2016年3月25日金曜日

難民になると決めた日

「私、卒業したら難民申請をしようと考えているんだ。」

同じ大学院で勉強しているA国出身の友達から衝撃的な事実を知りました。A国は長年内戦に苦しみ多くの難民を出しているイスラムの国です。首都でも頻繁にテロがあります。

「両親は(母国に)帰ってくるなと言っているの。そのほうが私の将来のためだって。」

友達の難民申請予定の話を聞いてから1週間も経たないうちに、イスラム国のベルギーテロのニュースがありました。

ベルギーで罪もない方々が犠牲なりご冥福をお祈りしたいと思うと同時に、シリアやイラクでは毎日のように爆弾テロで何千人もの命が犠牲になっていることを忘れてはならないと感じました。

メディアではベルギーやパリのテロに焦点があてられることが多いです。先進国で起こってしまった悲惨な出来事は実はイラクやシリアでは日常なのではと思います。私たちは問題の根源に目を向けるべきなのかもしれません。

下記のリンクはアルジャジーラのWebsiteでHead to Headというコーナーからの動画です。


ブッシュ政権時代に2003年よりイラクオペレーションに関わった政治家ポールブレーマーがインタービューに答えています。

ブッシュ政権のイラク進撃が今のイスラム国の結成につながったのではという内容です(イスラム国の約25%の兵士がサダムフセイン政権消失により職を失った元イラク兵士であるということを初めて知りました)。

日本ではこのようなニュースは報道されることは少ないと思うので、気になる方はぜひ視聴してほしいです。


2016年2月9日火曜日

12 Years a slave それでも夜は明ける

マルディグラス(謝肉祭)中に観たかった映画をみました。12 Years a slaveというタイトルの映画です。日本でもずっと前に公開されていて「それでも夜は明ける」というタイトルで観れます。



映画内容はアメリカの南北戦争が終わる前の1840年代の黒人奴隷についてです。映画は実話に基づくものです。

舞台のはじまりはニューヨークで自由黒人(奴隷ではなく一般人)として働いていた男性が突然誘拐され、ニューオーリンズで黒人奴隷として売り飛ばされるところから始まります。

ニューオーリンズ郊外にある綿農園などで強制労働をさせられた黒人奴隷。奴隷に対する雇用主の非情な暴言、暴力。画面に目を受けるのがとてもつらかったです。

私の仲の良い友達には黒人の友達もいるので、彼らがこの映画を観るのはどんな気持ちなんだろうかと考えさせられずにはいられませんでした。

ニューオーリンズの街は今だに黒人が住むエリア、白人が住むエリア、黒人が通う教会、白人が通う教会等と自然に分かれています(もちろん法律では決まっていません)。黒人のホームレスの数は圧倒的に多く、無職の黒人が多いです。1960年代までアメリカで差別は合法化されていたと思うので彼らは不利な立場から社会で共存しています。

人種問題に興味がある方、アメリカに留学する予定の学生さん、ニューオーリンズに観光に来られる方等にぜひみてもらいたい映画です。





2016年2月7日日曜日

今度の上司は3人の子育てをするママ

1月からカンボジアの母子保健サービスの利用状況とその妊産婦からみた財政的困難を評価するというプロジェクトでリサーチアシスタントとして働いています。プロジェクトは大学院の教授がコンサルタントして受けているプロジェクトでカンボジアの保健省、ケアインターナショナル、セーブザチルドレンなどの国際NGOが関わっています。

昨年関わっていたUNFPA(国連人口基金)のミレニアム開発目標評価プロジェクト(指標5の妊産婦の健康改善)は正式には終了したものの、まだ報告書の修正などに関わっています。本当に長いプロジェクト。偶然なのか私の最近の仕事内容は母子保健に関するものが多いです。

今回のブログは私の新しい上司であり、3人の子育てをする助教授について話をしたいと思います。

先生から3人の子ども(10歳、6歳、3歳)がいて家は本当大変なのよ~!と聞いたときはびっくりしました。30代前半に見えて私よりも小柄な先生(アメリカの白人女性にしたは珍しく155センチほどの身長)が3人のお子さんを育てる40歳のお母さんとは一緒に働くまで知らなかったからです。

先生のだすオーラがアジア人のようにおっとりしていて(小柄でカンボジアに4年住んでいたため?笑)、近づきやすく先生との会議のときには子育てと仕事の両立の大変さについて世間話をしたりています。たぶん私が家庭と仕事の両立をすることが大変だとわかっているためか、先生から

「Aiko-!今週の土曜日空いてたらレポートのまとめをしてほしいのだけど大丈夫?(月曜日にドナーへ提出予定)マルディグラス(謝肉祭)のパレード中にこんなお願いをしてごめんね。でも助けてくれたら本当に助かる!(←先週末も先生のプロジェクトレポートを急いで書いていました汗)」

などと休日にでも仕事を頼まれます。

先生のお子さんたちはきっとママとパパと土曜の昼パレード見に行きたいだろな(今ニューオーリンズは謝肉祭パレード真っ只中で来週火曜日まで毎日パレードです)。。。。よし!やりますか。。。と仕事を引き受け今日は土曜ですが一日報告書のまとめをしていました。

女性としてキャリアと育児を両立させようとしている上司は私のモデルにもなるし、応援したくもなります。

大学の学科内のフロアでは現在子育て中の女性教授陣ばかりです。私のオフィス前の先生は「搾乳中のためドアをノックしないでください」というプレートをかけて搾乳されています(10カ月の赤ちゃんがいるママ)。理解力がありサポートしてくれる旦那さんや家族の存在、ベビーシッターを雇うだけの経済力はこの両立に不可欠なものかもしれません。

ただ日本の大学院では育児と仕事を両立している女性の先生は少ないだろうなと考えられずにはいられないです。

今の先生も私の同じように30代前半で博士課程に進学し、勉強中に32歳、34歳と赤ちゃんを2人出産しました。

「博士課程に出産したほうがいいわよ~。フルタイムで働き始めたら産前、産後休暇取りづらくなるからね!」と今の上司に言われ、他の子持ちの女性教授陣にも言われました(笑)。

育児と仕事を両立している先生たち、大変なことは多いだろうけどかっこいいです。刺激になります。私のブログが今後マタニティーブログになることがあれば楽しいだろうな(今のところ予定はないですが汗)。

2016年1月29日金曜日

他人の研究を疑う

博士課程にきってもきれない文字。それは「研究」です。去年は主著として公衆衛生の分野では知られている英文学術雑誌に2本論文が投稿されました。内容はタイとミャンマー国境における結核対策と移民学校の予防接種についてです。

論文掲載以降、いくつか英文学術雑誌からReviewer(査読者)として論文を見てほしいと依頼があり、博士号もまだ取っていない身分で恐れ多いのですが最近Plos Oneという英文学術雑誌のReviewerをさせてもらう機会がありました。内容はタイ、ミャンマー国境に関するHIV予防問題でした。

Peer reviewed journals(論文審査のある専門誌)では大抵2名の査読者により論文が雑誌に掲載されるのに適しているのか、論文の審査をいろんな視点から行います(倫理、研究デザイン、複製など)。私がそのうちの1名になったのですが、他人の研究を評価したり訂正アドバイスをだすのはなかなか難しいです。私も以前2本の論文が掲載されるまで多大なコメントをReviewerからもらいとても勉強になりました(時にはきつい言葉で批判されるので落ち込みましたが)。

今回私がReviewerとして読ませてもらった論文に私は2-3ページに渡るコメントを提出しました。博士号を取得していない私でも指摘できる内容でした。査読のコメントを提出したあと、もう一人相方のReviewer(お互い匿名ですが)からのコメントも読めるのですが、相方のコメントはなんと1行のみでした。コメント内容は研究は首尾一貫しており掲載してもよいというものでした。

その1行のコメントを読んだあと、私は驚きを隠しきれず正直がっかりしました。
この論文、博士の学生でもわかるくらいすぐに世の中に出せるレベルではないのだと思うのですが。。。という言葉が私の初めの一言でした。

この経験で場合によってはReviewersの安易な判断次第で、掲載不適切な論文が掲載されたり、論文が修正されてから掲載されるべきだったのにそのまま掲載されてしまったりという事態が起こるのだなということを学びました(私が査読した論文は著者に修正してもらい、私と雑誌の編集者がOKと言わない限り論文が掲載されることはありません)。

きっと元理研の小保方さんがNatureという雑誌に掲載されのちに削除された論文も、もしかしたらReviewersとEditorがもっと徹底的にチェックしていれば、論文が掲載されることもなかったかもしれません。

社会科学の学者も科学者も人間だから間違いはします。もちろん論文を書く主著と共著が責任をもって雑誌に投稿することが第一ですが、Reviewersも学術雑誌に掲載するに値するかどうか判断する立場として責任は重いなと考えさせられました(間違った治療や公衆衛生の介入が広がってしまう前に)。











2016年1月19日火曜日

今年の抱負

先々週から学校が始まりました。これから博士課程2年目後半に入るのですが、今年は4月に博士号を取得できるかどうかという大事なテストがあります。アメリカでは博士論文の執筆の前にComprehensive Exam(総合試験)に合格しなければ博士論文を書く資格を与えてもらえません(この試験はQualifying Examとも呼ばれています)。

この試験は計4日間4つのセクションから構成される試験です。私の学科ではTake home examとして家で受験ができるのですが、ほかの学科では学内で受けることを条件としている学科もあります。

4つのセクションは国際保健に関わる研究デザイン、理論、分析方法及び私の専門(移住と健康)からなされます。4月の試験ですが試験範囲が膨大でなおかつ難解なため先週から試験勉強をはじめました。

私の学科では毎年5-6人の学生のうち1人が試験に落ちています。今年私がその5人のうちの1人にならないように真剣に勉強しなければいけません(本当に怖い)。

今学期は授業はなく(1単位だけ博士課程のセミナーがあるだけ)、この試験勉強に時間を費やす予定です。今リサーチアシスタントとして新しいプロジェクト(内容はカンボジアの母子保健サービス)で働いているのですが3月からお休みをいただき試験勉強のみになる予定です(そのくらい必死にしないと通らないと思われます)。

この試験が終われば、博士論文の研究提案書を提出し、今年後半は博士論文執筆に集中する予定です。まずは試験突破。猪突猛進でがり勉していこうと思います。

2016年1月1日金曜日

2015年の終わりに

アメリカはまだ2015年12月31日です。アジアをはじめとした他の国ではもう新年を迎えていますが、忘れないうちに2015年を振り返りたいと思います。

2015年は自分が計画していた以上にたくさんのこと(主にリサーチアシスタント)を挑戦することができました。チャンスを下さった周りの方々へ感謝の気持ちを忘れてはいけないなと振り返させられる一年でした。

たくさんのことに挑戦する一方で、仕事と勉強を両立させることが難しくなり、特に勉強の質が落ちてしまったことに気がつきました。このセメスター成績表ではB+のスコア結果になってしまったクラスがあり落ち込みました。来年4月に博士課程の総合試験があるため、来年の春までは仕事よりもこの試験に全力を注ぎたいと思います。B+を取ってしまったことは今後勉強に集中しなさいという警告として受け止めたいと思います。

来年も目の前にある課題を真摯に取り組み、丁寧に勉強また仕事(家庭も!)を両立させていけたらと思います。早く卒業して現場で仕事がしたいです。

それでは2015年も徒然なる私の日記を読んでいただきありがとうございます。皆様よいお年をお迎えください。

下記の写真はニューオーリンズにあるルーズベルトホテルで撮影しました。毎年クリスマスシーズンになるとクリスマスのイルミネーションをみにたくさんの観光客が集まります。






2015年12月31日木曜日

カンチャナブリ 戦場にかける橋

気がついたら珍しく1ヶ月以上ブログを更新していませんでした。11月から12月上旬までは猛烈に忙しく、リサーチアシスタントの仕事に加えて、クラスの学期末テストもありバタバタ過ごしていました。

期末のペーパーを提出後はアジアに直行しました。大阪の実家に数日間だけ立ち寄り、その後1週間はマーク先生とともにバンコクで開催されたワークショップに参加していました。メコン地域の研究者集まりのワークショップでgrant writingについてがメインでした。

ワークショップ中にマーク先生の研究地でもあるタイとミャンマーの国境のカンチャナブリを訪問しました。

カンチャナブリには旧日本軍が収容していた戦争捕虜によって建設された泰麺鉄道(タイとミャンマーを架ける鉄道)があります。その鉄道は今使われてはいないのですが、資料館があり鉄道に関する貴重な資料が保管されています。鉄道建設にあたり、劣悪な環境の中で何万人もの捕虜の方々の命が奪われたことがわかります。

タイのバンコクやアユタヤ遺跡を楽しむだけでなく、日本人としてカンチャナブリを訪問し歴史を振り返る必要性を学びました。