなく、他の都市にも仕事で訪問する予定です。新年早々に力試しです。
久しぶりのヤンゴン。相変わらず日本の古いバスが走っています。車の渋滞がすごいです(バンコクみたいにモノレールもないし)。
タイバーツをチャット(ミャンマーのお金)へ両替しようといろんな銀行を歩いて周ったのですが、ほとんどの銀行が米ドル、日本円、ユーロなど貨幣価値が高い紙幣しか両替できず困っていました。
いく先々のミャンマーの人たちはとても親切で、「あの銀行だったら替えてくれるかも?連れていくよ」と銀行で働くミャンマーの人たちは親切に答えてくれました。またタクシーを拾ってくれて銀行までの道をタクシーのドライバーさんに説明までしてくれたりと、大都市のヤンゴンでもミャンマーの人たちは優しいなとほっとしました。
私はなるべくミャンマーの人たちと話すときにミャンマー語で話します。日常生活程度はミャンマー語で問題ないことと、外国人って思われたくないからです。ただ私のミャンマー語の発音は明らかにミャンマー族ではない。。。
タクシーの運転手:「どこから来たの?何人?」
私:「タイのメソトで働くカレン族です」
タクシーの運転手:「へ~」
などとも嘘をついてしまいました。日本人って言ったらぼったくられるなと思い・・・ごめんなさい(汗)。ヤンゴンでミャンマーのカレン族出身って言っても信じてくれるんですね(苦笑)。
日本出身のビルメロ族ミャンマーの大衆食堂で夜ご飯を食べる。明日からがんばろう!
2014年1月5日日曜日
Happy New Year!
皆さん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
あっという間に2014年となりました。12月は怒涛に過ぎ去っていきましたが、年末はミャンマーのカレン州で年越しをすることができました。
私の所属している研究所にはいくつかフィールドクリニックがあり、ひとつのクリニックがミャンマー、カレン州ミャワディー郡ココという街にあります。そのココという街で過去最大のカレンニューイヤーフェスティバルという催し物が12月31日から1月1日にかけて開催されました。
写真はココの結核村からみた2013年最後の夕日です。建物が何もなくきれいな夕日がみえます。
カレンニューイヤーでは歌やダンスと言った多くの催し物が開催され、おそらく1000人以上の観客がいたのではないかと思います。カレンの民族ダンスも夕方から始まり夜11時半まで披露されていました。カレン州の5つの郡から来たチームがダンスを披露しコンテストをしていました。
もちろん深夜0時のカウントダウンには花火もあがりましたよ!
メータオクリニックで働いていたときも、このカレンニューイヤー祭りに参加したことがあるのですが、今年の祭りは感動しました。なぜならミャンマーが平和への道を歩んでいるんだなと感じたからです。1月1日のセレモニーには首都のネピドーから訪問した政府関係者が挨拶をし、またミャンマーの国旗が掲げられていました。さらに祭りの一角には、カレンの伝統シャツを着たミャンマーのテイセイン首相の写真が飾られていたのです。
長い間カレン族と軍政府の内戦は続き、多くの人が家を失い15万人以上のカレン族をはじめとした少数民族がタイにある難民キャンプに今もなお住んでいます。全少数民族と昨年停戦合意をしたミャンマー政府。平和への道のりはまだ始まったばかりですが、ミャンマーの人たちが平和で穏やかに祖国へ帰れる日が来ることを願ってやみません。
Happy, Healthy and Peaceful 2014!
あっという間に2014年となりました。12月は怒涛に過ぎ去っていきましたが、年末はミャンマーのカレン州で年越しをすることができました。
私の所属している研究所にはいくつかフィールドクリニックがあり、ひとつのクリニックがミャンマー、カレン州ミャワディー郡ココという街にあります。そのココという街で過去最大のカレンニューイヤーフェスティバルという催し物が12月31日から1月1日にかけて開催されました。
写真はココの結核村からみた2013年最後の夕日です。建物が何もなくきれいな夕日がみえます。
カレンニューイヤーでは歌やダンスと言った多くの催し物が開催され、おそらく1000人以上の観客がいたのではないかと思います。カレンの民族ダンスも夕方から始まり夜11時半まで披露されていました。カレン州の5つの郡から来たチームがダンスを披露しコンテストをしていました。
もちろん深夜0時のカウントダウンには花火もあがりましたよ!
メータオクリニックで働いていたときも、このカレンニューイヤー祭りに参加したことがあるのですが、今年の祭りは感動しました。なぜならミャンマーが平和への道を歩んでいるんだなと感じたからです。1月1日のセレモニーには首都のネピドーから訪問した政府関係者が挨拶をし、またミャンマーの国旗が掲げられていました。さらに祭りの一角には、カレンの伝統シャツを着たミャンマーのテイセイン首相の写真が飾られていたのです。
長い間カレン族と軍政府の内戦は続き、多くの人が家を失い15万人以上のカレン族をはじめとした少数民族がタイにある難民キャンプに今もなお住んでいます。全少数民族と昨年停戦合意をしたミャンマー政府。平和への道のりはまだ始まったばかりですが、ミャンマーの人たちが平和で穏やかに祖国へ帰れる日が来ることを願ってやみません。
Happy, Healthy and Peaceful 2014!
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