よく見ていたら1ヵ月以上ブログを更新していませんでした。
11月と12月は嵐のように忙しかったです。学会で発表したり、最後はクラスのペーパーをトータル20ページ以上一週間で書きあげ、本当に倒れるんじゃないかと思うぐらい書きました。ひとつのペーパーに参考文献が60近くあるなんて、我ながらすごいと感心してしまいました。
プレゼンも1週間に1回のペースであり、忙しかったと言う言葉につきます。博士課程は読み、書きの量が修士より半端ないです。このセメスターで英文読むスピードが上がったような気がします。
今日最終のテークホーム試験を提出し、明日から公式的に冬休みです!!嬉しいなと喜びたいのですが、まだテキサスで行う研究プロポーザルが完成していません。予算を組んだりあともう少しです。明日からはプロポーザル作成最終段階に移ります。
プロポーザルの筆頭者は私なのですが、共同研究者として博士課程の1年先輩の米国人の友人と修士課程のベトナム系米国人の友人もテキサスの研究に携わってくれる予定です。
博士の先輩は、米国で看護師として長年病院で働き、修士号は疫学をとり、ケンタッキー州の保健局難民担当課で働いていたスペシャリストです。2人のお子さんを持つパパでもあり、勉強と家庭を両立しながらすごいなといつも感心しています。彼と他の学生とご飯に行った時にたまたまバックグランドを聞くことがあり、共同研究者は彼しかしない!と思い、共同研究者になっていただきました。
米国の複雑な保健システムは私にはさっぱりなので、難民の保健事務所で働いてきた経験と知恵をかり無事研究プロポーザルも完成に近いです。マーク先生も「This is coming along(よくやっているね。順調ですね)」と最新のプロポーザルはほぼ了解をもらいました。
そして修士課程の米国人の中で一番仲がよい、ベトナム系米国人の友人も共同研究者です。
ベトナム戦争により難民としてフィリピンの難民キャンプで6歳まで幼少時代を過ごし、米国に第三国定住をしました。
彼女と同じクラスをとっており、たまたまこういう研究するんだ~と話したところ、一緒に研究したい!とアプローチを受け、共同研究者になってもらいました。難民として米国に住んだ彼女だからこそ、違った視点でこの研究が見れるのではと思います。一緒に勉強できることを楽しみしています。
なんか、またギラギラしている内容のブログになってしまいました。。。今年のブログはこれで最後になるかもしれませんので、
皆さん、メーリークリスマス!よいお年をお迎えください。
この写真はニューオーリンズで開催された米国公衆衛生学会のオープニングセレモニー。ジャズバンドのミュージックで始まるなんてニューオーリンズらしいです。12000人もの公衆衛生関係者が集まりました!
2014年12月7日日曜日
2014年10月31日金曜日
テキサス州に住む難民
1ヶ月近くブログを更新していませんでしたが、無事生きています。忙しく過ごしていたらあっという間に10月末になってました。
私の一日は下記のような感じです。
6:00 am 起床、朝ごはん。出かける準備
7:00 am 学校へ
大学のシャトルバスに乗るかあるいは自転車で学校まで20分
7:30-10:30 am メールの返事。授業の指定された論文を読む
10:30-12:00 am 授業
12:00-1:00 pm お昼ご飯
1:00-2:30 pm 授業
2:30-7:00 pm 授業の振り返り。次の日の授業の準備(リーディングを読む)、授業の宿題。
来月の米国公衆衛生学会の発表パワーポイント作成
7:00-7:20 pm 帰宅
7:20-8:00 pm 夕食(自分で作ります)。翌日のランチを準備(学校へ持っていきます)
8:00-9:00 pm ぼーっとする。家の掃除。
9:00-10:00 pm 論文を1~2本読む。
10:00-10:30 pm お風呂
11:00 pm 就寝
ほとんど勉強しかしておりません。この生活とリサーチアシスタントやティーチングアシスタントをはじめると忙しさが増しそうです。。。
昨日はテキサス州の保健局の方とマーク先生と他の博士の学生(新リサーチプロジェクトメンバー)とともにスカイプミーティングをしました。テキサス州は年間7000人近い難民(イラク、ミャンマー、ブータンなど)を受け入れています。ミャンマーのカレン族だけで2000人!すごい数です。
保健局の人は自分たちだけでこれだけの難民を見ることは実質不可能なので、NGOにフォローアップを委託しています。
驚くべきことに、米国に到着した難民は3か月間、保健局の無料の難民クリニックに受診できるそうですが、3か月後からはMedicaid(日本で言えば生活保護)あるいはRefugee Medical Assistanceに保険を切り替えなければいけません。
NGOだけがその保険のフォローアップをしているのですが、実際保険を切り替えているのか、難民が働きだしたら会社の保険に変えなければいけないので、それもどのようにされているのかはテキサス州保健局もフォローできていないそうです。
テキサス州の方によると、カレン難民の健康問題で一番多いのは、栄養失調、B型肝炎、メンタルヘルス(戦争による心のトラウマ、鬱)、ファミリープランニング(家族計画)、結核などだそうです。
他にもテキサス州の難民クリニックで働いている医師と電話会議をしたのですが、カレン難民の中には貧しく売春婦として働いている人や、違法ドラッグなどの売買者になったりと困難な状況で暮らしているも結構いると言っていました。
自分がタイでみてきたミャンマー、カレン族の皆さんがどのようにして米国で過ごしているか今後も勉強していきたいです。
Today's research is tomorrow's program. (今日の研究は明日のプログラムです)。
この言葉はUSAIDからのゲストスピーカーがプレゼンで残して言った言葉です。
知的探求心を満たすリサーチではなく、問題をどうすれば解決できるか役に立つリサーチにしたいです。
私の一日は下記のような感じです。
6:00 am 起床、朝ごはん。出かける準備
7:00 am 学校へ
大学のシャトルバスに乗るかあるいは自転車で学校まで20分
7:30-10:30 am メールの返事。授業の指定された論文を読む
10:30-12:00 am 授業
12:00-1:00 pm お昼ご飯
1:00-2:30 pm 授業
2:30-7:00 pm 授業の振り返り。次の日の授業の準備(リーディングを読む)、授業の宿題。
来月の米国公衆衛生学会の発表パワーポイント作成
7:00-7:20 pm 帰宅
7:20-8:00 pm 夕食(自分で作ります)。翌日のランチを準備(学校へ持っていきます)
8:00-9:00 pm ぼーっとする。家の掃除。
9:00-10:00 pm 論文を1~2本読む。
10:00-10:30 pm お風呂
11:00 pm 就寝
ほとんど勉強しかしておりません。この生活とリサーチアシスタントやティーチングアシスタントをはじめると忙しさが増しそうです。。。
昨日はテキサス州の保健局の方とマーク先生と他の博士の学生(新リサーチプロジェクトメンバー)とともにスカイプミーティングをしました。テキサス州は年間7000人近い難民(イラク、ミャンマー、ブータンなど)を受け入れています。ミャンマーのカレン族だけで2000人!すごい数です。
保健局の人は自分たちだけでこれだけの難民を見ることは実質不可能なので、NGOにフォローアップを委託しています。
驚くべきことに、米国に到着した難民は3か月間、保健局の無料の難民クリニックに受診できるそうですが、3か月後からはMedicaid(日本で言えば生活保護)あるいはRefugee Medical Assistanceに保険を切り替えなければいけません。
NGOだけがその保険のフォローアップをしているのですが、実際保険を切り替えているのか、難民が働きだしたら会社の保険に変えなければいけないので、それもどのようにされているのかはテキサス州保健局もフォローできていないそうです。
テキサス州の方によると、カレン難民の健康問題で一番多いのは、栄養失調、B型肝炎、メンタルヘルス(戦争による心のトラウマ、鬱)、ファミリープランニング(家族計画)、結核などだそうです。
他にもテキサス州の難民クリニックで働いている医師と電話会議をしたのですが、カレン難民の中には貧しく売春婦として働いている人や、違法ドラッグなどの売買者になったりと困難な状況で暮らしているも結構いると言っていました。
自分がタイでみてきたミャンマー、カレン族の皆さんがどのようにして米国で過ごしているか今後も勉強していきたいです。
Today's research is tomorrow's program. (今日の研究は明日のプログラムです)。
この言葉はUSAIDからのゲストスピーカーがプレゼンで残して言った言葉です。
知的探求心を満たすリサーチではなく、問題をどうすれば解決できるか役に立つリサーチにしたいです。
2014年10月6日月曜日
米国に住むミャンマー、カレン族について
10月に入りニューオーリンズは少しずつ涼しくなりはじめました。秋セメスターの進むスピードは速く、12月上旬にセメスターが終わるまであと2カ月。
私の勉強するスピードが遅いのか、リーサーチアシスタントとして与えられた私のオフィスに土日も居座り勉強しています。タイの前職で出した論文の1つのレビューアーのコメントが戻り、論文を修正しなければいけないのと、今の指導教官(マーク先生)とともに新しい研究を立ち上げるため時間のやりくりが大変です。
新しい研究というのは、マーク先生に先日Independent Studyをさせてほしいと相談しました。Independent studyというのは博士論文とは違うテーマを独自で研究するというものです。私が今考えているのは、アメリカへ第三国定住したミャンマー、カレン族の移民の心の健康をテーマに勉強したいと考えています。現在タイ・ミャンマー国境にある難民キャンプからの難民が第三国(米国)へ定住するプログラムは難民帰還に向けた方針もあり、2014年1月より終了しています。過去、この米国には何万人ものミャンマーからの難民が第三国定住を希望し、米国で移民として新しい人生を歩んでいる人たちがたくさんいます。ニューオーリンズから飛行機1時間で行けるテキサス州のヒューストンには大きなカレン族のコミュニティーがあるそうで、実際テキサス州は米国の中で一番多くミャンマーからの難民を受け入れてきました。
米国に移り住んだカレン族中には大学に進み無事就職先もみつけ、安定した生活を送っている人もいますが、コミュニケーションバリア、西洋文化への適応の難しさ、雇用者などによる差別により悩んでいる移民はたくさんいます。実際私のカレン族出身の友達も上記のような問題で、いつかはミャンマーへ帰りたいと言っていました。
彼らの精神衛生は難民キャンプにいるときと比べどう変わったのか?米国で第2の人生を歩むという選択をして心の健康は上向きになったのか?現在に難民キャンプに住むカレン族の方々へも調査をし、帰還へ向けての精神状態の準備はできているのか、探究したいと考えています。できれば自発的に帰還した難民の声も聞けたらと思っています。
この私の研究アイデアを聞いたマーク先生は「おもしろい!興味があるから一緒に本格的にプロジェクトを立ち上げましょう」と言ってくれました。小さい額ですが、この研究のための学内にある助成金へ応募する機会もいただき、12月までに提出する予定です。しっかりとした研究土台を作り上げ、心の研究という一見質的のような研究を、量的に統計的手法を用い立証したいと思います。もちろん研究結果は今難民キャンプに住む難民と米国に住む移民の両方に役立つものとなるようにやり遂げたいです。
私の勉強するスピードが遅いのか、リーサーチアシスタントとして与えられた私のオフィスに土日も居座り勉強しています。タイの前職で出した論文の1つのレビューアーのコメントが戻り、論文を修正しなければいけないのと、今の指導教官(マーク先生)とともに新しい研究を立ち上げるため時間のやりくりが大変です。
新しい研究というのは、マーク先生に先日Independent Studyをさせてほしいと相談しました。Independent studyというのは博士論文とは違うテーマを独自で研究するというものです。私が今考えているのは、アメリカへ第三国定住したミャンマー、カレン族の移民の心の健康をテーマに勉強したいと考えています。現在タイ・ミャンマー国境にある難民キャンプからの難民が第三国(米国)へ定住するプログラムは難民帰還に向けた方針もあり、2014年1月より終了しています。過去、この米国には何万人ものミャンマーからの難民が第三国定住を希望し、米国で移民として新しい人生を歩んでいる人たちがたくさんいます。ニューオーリンズから飛行機1時間で行けるテキサス州のヒューストンには大きなカレン族のコミュニティーがあるそうで、実際テキサス州は米国の中で一番多くミャンマーからの難民を受け入れてきました。
米国に移り住んだカレン族中には大学に進み無事就職先もみつけ、安定した生活を送っている人もいますが、コミュニケーションバリア、西洋文化への適応の難しさ、雇用者などによる差別により悩んでいる移民はたくさんいます。実際私のカレン族出身の友達も上記のような問題で、いつかはミャンマーへ帰りたいと言っていました。
彼らの精神衛生は難民キャンプにいるときと比べどう変わったのか?米国で第2の人生を歩むという選択をして心の健康は上向きになったのか?現在に難民キャンプに住むカレン族の方々へも調査をし、帰還へ向けての精神状態の準備はできているのか、探究したいと考えています。できれば自発的に帰還した難民の声も聞けたらと思っています。
この私の研究アイデアを聞いたマーク先生は「おもしろい!興味があるから一緒に本格的にプロジェクトを立ち上げましょう」と言ってくれました。小さい額ですが、この研究のための学内にある助成金へ応募する機会もいただき、12月までに提出する予定です。しっかりとした研究土台を作り上げ、心の研究という一見質的のような研究を、量的に統計的手法を用い立証したいと思います。もちろん研究結果は今難民キャンプに住む難民と米国に住む移民の両方に役立つものとなるようにやり遂げたいです。
2014年9月22日月曜日
世界で一番お年寄りが多い国
学校が本格的にはじまってもうそろそろ1ヶ月。時間がたつのが早いです。いつも読物に追われています。1つのクラス準備のために100~150ページほどの読物を事前に読まないといけないクラスが2つあり、あせります。授業が全てディスカッションベース(8名~15名ほどのクラス体系)なので、読んでこないと授業に参加できません。1つの授業につき最低2~3回は私も発言しようと心得、発言しています。授業の読物が少なかったり、空き時間があり、勉強しないとなぜか罪悪感にかられます。こんなぼーっとしていて大丈夫なのか。。。
「死亡率と健康」のクラスでは、よく日本が登場します。世界トップクラスの最長平均寿命、低い乳児死亡率、所得の不均衡さが比較的小さいことから、クラスの中では日本はとても健康で裕福な理想な国となっています。そんな日本が現在と2050年人口統計の比較した表ではどのような立ち位置にいるか、興味深い表を出します。以下全ての表はUSAID(米国開発庁)のPopulation Reference Bureau (人口統計局)の2010年に出した調べです。
2010年、世界での人口が大きな国トップ10。日本は10位にランキングしています。トップ1位の中国は国民全体が日本よりも若く、生産人口が大きいことなどからGDPでも日本を抜かして現在世界の2位(1位は米国)。
「死亡率と健康」のクラスでは、よく日本が登場します。世界トップクラスの最長平均寿命、低い乳児死亡率、所得の不均衡さが比較的小さいことから、クラスの中では日本はとても健康で裕福な理想な国となっています。そんな日本が現在と2050年人口統計の比較した表ではどのような立ち位置にいるか、興味深い表を出します。以下全ての表はUSAID(米国開発庁)のPopulation Reference Bureau (人口統計局)の2010年に出した調べです。
2010年、世界での人口が大きな国トップ10。日本は10位にランキングしています。トップ1位の中国は国民全体が日本よりも若く、生産人口が大きいことなどからGDPでも日本を抜かして現在世界の2位(1位は米国)。
そして2050年。日本はトップ10ランキングから落ちました。興味深いことにアフリカのエチオピア、コンゴが初トップ10入りをしています。今後2050年人口が多いトップ10の国が経済成長してくるのかもしれません。国民生産人口が若く、大きい国は経済成長のメリットです。
2010年世界で一番お年寄りが多い国。。。やっぱり日本!国民の22.6%が65歳以上です。
2050年、65歳以上を支える生産人口(15歳~64歳)との比率。日本は最下位です。
「1」です!1という意味は生産人口にあたる1人が65歳以上を1人で支えなければいけないという意味です。
2050年日本の政府予算はどうやってまわすのでしょうか。大丈夫なのでしょうか。2050年私は65歳側。今の政治家の皆さんはこの35年後、ご健在かわかりませんが(35年先のことまで考えているか疑問です)、今の30代、40代が真面目に考えなければ、取り返しのつかない問題になることは間違いありません。
2014年9月7日日曜日
博士課程の流れと新学期の内容
授業がはじまりようやく2週間がたとうとしています。授業のレベルは博士の学生向けの授業を履修しているので、中身はやや難しくなり読物の量が非常に多い。一方、修士課程をはじめたときよりも、米国の大学院の勉強法は以前よりはわかっているのと、大学院内、ニューオーリンズ内に友人が結構いることや先生も知っている人ばかりなので、ストレス度が低いです。
日本の博士課程と他の国の博士課程と米国の博士課程のシステムは若干違います。
ここでは、2年間72単位のコースワークを履修することが博士課程でも必要です。そのうち公衆衛生の修士号を取得している人は修士課程の40単位、博士課程へ移動することができます。なので私の場合は32単位を博士課程で取得しなければいけません。
またコースワーク修了後は4日間にわたる総合試験を受けなければいけません。3日間は疫学、統計学、研究のデザイン方法などの公衆衛生の研究者として必要な知識のテストです。最後1日は自分の専門分野のテストです。私の場合は移住と健康になります。移住と健康の専門教授らによってテストが作られる予定です。この総合試験がものすごく大変で、4日間のうち大体のひとが一日3~4時間しか睡眠をとれないほどらしいです(テークホーム試験:自宅で受ける試験)。そしてできが悪い人は普通に落ちます・・・。今年も1人落ちて再試験していました。
この試験に無事受かれば、Doctoral Student (博士課程の学生)からPhD candidate (博士号取得候補者)になります。PhD candidateになってから、prospectus defense と言われる博士論文で何を研究したいかを口頭発表します。これを通過すれば晴れて、自分のしたい研究ができるというわけです。研究論文の結果は本として出すか、国際科学雑誌に論文を最低3つ投稿することが条件です。うちの学科の博士課程はコースワークから卒業までだいたい平均4~5年かかっています。
日本では、論文の不正など最近いろいろ問題がありましたが、米国の大学院ではplagiarism(他論文を盗作すること)に非常に厳しいです。入学前にcode of academic conductという学業で不正は行いません、不正したら退学する覚悟です、というような内容の誓約書に署名し提出しなければいけません。
本当に道のりは長く、険しいです。。。
さて今学期私がとっている科目は以下です。
1.Research approaches and design for Global Health (国際保健のための研究アプローチとデザイン方法) (3単位):博士課程必須科目です。疫学と統計をおさらいしたようなコースです。最終的に自分で研究プロポーザルまで書くことができるようになることが目標のクラスです。
2.Themes in Mortality and Health (死亡率と健康)(3単位):修士課程後半~博士向け。人口統計学です。私の専門分野になるので取りました。このクラスの読物が一番興味深い。
3.Social determinants of Health(健康の社会的要因)(3単位):博士課程向け。健康と社会背景がどのように相互作用しているか、理論ベースで考え、社会的要因と健康に沿った研究を計画します。
たった9単位しか今回は取っていません。なぜなら全て内容が濃いのと、実は疫学1を聴講しているからです。次の学期に疫学2を取らなければならず、疫学をすっかり忘れてしまっているので現在もう一度おさらい中です。そして今学期後半に研究アシスタントを始める可能性もあり、ペースを調整しています。
今年、同じ国際保健システムと開発科の博士課程に入学したのは5名です。アメリカ人1人、パキスタン人1人、イラン人1人、バルバドス(カリブ海の小国)1人、日本人私1人です。先生方にはこの学年ほど、国際保健!って感じる学年はないね!と言われています。本当に多国籍な学年です。今年は40名ほどの人がこの学科を受験し、おそらく8~10名くらいは合格したと思うのですが、最終的に残ったのは私たち5名。留学生ばかりの学年でとても居心地がよいです。
バックグランドも様々で、ワールドビジョンという国際NGOで働いてきたり、チュレーンの災害センターで働いてきた人から、グローバルファンド(世界基金)で働いていたイラン人、WHOで働いていたパキスタン人など、国際保健の最前線で働いていた人と勉強できるのは私も刺激になり勉強になります。将来、就職先を斡旋してもらわないとです(笑)。
2014年8月24日日曜日
米国編スタート
無事に日本で学生ビザを取り、月曜に渡米しました。現在はニューオーリンズです。久しぶりに米国、ニューオーリンズに帰ってきた日は、まるで夢をみているようで変な気持ちでしたが、今はだいぶ慣れてきました。でも未だに時差ボケに苦しんでいます。朝めちゃくちゃ早く起きてしまいます。4時5時に連日起きています。そして夕方にはすぐ眠くなる・・・。
今週は公衆衛生熱帯医学校全体のオリエンテーションがあり、来週から早速授業です。一部のクラスでは早速リーディングリストをもらったので読んでいます。いよいよ始まるのだなと実感。
大学院に博士の学生として帰ってきて、ここは私の第3の故郷になるのだとしみじみ感じていました。第一の故郷、日本。第二はタイ。第三はニューオーリンズ(?)。
愛しの指導教官マーク先生とも1年半ぶりに感動の再会を果たしました。
「お帰り!帰ってきてくれて本当に嬉しいよ!奇跡みたいだ!よく頑張ったね!」と一番に喜んでくれました。
学科長やMPH時代にお世話になった他の先生方、チュレーンの大学内の友達などみんなが、「Welcome back to Tulane! お帰りなさい!」と言ってくれると、まるで地元に帰ってきたような感じがします。
見慣れている街並み、友達に会うと不思議と違和感がありません。帰ってきてよかったと思います。
最低2年間はコースワークをとらなければいけないので、米国に滞在する予定です。無事生き残れるか、これから闘いが始まりますが、好きな分野での勉強が思う存分できることに感謝し、思いっきり楽しんで勉強したいと思います。
今週は公衆衛生熱帯医学校全体のオリエンテーションがあり、来週から早速授業です。一部のクラスでは早速リーディングリストをもらったので読んでいます。いよいよ始まるのだなと実感。
大学院に博士の学生として帰ってきて、ここは私の第3の故郷になるのだとしみじみ感じていました。第一の故郷、日本。第二はタイ。第三はニューオーリンズ(?)。
愛しの指導教官マーク先生とも1年半ぶりに感動の再会を果たしました。
「お帰り!帰ってきてくれて本当に嬉しいよ!奇跡みたいだ!よく頑張ったね!」と一番に喜んでくれました。
学科長やMPH時代にお世話になった他の先生方、チュレーンの大学内の友達などみんなが、「Welcome back to Tulane! お帰りなさい!」と言ってくれると、まるで地元に帰ってきたような感じがします。
見慣れている街並み、友達に会うと不思議と違和感がありません。帰ってきてよかったと思います。
最低2年間はコースワークをとらなければいけないので、米国に滞在する予定です。無事生き残れるか、これから闘いが始まりますが、好きな分野での勉強が思う存分できることに感謝し、思いっきり楽しんで勉強したいと思います。
街を走る路面電車
新学期前のアップタウンキャンパスの様子
2014年8月2日土曜日
タイ編終了
おそらくタイからのブログ更新はこれで最後になるかと思います。来週メソトから帰国します。
この一年を振り返り、自分が思っていたよりもはるかに充実した1年を過ごすことができました。昨年の今頃米国の博士進学を1年延期し、給付の奨学金がこの1年間でとれるのか、仕事はみつかるのか本当に不安でした。
仕事も私が希望していたようなアカデミアで結果を残せるような組織に就職でき、素晴らしい上司と同僚に恵まれ、支えてくださった皆さんに本当に感謝しています。
修士課程を終えてから、はじめての本格的な国際保健の分野での仕事でしたが、一言につきます。
「国際保健の仕事ってめちゃ楽しい!」
日本で病院で働くよりも、毎日自分が生き生きしているのが手に取るようにわかりました。現場で現地の人と目でみて、肌で感じて勉強することができました。いろんな場所(ミャンマー国内、バンコク)にも出張にいかせてもらい、いつもわくわくしていたことを思い出します。
また全て英語での仕事で、かつ英文学術雑誌へ主著として2本論文を書き、いろんな国の人とまたいろんな組織の人(ローカルNGOから国連機関まで)と仕事をしネットワークを築けたのでこの1年は実り多い1年となりました。
職場の皆さん、家族、友人、1年間タイ編を支えてくださった皆さんへ感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
さてあと2週間後、私は米国にいます。帰国後ビザの手配等日本でしなければいけないことを丁寧にすませ、新しい米国編へ進みたいと思います。
感謝の気持ちをこめて今週は職場のスタッフとお世話になっている友人のために巻きずしを作りました。計18本もこの3日間で巻きました!職場のスタッフにもたくさんお別れのプレゼントをいただきました。カレン族シャツの嵐です。メータオから数えると何枚もらってきたんだろうっていうくらい家にもカレン族シャツがたくさんあります。。。
この一年を振り返り、自分が思っていたよりもはるかに充実した1年を過ごすことができました。昨年の今頃米国の博士進学を1年延期し、給付の奨学金がこの1年間でとれるのか、仕事はみつかるのか本当に不安でした。
仕事も私が希望していたようなアカデミアで結果を残せるような組織に就職でき、素晴らしい上司と同僚に恵まれ、支えてくださった皆さんに本当に感謝しています。
修士課程を終えてから、はじめての本格的な国際保健の分野での仕事でしたが、一言につきます。
「国際保健の仕事ってめちゃ楽しい!」
日本で病院で働くよりも、毎日自分が生き生きしているのが手に取るようにわかりました。現場で現地の人と目でみて、肌で感じて勉強することができました。いろんな場所(ミャンマー国内、バンコク)にも出張にいかせてもらい、いつもわくわくしていたことを思い出します。
また全て英語での仕事で、かつ英文学術雑誌へ主著として2本論文を書き、いろんな国の人とまたいろんな組織の人(ローカルNGOから国連機関まで)と仕事をしネットワークを築けたのでこの1年は実り多い1年となりました。
職場の皆さん、家族、友人、1年間タイ編を支えてくださった皆さんへ感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。
さてあと2週間後、私は米国にいます。帰国後ビザの手配等日本でしなければいけないことを丁寧にすませ、新しい米国編へ進みたいと思います。
感謝の気持ちをこめて今週は職場のスタッフとお世話になっている友人のために巻きずしを作りました。計18本もこの3日間で巻きました!職場のスタッフにもたくさんお別れのプレゼントをいただきました。カレン族シャツの嵐です。メータオから数えると何枚もらってきたんだろうっていうくらい家にもカレン族シャツがたくさんあります。。。
2014年7月12日土曜日
帰国までカウントダウン
タイでの仕事もあと3週間となりました。6月末に辞表届をだし、私本当に辞めてしまうんだとしみじみ実感。周りのスタッフにも「辞めちゃうんだって?どうして?」と聞かれることが多くなりました。
もともと博士課程へ進学する前の1年間だけの仕事だと思って、仕事をしていたのですがなんだか働き物足りないような気もします。6月末から7月中は仕事の大詰めです。
ミャンマー移民学校で勉強する子どもたちの予防接種率を評価した論文を英文雑誌へ投稿しました。私が主著なので共著の先生方にも何度も見てもらい、修正を繰り返し7月上旬やっと提出できました。これから2カ月間ほど雑誌のpeer reviewersにみてもらいアドバイスをいただく予定ですが、投稿してから論文が雑誌に載るまで半年~1年はかかるようです。
あと結核の仕事は7月下旬に大きな会議(この研究所の歴史でも大きな転換期かも)があり、私の仕事も大いに関わっています。結核に関する論文も書き上げ、もう英文雑誌へ投稿する準備はできているのですが、7月下旬まで何も身動きが取れません。どんでん返しがおきませんように。。。
そして7月に入って、なんと今さら二つのプロポーザルを書いています。どちらも今月中に提出。ひとつは結核村の拡大支援の要請に関するプロポーザルです。私が書かなくてもGrant manager(財務担当者)が書くものですが、一度英文プロポーザルを書く練習をしてみたい!と思い、手を挙げて書かせてもらっています。何度も修正していますが。。。
追い打ちをかけるように副所長さんからHIVに関するNational Institute of Health(米国の保健省)へプロポーザルの案件形成にも声をかけてもらい、新しい分野にも最後の最後に挑戦中です。これが通れば私の博士課程の論文はおそらくHIVと結核になる予定です。内容はまだ秘密。
郷愁に浸る暇がない本音です。丁寧に無事、仕事を終えるまでラストスパートです。
もともと博士課程へ進学する前の1年間だけの仕事だと思って、仕事をしていたのですがなんだか働き物足りないような気もします。6月末から7月中は仕事の大詰めです。
ミャンマー移民学校で勉強する子どもたちの予防接種率を評価した論文を英文雑誌へ投稿しました。私が主著なので共著の先生方にも何度も見てもらい、修正を繰り返し7月上旬やっと提出できました。これから2カ月間ほど雑誌のpeer reviewersにみてもらいアドバイスをいただく予定ですが、投稿してから論文が雑誌に載るまで半年~1年はかかるようです。
あと結核の仕事は7月下旬に大きな会議(この研究所の歴史でも大きな転換期かも)があり、私の仕事も大いに関わっています。結核に関する論文も書き上げ、もう英文雑誌へ投稿する準備はできているのですが、7月下旬まで何も身動きが取れません。どんでん返しがおきませんように。。。
そして7月に入って、なんと今さら二つのプロポーザルを書いています。どちらも今月中に提出。ひとつは結核村の拡大支援の要請に関するプロポーザルです。私が書かなくてもGrant manager(財務担当者)が書くものですが、一度英文プロポーザルを書く練習をしてみたい!と思い、手を挙げて書かせてもらっています。何度も修正していますが。。。
追い打ちをかけるように副所長さんからHIVに関するNational Institute of Health(米国の保健省)へプロポーザルの案件形成にも声をかけてもらい、新しい分野にも最後の最後に挑戦中です。これが通れば私の博士課程の論文はおそらくHIVと結核になる予定です。内容はまだ秘密。
郷愁に浸る暇がない本音です。丁寧に無事、仕事を終えるまでラストスパートです。
2014年6月18日水曜日
つながる世界
難民、移民の人口移動と健康問題は私の最も興味があるトッピックスです。そのmigration and health(移住と健康)を専門的に勉強すべく博士課程へ進学する予定です。
国境の街、タイのメソト(私が住む街)はミャンマーからgatewayです。勉強する身にとって街の変化が学びにもなります。
夏季が終わり、新学期とともにミャンマー移民学校が開校されはじめました。国境のタック県4郡に74校の移民学校があり、14000人生徒が勉強しています。学生のほぼ99%はミャンマーからの移民と言ってよいと思います。
新学期に伴い、私が携わる拡大予防接種プログラムでも新しい生徒が今年の予防接種プログラムに加わりました。おそらく2500名くらいの子どもたちが私たちのプログラムでフォローされる予定です。
学校で予防接種を打つ研究所のスタッフが「どこから来たの?」と聞くと、各学校10名に1人くらいの割合で「ヤンゴン(ミャンマー)から来ました」と答えます。理由は両親のどちらかがタイで働き始めたからと言うのです。
メソトの隣町、ミャンマー、カレン州ミャワディーから来た学生がたくさんいるのはわかりますが、ヤンゴンからこんなにたくさんの子供たちが移動しているんだなと肌で感じられずにはいられません。
ヤンゴンからだけでなく、他の街バゴーやモロミャイ等からも新しい学生さんが来ています。
2015年にはASEAN Economic Community(ASEAN経済連合)が形成され、EUのように国境の行き来が自由になり、人の往来が加速される見込みです。結核や予防接種で防げる感染症(特に麻疹など)にASEAN Economic Communityがどのように実践的に対応するのか健康関連の大きな会議では議題になります。
日本ではグローバル人材育成という言葉を政府の戦略としてよく耳にしますが、ASEAN諸国の人材育成においてかれるのではないかと思います。グローバルって言っている側ほど差別化して壁をさらに高くしているような気がするなぁ。
私もそうですが、人が海外へ積極的に移動する理由には夢や希望があって出ていくわけで、強く動かす原点がないと人の移動は進まないと思います。ミャンマーの人であれば、高い賃金を求めてよりよい仕事につくためにタイへ移動するわけで、私も難民、移民の分野において公衆衛生関連の仕事がしたくてタイにいたり、米国で勉強したりするわけです。
海外で働く夢を渇望させる機会が日本にあればうまくいくかもしれませんが、多くの人は衛生的で生活水準も普通に保てる日本以外に住むことは機会がないと考えないのではと思います。
ここに住んでいる土地の人は必然的にミャンマー語、タイ語、カレン語、英語といくつもの言語を駆使し仕事しています。たくましい!
国境の街、タイのメソト(私が住む街)はミャンマーからgatewayです。勉強する身にとって街の変化が学びにもなります。
夏季が終わり、新学期とともにミャンマー移民学校が開校されはじめました。国境のタック県4郡に74校の移民学校があり、14000人生徒が勉強しています。学生のほぼ99%はミャンマーからの移民と言ってよいと思います。
新学期に伴い、私が携わる拡大予防接種プログラムでも新しい生徒が今年の予防接種プログラムに加わりました。おそらく2500名くらいの子どもたちが私たちのプログラムでフォローされる予定です。
学校で予防接種を打つ研究所のスタッフが「どこから来たの?」と聞くと、各学校10名に1人くらいの割合で「ヤンゴン(ミャンマー)から来ました」と答えます。理由は両親のどちらかがタイで働き始めたからと言うのです。
メソトの隣町、ミャンマー、カレン州ミャワディーから来た学生がたくさんいるのはわかりますが、ヤンゴンからこんなにたくさんの子供たちが移動しているんだなと肌で感じられずにはいられません。
ヤンゴンからだけでなく、他の街バゴーやモロミャイ等からも新しい学生さんが来ています。
2015年にはASEAN Economic Community(ASEAN経済連合)が形成され、EUのように国境の行き来が自由になり、人の往来が加速される見込みです。結核や予防接種で防げる感染症(特に麻疹など)にASEAN Economic Communityがどのように実践的に対応するのか健康関連の大きな会議では議題になります。
日本ではグローバル人材育成という言葉を政府の戦略としてよく耳にしますが、ASEAN諸国の人材育成においてかれるのではないかと思います。グローバルって言っている側ほど差別化して壁をさらに高くしているような気がするなぁ。
私もそうですが、人が海外へ積極的に移動する理由には夢や希望があって出ていくわけで、強く動かす原点がないと人の移動は進まないと思います。ミャンマーの人であれば、高い賃金を求めてよりよい仕事につくためにタイへ移動するわけで、私も難民、移民の分野において公衆衛生関連の仕事がしたくてタイにいたり、米国で勉強したりするわけです。
海外で働く夢を渇望させる機会が日本にあればうまくいくかもしれませんが、多くの人は衛生的で生活水準も普通に保てる日本以外に住むことは機会がないと考えないのではと思います。
ここに住んでいる土地の人は必然的にミャンマー語、タイ語、カレン語、英語といくつもの言語を駆使し仕事しています。たくましい!
ミャンマーとタイを結ぶ国境の橋は商業関連のトラックが列をなしています。
2014年6月9日月曜日
雨季はじまるなり。
ぼーっとしていたら1ヶ月以上もまたブログを更新していませんでした。元気です。本格的な雨季がタイにも訪れ毎日雨がザーザー降っています。
この時期になると自分が初めてタイで活動を始めた時、2007年の7月の雨季を思い出します。あの時期も雨季の真っただ中でした。
私がこの地域に関わってもう7年が経ち、もうすぐで8年目になります。博士課程で今後勉強することを考えると10周年記念を祝う日もそんな遠くはないです。私の性格上、いろんな地域で国際保健の活動をするよりも、一つのところに腰を据えて現地の人たちと勉強しながら活動する方が性に合うようです。
5月のミャンマー国内出張が終わったあとは、ずっと2つの論文書きに勤しんでいます。今までやってきたこと、関わったプロジェクトの評価をしているので、集大成です。私が主要研究者でよいのかしら?と思いながら上司に指導され勉強になります。この後博士課程に行き、人生でこんなに長期に渡って勉強させてもらう機会はそうそうないから、思う存分楽しんで勉強したいなと思っています。
(私、オタクになる傾向が高いのかも。苦笑。)
最近、嬉しかったニュースは米国公衆衛生学会( APHA: American Public Health Association)へ提出した研究要約が採用され、学会で口頭でのプレゼンをさせてもらえることになりました。今回の学会は11月にニューオーリンズで開催される予定です。学会で口頭でのプレゼンをさせてもらえるというのは結構倍率が高いようで、落ちる人も多々います。冬にぎりぎりでも要約を提出した甲斐がありました。
絶対ニューオーリンズに帰らねば!
この時期になると自分が初めてタイで活動を始めた時、2007年の7月の雨季を思い出します。あの時期も雨季の真っただ中でした。
私がこの地域に関わってもう7年が経ち、もうすぐで8年目になります。博士課程で今後勉強することを考えると10周年記念を祝う日もそんな遠くはないです。私の性格上、いろんな地域で国際保健の活動をするよりも、一つのところに腰を据えて現地の人たちと勉強しながら活動する方が性に合うようです。
5月のミャンマー国内出張が終わったあとは、ずっと2つの論文書きに勤しんでいます。今までやってきたこと、関わったプロジェクトの評価をしているので、集大成です。私が主要研究者でよいのかしら?と思いながら上司に指導され勉強になります。この後博士課程に行き、人生でこんなに長期に渡って勉強させてもらう機会はそうそうないから、思う存分楽しんで勉強したいなと思っています。
(私、オタクになる傾向が高いのかも。苦笑。)
最近、嬉しかったニュースは米国公衆衛生学会( APHA: American Public Health Association)へ提出した研究要約が採用され、学会で口頭でのプレゼンをさせてもらえることになりました。今回の学会は11月にニューオーリンズで開催される予定です。学会で口頭でのプレゼンをさせてもらえるというのは結構倍率が高いようで、落ちる人も多々います。冬にぎりぎりでも要約を提出した甲斐がありました。
絶対ニューオーリンズに帰らねば!
雨季のタイは色鮮やかな花でいっぱいです。
2014年5月6日火曜日
ドムアン空港なう。
またまた出張です。最近1ヵ月に一度はバンコクあるいはミャンマー国内へ出張しています。飛行機に乗る回数が多いです。飛行機嫌いの私にはつらいです。小型便に乗り揺れる度に半泣き状態です。客室乗務員のお姉さんの冷静さにいつも尊敬。揺れてる中よく笑顔でお客さんにサービスできるわ~と感心(いや、私が揺れる度に動揺しすぎなのでは苦笑)。
今はバンコクのドムアン空港です。夜行バスで早朝バンコクへ着き、バンコクにある本部へ立ち寄りパスポートをピックアップし(バンコクにある職場の本部がミャンマー入りのビザの手配をしてくれました)、今飛行機待ちです。
本当は飛行機待ち時間、拡大予防接種計画の論文を書き始めなければ!と思っていたのですが、眠くて断念。来週あたり上司に内容を見せなければならないのですが、夜行バス明けで眠いし、バンコクの炎天下を歩きまわり疲れたため、ブログを書いています(仕事放棄!)
飛行機の待ち時間中にミャンマー人の女性がミャンマー語で声をかけてきました。
女性「あなたもヤンゴンに行くのよね?」
私「はい。雨が降ってるので遅くなるかもしれないですね。」
女性「予定の搭乗時間を10分過ぎてるもんね」
「トイレ行ってきても大丈夫かしら?」「タイには何してるの?仕事?」などたわいのない話をしていると・・・
女性「あなたシャン州(ミャンマーの)出身よね?」
私「言ったかもしれないけど、私は日本人ですよ。」
女性「そうなの?日本人がそんなミャンマー語話せるわけないじゃない?シャンに違いないと思ってたわ。」
おいおい。バンコクの空港でタイ人がたくさんいる中で、どれだけ私はミャンマー人オーラを出してるのだろうと感じられずにはいられませんでした。
ミャンマー国内でもシャン州出身でつき通すか。前回はカチン族のふりをしてました(カチンの服を着ていたので)。。。
今はバンコクのドムアン空港です。夜行バスで早朝バンコクへ着き、バンコクにある本部へ立ち寄りパスポートをピックアップし(バンコクにある職場の本部がミャンマー入りのビザの手配をしてくれました)、今飛行機待ちです。
本当は飛行機待ち時間、拡大予防接種計画の論文を書き始めなければ!と思っていたのですが、眠くて断念。来週あたり上司に内容を見せなければならないのですが、夜行バス明けで眠いし、バンコクの炎天下を歩きまわり疲れたため、ブログを書いています(仕事放棄!)
飛行機の待ち時間中にミャンマー人の女性がミャンマー語で声をかけてきました。
女性「あなたもヤンゴンに行くのよね?」
私「はい。雨が降ってるので遅くなるかもしれないですね。」
女性「予定の搭乗時間を10分過ぎてるもんね」
「トイレ行ってきても大丈夫かしら?」「タイには何してるの?仕事?」などたわいのない話をしていると・・・
女性「あなたシャン州(ミャンマーの)出身よね?」
私「言ったかもしれないけど、私は日本人ですよ。」
女性「そうなの?日本人がそんなミャンマー語話せるわけないじゃない?シャンに違いないと思ってたわ。」
おいおい。バンコクの空港でタイ人がたくさんいる中で、どれだけ私はミャンマー人オーラを出してるのだろうと感じられずにはいられませんでした。
ミャンマー国内でもシャン州出身でつき通すか。前回はカチン族のふりをしてました(カチンの服を着ていたので)。。。
2014年5月2日金曜日
Pedagogy of the oppressed -国際協力の視点-
あっという間に5月ですね。Time is going faster and faster...
仕事もあと3か月を切り、こんな感じで全ての仕事を終わらせることができるのか日々プレッシャーです。特に拡大予防接種計画(EPI)プログラムの評価が大変で、昨日は副所長さん(オーストラリア人)であるプロジェクトの上司と夜10時半までEPIの評価レポートを作成していました。遅くまで仕事をしていましたが、上司が本当に素敵な女性で一緒に仕事をしていてとても元気がでます(二人とも昨晩はややハイテンション)。
今の仕事は上司にも恵まれ、とても勉強になります。ただ思うのは私したい国際協力の形って何なんだろう?と最近よく思います。
職場の米国人の友達に借りて読んでいる「Pedaogogy of the oppressed」Paulo Freire著はよくその私の疑問をとらえていると思います(この書籍は少しdenseです)。
今の職場は欧米諸国出身の医師が多くを占め、職場のデスクは本当に外国人ばかり。昔の私なら「めちゃくちゃインターナショナルな職場!かっこいい!」と夢をみていたかもしれません。
でも最近はちょっと違うんではないかと思いはじめています。私の上司であるフランス人の所長さんとオーストラリア人の副所長さんは本当に素敵な上司で、一緒に仕事をしていて苦でなく楽しいです。2人はこの職場につとめて20年あまり。ローカルスタッフの気持ちがよくわかっています。
その2人や少数の長期の欧米諸国のスタッフを除いて、海外から来た医師や研究者は、ローカルスタッフを上から見ているのではないかと思うのです。彼らが無意識に気づかないうちに。ローカルスタッフには自己紹介もしないし、挨拶もしない人もいます。もし白人同士だったら挨拶するだろうにと思うことが多々あります。
紹介した書籍のThe oppressed(抑圧されている人々)というのはローカルスタッフを指します。
書籍を簡単に説明すると欧米人が植民地支配をし、開発という名の下にローカルの人々をないがしろにしてきた。その植民地支配が終わった今でも、ローカルの人々の声をちゃんと聞いているのか?と言う点を書籍は投げかけています。
私はよく「何のために働いているの?自分のため?貧しい人を救うという正義感、優越感に浸ってるのか?本当にローカルの人たちと向き合い、一緒に問題解決しようと思っているの?誰がこの土地の主人公なの?」とよく思います。
もちろん、自分もThe oppressor(支配する側)になっているかもしれません。
この職場がイギリスの大学から形成され、またドナーもEUやイギリス政府等です。お金の関係からもDecision makerが欧米人になり、欧米優位になってしまうのもしょうがないかもしれません。
この職場は博士課程中も大変お世話になると思います。ですが将来私がフィットしているなと感じる職場ってどこにあるのだろう?といろいろ考える今日この頃です。
仕事もあと3か月を切り、こんな感じで全ての仕事を終わらせることができるのか日々プレッシャーです。特に拡大予防接種計画(EPI)プログラムの評価が大変で、昨日は副所長さん(オーストラリア人)であるプロジェクトの上司と夜10時半までEPIの評価レポートを作成していました。遅くまで仕事をしていましたが、上司が本当に素敵な女性で一緒に仕事をしていてとても元気がでます(二人とも昨晩はややハイテンション)。
今の仕事は上司にも恵まれ、とても勉強になります。ただ思うのは私したい国際協力の形って何なんだろう?と最近よく思います。
職場の米国人の友達に借りて読んでいる「Pedaogogy of the oppressed」Paulo Freire著はよくその私の疑問をとらえていると思います(この書籍は少しdenseです)。
今の職場は欧米諸国出身の医師が多くを占め、職場のデスクは本当に外国人ばかり。昔の私なら「めちゃくちゃインターナショナルな職場!かっこいい!」と夢をみていたかもしれません。
でも最近はちょっと違うんではないかと思いはじめています。私の上司であるフランス人の所長さんとオーストラリア人の副所長さんは本当に素敵な上司で、一緒に仕事をしていて苦でなく楽しいです。2人はこの職場につとめて20年あまり。ローカルスタッフの気持ちがよくわかっています。
その2人や少数の長期の欧米諸国のスタッフを除いて、海外から来た医師や研究者は、ローカルスタッフを上から見ているのではないかと思うのです。彼らが無意識に気づかないうちに。ローカルスタッフには自己紹介もしないし、挨拶もしない人もいます。もし白人同士だったら挨拶するだろうにと思うことが多々あります。
紹介した書籍のThe oppressed(抑圧されている人々)というのはローカルスタッフを指します。
書籍を簡単に説明すると欧米人が植民地支配をし、開発という名の下にローカルの人々をないがしろにしてきた。その植民地支配が終わった今でも、ローカルの人々の声をちゃんと聞いているのか?と言う点を書籍は投げかけています。
私はよく「何のために働いているの?自分のため?貧しい人を救うという正義感、優越感に浸ってるのか?本当にローカルの人たちと向き合い、一緒に問題解決しようと思っているの?誰がこの土地の主人公なの?」とよく思います。
もちろん、自分もThe oppressor(支配する側)になっているかもしれません。
この職場がイギリスの大学から形成され、またドナーもEUやイギリス政府等です。お金の関係からもDecision makerが欧米人になり、欧米優位になってしまうのもしょうがないかもしれません。
この職場は博士課程中も大変お世話になると思います。ですが将来私がフィットしているなと感じる職場ってどこにあるのだろう?といろいろ考える今日この頃です。
2014年4月4日金曜日
バンコクなう。
また最近ブログを更新していませんでした。
月曜から土曜までぎっしり働かないと渡米前まで2つのプロジェクトのペーパーを終えられそうにありません。このまま忙しく7月末になりそうです。拡大予防接種計画のプログラム評価がひとつの仕事なのですが、対象が16000人の子どもたち。不揃いなデータ等をきれいにしてから分析なので、大変。
質的評価は国境の結核コントロール、量的評価は予防接種プログラムと全然違う評価なのですが、毎日勉強になります。フランス人(結核評価)、オーストラリア人(予防接種の評価)の上司が本当にいい人で、丁寧に仕事を教えてくれるので素晴らしい環境で働かせてもらえていることに感謝です。
本日のブログはバンコクからレポートしています。今回は質的研究の分析トレーニングをバンコクの本部で受けました。トレーニングを受けて新たなことをまた学べたので、刺激になりました。いつもEメールベースでやりとりをしている本部の方々にも会え挨拶できてよかったです。
明日はどうやらバンコクで大きなデモがあるらしいです。デモに巻き込まれないようにバンコク市街を早めにでて、メソトへ戻ります。
もうすぐタイは水かけ祭りの正月が始まります。メソトも水かけ戦闘モードに来週あたりからなるのでは。。。恐ろしい。日本は花見かな・・・うらやましい!
久々に都会の刺激を受けて満足。バンコクにいると散財してしまうので、数日でメソトへ帰るのが調度です。
月曜から土曜までぎっしり働かないと渡米前まで2つのプロジェクトのペーパーを終えられそうにありません。このまま忙しく7月末になりそうです。拡大予防接種計画のプログラム評価がひとつの仕事なのですが、対象が16000人の子どもたち。不揃いなデータ等をきれいにしてから分析なので、大変。
質的評価は国境の結核コントロール、量的評価は予防接種プログラムと全然違う評価なのですが、毎日勉強になります。フランス人(結核評価)、オーストラリア人(予防接種の評価)の上司が本当にいい人で、丁寧に仕事を教えてくれるので素晴らしい環境で働かせてもらえていることに感謝です。
本日のブログはバンコクからレポートしています。今回は質的研究の分析トレーニングをバンコクの本部で受けました。トレーニングを受けて新たなことをまた学べたので、刺激になりました。いつもEメールベースでやりとりをしている本部の方々にも会え挨拶できてよかったです。
明日はどうやらバンコクで大きなデモがあるらしいです。デモに巻き込まれないようにバンコク市街を早めにでて、メソトへ戻ります。
もうすぐタイは水かけ祭りの正月が始まります。メソトも水かけ戦闘モードに来週あたりからなるのでは。。。恐ろしい。日本は花見かな・・・うらやましい!
久々に都会の刺激を受けて満足。バンコクにいると散財してしまうので、数日でメソトへ帰るのが調度です。
2014年3月11日火曜日
渡米まで5か月
気がつけば約1か月以上ブログを更新していませんでした!ブログをフォローして下さっている皆さん、ご心配をかけてすみません。おかげさまで元気に研究所で働いています。
実は2月は10日間ほど大雪だった日本に帰っていました。下は証拠写真です。ちなみに現在タイは日中摂氏30度は超えております。
今回の帰国の目的は奨学金の面接でした。給付型の奨学金の1次試験であった書類審査に通り、2次試験の面接を受けに行きました。
面接から数週間がたち、先日無事に採用通知を受け取りました。この奨学金は官民が協力した海外留学支援制度という奨学金です。授業料と生活費を原則3年間支給していただけることになり、無事にこの8月博士の学生として渡米することになりそうです。
米国の担当教官マーク先生にも早速報告し、とても喜んでくれていました。
あとは7月末まで研究所で働きながら渡米準備をする予定です。7月末までに今行っている結核に関連した研究をまとめ、論文を書き上げなければなりません。
それだけでなく、移民学校にある拡大予防接種計画のプロジェクトにも携わっているので、そのプロジェクトに関連した量的研究も今から進めていく予定です。これも1本論文書く予定です。主研究者として7月末までに英語の論文2本かけるのかしら。。。ひとまずがんばります!
残りラストスパートがんばるぞ!
実は2月は10日間ほど大雪だった日本に帰っていました。下は証拠写真です。ちなみに現在タイは日中摂氏30度は超えております。
今回の帰国の目的は奨学金の面接でした。給付型の奨学金の1次試験であった書類審査に通り、2次試験の面接を受けに行きました。
面接から数週間がたち、先日無事に採用通知を受け取りました。この奨学金は官民が協力した海外留学支援制度という奨学金です。授業料と生活費を原則3年間支給していただけることになり、無事にこの8月博士の学生として渡米することになりそうです。
米国の担当教官マーク先生にも早速報告し、とても喜んでくれていました。
あとは7月末まで研究所で働きながら渡米準備をする予定です。7月末までに今行っている結核に関連した研究をまとめ、論文を書き上げなければなりません。
それだけでなく、移民学校にある拡大予防接種計画のプロジェクトにも携わっているので、そのプロジェクトに関連した量的研究も今から進めていく予定です。これも1本論文書く予定です。主研究者として7月末までに英語の論文2本かけるのかしら。。。ひとまずがんばります!
残りラストスパートがんばるぞ!
2014年1月30日木曜日
ヤンゴン~パアン~ミャワディー~メソトへの道
ミャンマー国内出張も今週月曜に終え、無事にタイに戻ってきました。
最後は肉体的にも精神的にもちょっと落ち込んでしまいました。
WHOとの会議は思ったよりも緊張することなく、1人でもうまく切り抜け、なんとか仕事のサポートもしてもらえそうな感じでしたが、やっぱり自分が働いたことがないミャンマー国内で仕事をするのは難しいです。役所的な手続きを終えておらず、会うべきはずだった方と会えなかったりもし、再びミャンマー国内に来ることになるかもしれません。私の上司には近々、出直してミャンマー出張だなと言われたので、なんとしてでもこのミッションをやり直さなければです。
ミャンマーの皆さんはとても大好きなのですが(私はビルメロ族ですし)、毎日の食事が本当につらいです。。。ミャンマー料理脂っこいので途中タイ料理が恋しくてつらかったです。
出張の大半はヤンゴンで過ごし、帰りにカレン州の州都パアンを通りぬけ、初めて陸路でタイへ戻りました。陸路で外国人がタイとミャンマーを行き来できるようになったのは去年の9月からなのです。
カレン州パアンまではヤンゴンからバスに乗り6時間くらいでした。行先はパアン経由下呂温泉!
嘘です!日本の中古バスを使っているからです。パアンには下呂温泉なんてありません(苦笑)
パアンの恋人たちが集う橋です。橋の後ろにはうっすらとパアンを象徴するゾエカビン山が見えます。
パアンの街郊外をパアンにある有名なパコダから見下ろせます。自然豊かで美しい眺めでした。
内戦だったカレン州に入って大丈夫なのですか?っと思われる方もいるかもしれませんが、パアンは昔は旅行者の移動の制限があり、入れなかったそうです。今は政府側のコントロールエリアなのでカレン文化とビルマ文化が混在したような街になっています。旅行するには全く問題はありません。
垣間見れたパアンにうっとりしながら、パアンからコーカレー、ミャワディー、メソト(タイ)とプライベートカー(10000チャット:約1000円)で5時間かけて移動しました。
悲劇は帰り道にありました。この帰り道は人生で経験したことのないほど、舗装が全くされてない土砂道を通り、山を何度も通りぬけ、まるでハリウッド映画のカースタントですかっ!って思うほどのドライブでした。崖がすぐそばにあり、崖に落ちている車も見えました(ひえ~冷や汗)。道がとても狭く、一通のため、隔日毎に上りと下りで分けて車が走っています。そのため毎日パアンからミャワディーに行けるわけではありません。一日おきなのです。
車酔いを大人になってから一度もしたことがない私がなんともグロッキーになってしまい、道中の写真を撮ることはできませんでした。前日に食べた脂っこい野菜炒めがこの車酔いに見事に当たり、何度嘔吐してしまったことか。。。もう二度と陸路でカレン州からは帰らないかなと思います。
最後は肉体的にも精神的にもちょっと落ち込んでしまいました。
WHOとの会議は思ったよりも緊張することなく、1人でもうまく切り抜け、なんとか仕事のサポートもしてもらえそうな感じでしたが、やっぱり自分が働いたことがないミャンマー国内で仕事をするのは難しいです。役所的な手続きを終えておらず、会うべきはずだった方と会えなかったりもし、再びミャンマー国内に来ることになるかもしれません。私の上司には近々、出直してミャンマー出張だなと言われたので、なんとしてでもこのミッションをやり直さなければです。
ミャンマーの皆さんはとても大好きなのですが(私はビルメロ族ですし)、毎日の食事が本当につらいです。。。ミャンマー料理脂っこいので途中タイ料理が恋しくてつらかったです。
出張の大半はヤンゴンで過ごし、帰りにカレン州の州都パアンを通りぬけ、初めて陸路でタイへ戻りました。陸路で外国人がタイとミャンマーを行き来できるようになったのは去年の9月からなのです。
カレン州パアンまではヤンゴンからバスに乗り6時間くらいでした。行先はパアン経由下呂温泉!
嘘です!日本の中古バスを使っているからです。パアンには下呂温泉なんてありません(苦笑)
パアンの恋人たちが集う橋です。橋の後ろにはうっすらとパアンを象徴するゾエカビン山が見えます。
ゾエカビン山のふもとには1000体もの仏像が並び、この聖なるゾエカビンを古くから守っているそうです。
内戦だったカレン州に入って大丈夫なのですか?っと思われる方もいるかもしれませんが、パアンは昔は旅行者の移動の制限があり、入れなかったそうです。今は政府側のコントロールエリアなのでカレン文化とビルマ文化が混在したような街になっています。旅行するには全く問題はありません。
垣間見れたパアンにうっとりしながら、パアンからコーカレー、ミャワディー、メソト(タイ)とプライベートカー(10000チャット:約1000円)で5時間かけて移動しました。
悲劇は帰り道にありました。この帰り道は人生で経験したことのないほど、舗装が全くされてない土砂道を通り、山を何度も通りぬけ、まるでハリウッド映画のカースタントですかっ!って思うほどのドライブでした。崖がすぐそばにあり、崖に落ちている車も見えました(ひえ~冷や汗)。道がとても狭く、一通のため、隔日毎に上りと下りで分けて車が走っています。そのため毎日パアンからミャワディーに行けるわけではありません。一日おきなのです。
車酔いを大人になってから一度もしたことがない私がなんともグロッキーになってしまい、道中の写真を撮ることはできませんでした。前日に食べた脂っこい野菜炒めがこの車酔いに見事に当たり、何度嘔吐してしまったことか。。。もう二度と陸路でカレン州からは帰らないかなと思います。
2014年1月15日水曜日
ヤンゴンなう。
ミンガラバー(ビルマ語:こんにちわ)!
ついにこの日が来てしまいました。ミャンマー国内出張。年明け早々に予定されていたのですが、いろいろ予定があわず、今日からミャンマー国内入りです。今はヤンゴン。
明日はWHOミャンマーと初会議。もうだめ。緊張です。WHOタイは何人か知り合いがいたり、何度も会ったりしているのであまり緊張はしないのですが、WHOミャンマーとの顔合わせは初です。誰も知り合いがいない。しかもうちの研究チームから私だけピンです。ほんま大丈夫かいなっ!て感じです。。。
このミャンマー国内の仕事内容はあまり言えないのですが、仕事が終わるまでタイには帰らないつもりです。早ければ1週間、長くて2週間ちょっとかも。ヤンゴンだけでなく、他の都市にも仕事で訪問する予定です。新年早々に力試しです。
久しぶりのヤンゴン。相変わらず日本の古いバスが走っています。車の渋滞がすごいです(バンコクみたいにモノレールもないし)。
タイバーツをチャット(ミャンマーのお金)へ両替しようといろんな銀行を歩いて周ったのですが、ほとんどの銀行が米ドル、日本円、ユーロなど貨幣価値が高い紙幣しか両替できず困っていました。
いく先々のミャンマーの人たちはとても親切で、「あの銀行だったら替えてくれるかも?連れていくよ」と銀行で働くミャンマーの人たちは親切に答えてくれました。またタクシーを拾ってくれて銀行までの道をタクシーのドライバーさんに説明までしてくれたりと、大都市のヤンゴンでもミャンマーの人たちは優しいなとほっとしました。
私はなるべくミャンマーの人たちと話すときにミャンマー語で話します。日常生活程度はミャンマー語で問題ないことと、外国人って思われたくないからです。ただ私のミャンマー語の発音は明らかにミャンマー族ではない。。。
タクシーの運転手:「どこから来たの?何人?」
私:「タイのメソトで働くカレン族です」
タクシーの運転手:「へ~」
などとも嘘をついてしまいました。日本人って言ったらぼったくられるなと思い・・・ごめんなさい(汗)。ヤンゴンでミャンマーのカレン族出身って言っても信じてくれるんですね(苦笑)。
日本出身のビルメロ族ミャンマーの大衆食堂で夜ご飯を食べる。明日からがんばろう!
ついにこの日が来てしまいました。ミャンマー国内出張。年明け早々に予定されていたのですが、いろいろ予定があわず、今日からミャンマー国内入りです。今はヤンゴン。
明日はWHOミャンマーと初会議。もうだめ。緊張です。WHOタイは何人か知り合いがいたり、何度も会ったりしているのであまり緊張はしないのですが、WHOミャンマーとの顔合わせは初です。誰も知り合いがいない。しかもうちの研究チームから私だけピンです。ほんま大丈夫かいなっ!て感じです。。。
このミャンマー国内の仕事内容はあまり言えないのですが、仕事が終わるまでタイには帰らないつもりです。早ければ1週間、長くて2週間ちょっとかも。ヤンゴンだけでなく、他の都市にも仕事で訪問する予定です。新年早々に力試しです。
久しぶりのヤンゴン。相変わらず日本の古いバスが走っています。車の渋滞がすごいです(バンコクみたいにモノレールもないし)。
タイバーツをチャット(ミャンマーのお金)へ両替しようといろんな銀行を歩いて周ったのですが、ほとんどの銀行が米ドル、日本円、ユーロなど貨幣価値が高い紙幣しか両替できず困っていました。
いく先々のミャンマーの人たちはとても親切で、「あの銀行だったら替えてくれるかも?連れていくよ」と銀行で働くミャンマーの人たちは親切に答えてくれました。またタクシーを拾ってくれて銀行までの道をタクシーのドライバーさんに説明までしてくれたりと、大都市のヤンゴンでもミャンマーの人たちは優しいなとほっとしました。
私はなるべくミャンマーの人たちと話すときにミャンマー語で話します。日常生活程度はミャンマー語で問題ないことと、外国人って思われたくないからです。ただ私のミャンマー語の発音は明らかにミャンマー族ではない。。。
タクシーの運転手:「どこから来たの?何人?」
私:「タイのメソトで働くカレン族です」
タクシーの運転手:「へ~」
などとも嘘をついてしまいました。日本人って言ったらぼったくられるなと思い・・・ごめんなさい(汗)。ヤンゴンでミャンマーのカレン族出身って言っても信じてくれるんですね(苦笑)。
日本出身のビルメロ族ミャンマーの大衆食堂で夜ご飯を食べる。明日からがんばろう!
2014年1月5日日曜日
Happy New Year!
皆さん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。
あっという間に2014年となりました。12月は怒涛に過ぎ去っていきましたが、年末はミャンマーのカレン州で年越しをすることができました。
私の所属している研究所にはいくつかフィールドクリニックがあり、ひとつのクリニックがミャンマー、カレン州ミャワディー郡ココという街にあります。そのココという街で過去最大のカレンニューイヤーフェスティバルという催し物が12月31日から1月1日にかけて開催されました。
写真はココの結核村からみた2013年最後の夕日です。建物が何もなくきれいな夕日がみえます。
カレンニューイヤーでは歌やダンスと言った多くの催し物が開催され、おそらく1000人以上の観客がいたのではないかと思います。カレンの民族ダンスも夕方から始まり夜11時半まで披露されていました。カレン州の5つの郡から来たチームがダンスを披露しコンテストをしていました。
もちろん深夜0時のカウントダウンには花火もあがりましたよ!
メータオクリニックで働いていたときも、このカレンニューイヤー祭りに参加したことがあるのですが、今年の祭りは感動しました。なぜならミャンマーが平和への道を歩んでいるんだなと感じたからです。1月1日のセレモニーには首都のネピドーから訪問した政府関係者が挨拶をし、またミャンマーの国旗が掲げられていました。さらに祭りの一角には、カレンの伝統シャツを着たミャンマーのテイセイン首相の写真が飾られていたのです。
長い間カレン族と軍政府の内戦は続き、多くの人が家を失い15万人以上のカレン族をはじめとした少数民族がタイにある難民キャンプに今もなお住んでいます。全少数民族と昨年停戦合意をしたミャンマー政府。平和への道のりはまだ始まったばかりですが、ミャンマーの人たちが平和で穏やかに祖国へ帰れる日が来ることを願ってやみません。
Happy, Healthy and Peaceful 2014!
あっという間に2014年となりました。12月は怒涛に過ぎ去っていきましたが、年末はミャンマーのカレン州で年越しをすることができました。
私の所属している研究所にはいくつかフィールドクリニックがあり、ひとつのクリニックがミャンマー、カレン州ミャワディー郡ココという街にあります。そのココという街で過去最大のカレンニューイヤーフェスティバルという催し物が12月31日から1月1日にかけて開催されました。
写真はココの結核村からみた2013年最後の夕日です。建物が何もなくきれいな夕日がみえます。
カレンニューイヤーでは歌やダンスと言った多くの催し物が開催され、おそらく1000人以上の観客がいたのではないかと思います。カレンの民族ダンスも夕方から始まり夜11時半まで披露されていました。カレン州の5つの郡から来たチームがダンスを披露しコンテストをしていました。
もちろん深夜0時のカウントダウンには花火もあがりましたよ!
メータオクリニックで働いていたときも、このカレンニューイヤー祭りに参加したことがあるのですが、今年の祭りは感動しました。なぜならミャンマーが平和への道を歩んでいるんだなと感じたからです。1月1日のセレモニーには首都のネピドーから訪問した政府関係者が挨拶をし、またミャンマーの国旗が掲げられていました。さらに祭りの一角には、カレンの伝統シャツを着たミャンマーのテイセイン首相の写真が飾られていたのです。
長い間カレン族と軍政府の内戦は続き、多くの人が家を失い15万人以上のカレン族をはじめとした少数民族がタイにある難民キャンプに今もなお住んでいます。全少数民族と昨年停戦合意をしたミャンマー政府。平和への道のりはまだ始まったばかりですが、ミャンマーの人たちが平和で穏やかに祖国へ帰れる日が来ることを願ってやみません。
Happy, Healthy and Peaceful 2014!
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