2014年9月22日月曜日

世界で一番お年寄りが多い国

学校が本格的にはじまってもうそろそろ1ヶ月。時間がたつのが早いです。いつも読物に追われています。1つのクラス準備のために100~150ページほどの読物を事前に読まないといけないクラスが2つあり、あせります。授業が全てディスカッションベース(8名~15名ほどのクラス体系)なので、読んでこないと授業に参加できません。1つの授業につき最低2~3回は私も発言しようと心得、発言しています。授業の読物が少なかったり、空き時間があり、勉強しないとなぜか罪悪感にかられます。こんなぼーっとしていて大丈夫なのか。。。

「死亡率と健康」のクラスでは、よく日本が登場します。世界トップクラスの最長平均寿命、低い乳児死亡率、所得の不均衡さが比較的小さいことから、クラスの中では日本はとても健康で裕福な理想な国となっています。そんな日本が現在と2050年人口統計の比較した表ではどのような立ち位置にいるか、興味深い表を出します。以下全ての表はUSAID(米国開発庁)のPopulation Reference Bureau (人口統計局)の2010年に出した調べです。

2010年、世界での人口が大きな国トップ10。日本は10位にランキングしています。トップ1位の中国は国民全体が日本よりも若く、生産人口が大きいことなどからGDPでも日本を抜かして現在世界の2位(1位は米国)。

そして2050年。日本はトップ10ランキングから落ちました。興味深いことにアフリカのエチオピア、コンゴが初トップ10入りをしています。今後2050年人口が多いトップ10の国が経済成長してくるのかもしれません。国民生産人口が若く、大きい国は経済成長のメリットです。

2010年世界で一番お年寄りが多い国。。。やっぱり日本!国民の22.6%が65歳以上です。
2050年、65歳以上を支える生産人口(15歳~64歳)との比率。日本は最下位です。

「1」です!1という意味は生産人口にあたる1人が65歳以上を1人で支えなければいけないという意味です。
2050年日本の政府予算はどうやってまわすのでしょうか。大丈夫なのでしょうか。2050年私は65歳側。今の政治家の皆さんはこの35年後、ご健在かわかりませんが(35年先のことまで考えているか疑問です)、今の30代、40代が真面目に考えなければ、取り返しのつかない問題になることは間違いありません。

2014年9月7日日曜日

博士課程の流れと新学期の内容

授業がはじまりようやく2週間がたとうとしています。授業のレベルは博士の学生向けの授業を履修しているので、中身はやや難しくなり読物の量が非常に多い。一方、修士課程をはじめたときよりも、米国の大学院の勉強法は以前よりはわかっているのと、大学院内、ニューオーリンズ内に友人が結構いることや先生も知っている人ばかりなので、ストレス度が低いです。

日本の博士課程と他の国の博士課程と米国の博士課程のシステムは若干違います。

ここでは、2年間72単位のコースワークを履修することが博士課程でも必要です。そのうち公衆衛生の修士号を取得している人は修士課程の40単位、博士課程へ移動することができます。なので私の場合は32単位を博士課程で取得しなければいけません。

またコースワーク修了後は4日間にわたる総合試験を受けなければいけません。3日間は疫学、統計学、研究のデザイン方法などの公衆衛生の研究者として必要な知識のテストです。最後1日は自分の専門分野のテストです。私の場合は移住と健康になります。移住と健康の専門教授らによってテストが作られる予定です。この総合試験がものすごく大変で、4日間のうち大体のひとが一日3~4時間しか睡眠をとれないほどらしいです(テークホーム試験:自宅で受ける試験)。そしてできが悪い人は普通に落ちます・・・。今年も1人落ちて再試験していました。

この試験に無事受かれば、Doctoral Student (博士課程の学生)からPhD candidate (博士号取得候補者)になります。PhD candidateになってから、prospectus defense と言われる博士論文で何を研究したいかを口頭発表します。これを通過すれば晴れて、自分のしたい研究ができるというわけです。研究論文の結果は本として出すか、国際科学雑誌に論文を最低3つ投稿することが条件です。うちの学科の博士課程はコースワークから卒業までだいたい平均4~5年かかっています。

日本では、論文の不正など最近いろいろ問題がありましたが、米国の大学院ではplagiarism(他論文を盗作すること)に非常に厳しいです。入学前にcode of academic conductという学業で不正は行いません、不正したら退学する覚悟です、というような内容の誓約書に署名し提出しなければいけません。

本当に道のりは長く、険しいです。。。

さて今学期私がとっている科目は以下です。
1.Research approaches and design for Global Health (国際保健のための研究アプローチとデザイン方法) (3単位):博士課程必須科目です。疫学と統計をおさらいしたようなコースです。最終的に自分で研究プロポーザルまで書くことができるようになることが目標のクラスです。
2.Themes in Mortality and Health (死亡率と健康)(3単位):修士課程後半~博士向け。人口統計学です。私の専門分野になるので取りました。このクラスの読物が一番興味深い。
3.Social determinants of Health(健康の社会的要因)(3単位):博士課程向け。健康と社会背景がどのように相互作用しているか、理論ベースで考え、社会的要因と健康に沿った研究を計画します。

たった9単位しか今回は取っていません。なぜなら全て内容が濃いのと、実は疫学1を聴講しているからです。次の学期に疫学2を取らなければならず、疫学をすっかり忘れてしまっているので現在もう一度おさらい中です。そして今学期後半に研究アシスタントを始める可能性もあり、ペースを調整しています。

今年、同じ国際保健システムと開発科の博士課程に入学したのは5名です。アメリカ人1人、パキスタン人1人、イラン人1人、バルバドス(カリブ海の小国)1人、日本人私1人です。先生方にはこの学年ほど、国際保健!って感じる学年はないね!と言われています。本当に多国籍な学年です。今年は40名ほどの人がこの学科を受験し、おそらく8~10名くらいは合格したと思うのですが、最終的に残ったのは私たち5名。留学生ばかりの学年でとても居心地がよいです。

バックグランドも様々で、ワールドビジョンという国際NGOで働いてきたり、チュレーンの災害センターで働いてきた人から、グローバルファンド(世界基金)で働いていたイラン人、WHOで働いていたパキスタン人など、国際保健の最前線で働いていた人と勉強できるのは私も刺激になり勉強になります。将来、就職先を斡旋してもらわないとです(笑)。







2014年8月24日日曜日

米国編スタート

無事に日本で学生ビザを取り、月曜に渡米しました。現在はニューオーリンズです。久しぶりに米国、ニューオーリンズに帰ってきた日は、まるで夢をみているようで変な気持ちでしたが、今はだいぶ慣れてきました。でも未だに時差ボケに苦しんでいます。朝めちゃくちゃ早く起きてしまいます。4時5時に連日起きています。そして夕方にはすぐ眠くなる・・・。

今週は公衆衛生熱帯医学校全体のオリエンテーションがあり、来週から早速授業です。一部のクラスでは早速リーディングリストをもらったので読んでいます。いよいよ始まるのだなと実感。

大学院に博士の学生として帰ってきて、ここは私の第3の故郷になるのだとしみじみ感じていました。第一の故郷、日本。第二はタイ。第三はニューオーリンズ(?)。

愛しの指導教官マーク先生とも1年半ぶりに感動の再会を果たしました。
「お帰り!帰ってきてくれて本当に嬉しいよ!奇跡みたいだ!よく頑張ったね!」と一番に喜んでくれました。

学科長やMPH時代にお世話になった他の先生方、チュレーンの大学内の友達などみんなが、「Welcome back to Tulane! お帰りなさい!」と言ってくれると、まるで地元に帰ってきたような感じがします。

見慣れている街並み、友達に会うと不思議と違和感がありません。帰ってきてよかったと思います。

最低2年間はコースワークをとらなければいけないので、米国に滞在する予定です。無事生き残れるか、これから闘いが始まりますが、好きな分野での勉強が思う存分できることに感謝し、思いっきり楽しんで勉強したいと思います。

 街を走る路面電車



新学期前のアップタウンキャンパスの様子




2014年8月2日土曜日

タイ編終了

おそらくタイからのブログ更新はこれで最後になるかと思います。来週メソトから帰国します。

この一年を振り返り、自分が思っていたよりもはるかに充実した1年を過ごすことができました。昨年の今頃米国の博士進学を1年延期し、給付の奨学金がこの1年間でとれるのか、仕事はみつかるのか本当に不安でした。

仕事も私が希望していたようなアカデミアで結果を残せるような組織に就職でき、素晴らしい上司と同僚に恵まれ、支えてくださった皆さんに本当に感謝しています。

修士課程を終えてから、はじめての本格的な国際保健の分野での仕事でしたが、一言につきます。

「国際保健の仕事ってめちゃ楽しい!」

日本で病院で働くよりも、毎日自分が生き生きしているのが手に取るようにわかりました。現場で現地の人と目でみて、肌で感じて勉強することができました。いろんな場所(ミャンマー国内、バンコク)にも出張にいかせてもらい、いつもわくわくしていたことを思い出します。

また全て英語での仕事で、かつ英文学術雑誌へ主著として2本論文を書き、いろんな国の人とまたいろんな組織の人(ローカルNGOから国連機関まで)と仕事をしネットワークを築けたのでこの1年は実り多い1年となりました。

職場の皆さん、家族、友人、1年間タイ編を支えてくださった皆さんへ感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございます。

さてあと2週間後、私は米国にいます。帰国後ビザの手配等日本でしなければいけないことを丁寧にすませ、新しい米国編へ進みたいと思います。


感謝の気持ちをこめて今週は職場のスタッフとお世話になっている友人のために巻きずしを作りました。計18本もこの3日間で巻きました!職場のスタッフにもたくさんお別れのプレゼントをいただきました。カレン族シャツの嵐です。メータオから数えると何枚もらってきたんだろうっていうくらい家にもカレン族シャツがたくさんあります。。。



2014年7月12日土曜日

帰国までカウントダウン

タイでの仕事もあと3週間となりました。6月末に辞表届をだし、私本当に辞めてしまうんだとしみじみ実感。周りのスタッフにも「辞めちゃうんだって?どうして?」と聞かれることが多くなりました。

もともと博士課程へ進学する前の1年間だけの仕事だと思って、仕事をしていたのですがなんだか働き物足りないような気もします。6月末から7月中は仕事の大詰めです。

ミャンマー移民学校で勉強する子どもたちの予防接種率を評価した論文を英文雑誌へ投稿しました。私が主著なので共著の先生方にも何度も見てもらい、修正を繰り返し7月上旬やっと提出できました。これから2カ月間ほど雑誌のpeer reviewersにみてもらいアドバイスをいただく予定ですが、投稿してから論文が雑誌に載るまで半年~1年はかかるようです。

あと結核の仕事は7月下旬に大きな会議(この研究所の歴史でも大きな転換期かも)があり、私の仕事も大いに関わっています。結核に関する論文も書き上げ、もう英文雑誌へ投稿する準備はできているのですが、7月下旬まで何も身動きが取れません。どんでん返しがおきませんように。。。

そして7月に入って、なんと今さら二つのプロポーザルを書いています。どちらも今月中に提出。ひとつは結核村の拡大支援の要請に関するプロポーザルです。私が書かなくてもGrant manager(財務担当者)が書くものですが、一度英文プロポーザルを書く練習をしてみたい!と思い、手を挙げて書かせてもらっています。何度も修正していますが。。。

追い打ちをかけるように副所長さんからHIVに関するNational Institute of Health(米国の保健省)へプロポーザルの案件形成にも声をかけてもらい、新しい分野にも最後の最後に挑戦中です。これが通れば私の博士課程の論文はおそらくHIVと結核になる予定です。内容はまだ秘密。

郷愁に浸る暇がない本音です。丁寧に無事、仕事を終えるまでラストスパートです。

2014年6月18日水曜日

つながる世界

難民、移民の人口移動と健康問題は私の最も興味があるトッピックスです。そのmigration and health(移住と健康)を専門的に勉強すべく博士課程へ進学する予定です。

国境の街、タイのメソト(私が住む街)はミャンマーからgatewayです。勉強する身にとって街の変化が学びにもなります。

夏季が終わり、新学期とともにミャンマー移民学校が開校されはじめました。国境のタック県4郡に74校の移民学校があり、14000人生徒が勉強しています。学生のほぼ99%はミャンマーからの移民と言ってよいと思います。

新学期に伴い、私が携わる拡大予防接種プログラムでも新しい生徒が今年の予防接種プログラムに加わりました。おそらく2500名くらいの子どもたちが私たちのプログラムでフォローされる予定です。

学校で予防接種を打つ研究所のスタッフが「どこから来たの?」と聞くと、各学校10名に1人くらいの割合で「ヤンゴン(ミャンマー)から来ました」と答えます。理由は両親のどちらかがタイで働き始めたからと言うのです。

メソトの隣町、ミャンマー、カレン州ミャワディーから来た学生がたくさんいるのはわかりますが、ヤンゴンからこんなにたくさんの子供たちが移動しているんだなと肌で感じられずにはいられません。

ヤンゴンからだけでなく、他の街バゴーやモロミャイ等からも新しい学生さんが来ています。

2015年にはASEAN Economic Community(ASEAN経済連合)が形成され、EUのように国境の行き来が自由になり、人の往来が加速される見込みです。結核や予防接種で防げる感染症(特に麻疹など)にASEAN Economic Communityがどのように実践的に対応するのか健康関連の大きな会議では議題になります。

日本ではグローバル人材育成という言葉を政府の戦略としてよく耳にしますが、ASEAN諸国の人材育成においてかれるのではないかと思います。グローバルって言っている側ほど差別化して壁をさらに高くしているような気がするなぁ。

私もそうですが、人が海外へ積極的に移動する理由には夢や希望があって出ていくわけで、強く動かす原点がないと人の移動は進まないと思います。ミャンマーの人であれば、高い賃金を求めてよりよい仕事につくためにタイへ移動するわけで、私も難民、移民の分野において公衆衛生関連の仕事がしたくてタイにいたり、米国で勉強したりするわけです。

海外で働く夢を渇望させる機会が日本にあればうまくいくかもしれませんが、多くの人は衛生的で生活水準も普通に保てる日本以外に住むことは機会がないと考えないのではと思います。

ここに住んでいる土地の人は必然的にミャンマー語、タイ語、カレン語、英語といくつもの言語を駆使し仕事しています。たくましい!


ミャンマーとタイを結ぶ国境の橋は商業関連のトラックが列をなしています。



2014年6月9日月曜日

雨季はじまるなり。

ぼーっとしていたら1ヶ月以上もまたブログを更新していませんでした。元気です。本格的な雨季がタイにも訪れ毎日雨がザーザー降っています。

この時期になると自分が初めてタイで活動を始めた時、2007年の7月の雨季を思い出します。あの時期も雨季の真っただ中でした。

私がこの地域に関わってもう7年が経ち、もうすぐで8年目になります。博士課程で今後勉強することを考えると10周年記念を祝う日もそんな遠くはないです。私の性格上、いろんな地域で国際保健の活動をするよりも、一つのところに腰を据えて現地の人たちと勉強しながら活動する方が性に合うようです。

5月のミャンマー国内出張が終わったあとは、ずっと2つの論文書きに勤しんでいます。今までやってきたこと、関わったプロジェクトの評価をしているので、集大成です。私が主要研究者でよいのかしら?と思いながら上司に指導され勉強になります。この後博士課程に行き、人生でこんなに長期に渡って勉強させてもらう機会はそうそうないから、思う存分楽しんで勉強したいなと思っています。
(私、オタクになる傾向が高いのかも。苦笑。)

最近、嬉しかったニュースは米国公衆衛生学会( APHA: American Public Health Association)へ提出した研究要約が採用され、学会で口頭でのプレゼンをさせてもらえることになりました。今回の学会は11月にニューオーリンズで開催される予定です。学会で口頭でのプレゼンをさせてもらえるというのは結構倍率が高いようで、落ちる人も多々います。冬にぎりぎりでも要約を提出した甲斐がありました。

絶対ニューオーリンズに帰らねば!


雨季のタイは色鮮やかな花でいっぱいです。