2013年12月18日水曜日

栄養失調の子ども

私がメインの研究者として行っている結核の質的研究が本格的に取り出し、12月に入ってから本当に多忙であっという間に1年が終わろうとしています。早い!

昨日から仕事でまたバンコクにきています。今日はWHOタイの2人のオフィサーと話をすることがあったのでWHOのオフィスと、ダウンタウンのホテルロビーで話をしていました。2人とも女性(タイ人とインド系米国人)。仕事がてきぱきしている。言うことも直球でわかりやすい。ちなみに1人はシニアのオフィサーで独身(Smart, strong, successful and independent women tend to be single...this might imply the future for PhD female students!)

バンコクに来る前は結核と同時併行で仕事をしているミャンマー移民自治学校での拡大予防接種計画について、興味深い出来事がありました。

ある移民学校を予防接種チームとともに訪問したときのこと。

予防接種を打つのに並んでいた9歳の小さな女の子。110センチ、14キロ。1か月前に体重を計測したときより1キロ減少。

これは明らかに栄養失調じゃないか!?まるで3歳児くらいの体重。信じられない。学校の先生も誰も不思議に思わなかったのか?歩き方も普通じゃない!

予防接種チームがどういう対応をするのかみていたところ・・・

チーム「毎日ちゃんとご飯食べているの?」

女の子「食べてます。」

チーム「じゃ、これからもしっかり食べてね~。」

以上。

そんな対応でこの女の子の栄養状態が改善するはずないでしょ!と心の中で怒り爆発。
怒ってはいかんと思い、女の子とそのお姉ちゃんと話をすることに。。。

移民学校での予防接種を待つ子どもたちの様子。



なんと姉妹のお母さんが去年結核で亡くなったというのです。結核とコンタクトがあり、体重減少・・・もしかしたら結核なのではと思い、研究所の結核医師にコンサルトしました(咳はなかったのですが)。

数日後ツベルクリンは強陽性結果、また胸部レントゲン上明らかな肺結核の所見があるため、研究所より結核治療が開始されました。

自分が結核の患者を移民学校で発見してしまうとは思ってもいませんでした。こうして異常児もスルーしてしまう予防接種チームの対応を改善すべく、ワークショップを開いたり、学校へ同行することが今後も必要なようです。移民エリアの多くの結核患者は、患者の症状があって医療機関に受診するという、医療機関の受け身でしか発見されません(Passive case detection)。もっともっと結核患者がいるはずなのに見逃している可能性は拭いきれません。



2013年12月2日月曜日

もし日本人ではなかったとしたら

皆さんは自分が日本人ではなかったとしたらと考えたことがありますか。海外で生活していると必ずと言っていいほどの自己紹介の決まり文句。

「Where are you from?」(出身はどこですか?)

先日仲の良いビルマ人医師と話していたところ、自分の出身国を言うのが恥ずかしくてたまらない時があるということを言われました。

彼はとても優秀な医師で、米国NGOの中堅ポジションとして私と同じタイ国境で働いています。彼がそのNGOで働く前はバンコクの大学院でMPH課程に所属していました。

彼がMPH課程で出会った同級生のタイ人の友達に自分がビルマ人であることを自己紹介したところ、

「あービルマ人なんだ。僕の家にビルマ人のメイドがいるよ。」

タイ人の家にビルマ人の家政婦がいたり、タイ人がビルマ人を非正規労働者として雇っているという光景はどこでも見受けられます。

自分の国は貧しく、隣国のしもべ扱いされているように感じた私の友人。

私が米国の大学院で出会ったビルマ人の友人も私にこう言いました。

「ビルマ出身ですって言っても誰もわかってくれないし、興味を持ってくれない。自分はまるで宇宙から来たように感じるわ。」

皆さんはきっと2人のようなことを感じたことはないでしょう。

先日私がWHOの予防接種会議に出席していたとき、隣にいたWHOのイギリス人技官が私にこう話しかけてきました。

「君、日本人?僕は日本人の上司とフィリピンのWHOで働いてたんだ。日本人はとても優秀だね。」

またあるビルマ人は、私が研究所で所長さんから仕事のオファーを得たことを知った時、私にこういいました。

「あいこは日本人っていうことでとても得しているよ。日本人はまじめで勤勉だし、お金持ちだし。ただのビルマ人はあいこのように仕事を獲得できないよ。」

最近よく思うことがあります。

私には無限の可能性を選択する力があるということ。

もし自分が戦争で家族や家をなくし、飢えをしのぎ、隣国、タイ社会の差別の中で生きるという状況におかれていたらこんなブログを書いて進学を目指すこともなかったと思います。

先週は仕事で久しぶりに難民キャンプに行きました。今もなお、何万にもビルマ難民がタイ・ミャンマー国境で暮らしています。写真は難民キャンプの様子。



2013年11月21日木曜日

先生はなぜ結婚しないんですか?

所長さんがイギリス、フランス、アメリカ出張から帰ってこられ、研究のGOサインをいただき、私の仕事もだいぶ忙しくなってきました。

週に数日は結核に関連したフィールドリサーチにでかけ、週2日はミャンマー移民自治学校のEPIプログラム(拡大予防接種計画:Expanded programme on Immunization)のお手伝いをしています(健康の異常児がいないかをみたり、予防接種も一緒に打ちます。子どもたちが泣いて暴れるので戦争です。。。)。来週はWHOのEPIに関する会議があったりと予定が詰まっています。

今週、結核村でミャンマー人現地スタッフ(女性カウンセリングスタッフ)とおしゃべりをしていた時・・・

スタッフ「あいこ先生はいくつなんですか?」

私「今月で31歳になったよ。」

スタッフ「えー!先生若く見えますね!旦那さんは日本ですか?」

私「旦那さんはいません。まだ結婚もしてないからね。」

スタッフ「えー!31歳なのに?先生はなぜ結婚しないんですか?子どもを産む気はないんですか?」

私「ある!ある!(汗)日本はね、女性は30代で子ども産む人もいっぱいいるからね。」(ぐさり。胸に矢がささる)

ちなみにこの話をしていたスタッフはまだ23歳。バンコクで働いてるミャンマー人彼氏と結婚したいらしい。結核村で働く他の女性メディカルスタッフは22歳で1歳の子どもがいます。この国境で出会うミャンマー人の多くが20代半ばまでに結婚しているのではないかと思われます。

逆に30代で独身のミャンマー人女性医師には私のキャリア構築などの姿勢をみて「えー!まだ結婚する気あるの!?」と最近言われる始末。。。彼女はもう結婚する気がさらさらないようです。

まあ日本でも私の年齢は十分に結婚適齢期だと思います。メソトにいる日本のNGOで働く30代女性スタッフが集まればこの話題でもちきりです。日本の国際保健医療系の学生サークルや、看護大学等で講演すると、必ずと言っていいほど

「先生は彼氏いるんですか?結婚される予定はないんですか?」と聞かれることが増えてきました。

はじめは公共の場でこんな質問されて、吹き出しそうになったけど。学生さんは正直(苦笑)。

悲しいかな私は今のところ結婚する予定はありませんが(いつでもしたいですが)、国際協力の世界は未婚の女性で溢れているのが現実です。30~40代女性の方が私の周りでは活躍されていますが未婚の方が多いような気がします。

男性は結婚され、家族一緒に海外で住まれている方が多いような気がします。一方、数少ない女性で結婚されて、海外で活躍されている方の多くが国際結婚されているように思います。私の日本人コミュニティーは。

女性の高学歴化(国際協力バリキャリの人のほとんどが最低修士号を持ち、英語が話せる)、たくましすぎるのが未婚に関係するのでしょうか。

誰か国際協力と女性の未婚についての因果関係を研究してもらいたいくらいです。Prospective cohort study(前向き研究)で私をサンプルに使ってもらってもいいです(涙)。

途上国の人たちが家族団らんで笑いあっている姿(うちの家のタイ&ビルマ人家族も)をみると私もいつか!と思います。


写真は今月、ビルマ人&タイ人家族にバースデーパーティーを開いてもらい、誕生日ケーキをいただきました。

うちのNGOスタッフからもケーキをいただきました。


みんなに支えられておかげさまで感謝の誕生日を迎えられました。30代も楽しかった!って振り返られるようあつみを持った30代にしたいです。女性としても!



2013年11月12日火曜日

研究所のdiversity

以前にも書きましたが、今回ここに就職するまで全くこの研究所の中を知らなかった私。今でも知らないことだらけです。

研究所は外観ではわからないのですが、タイの家が4軒連なる大きなコンパウンドからなります(一度も踏み入れたことがない建物もあります)。

その中に人事、医師、ヘルスインフォメーションシステム部、実験室、私や医師等の国際スタッフ、ミャンマー人医師スタッフのオフィス等があります。研究所の外には研究所が運営する、移民コミュニティーエリアの4つのクリニック、難民キャンプの中に1つのクリニックがあります。そこでは300~400人のローカルスタッフが働いています。

私のデスクはDoctors' office(医師の事務所)という中にあります。こんな事務所に入れないでほしい!と始めは思いました。まるで日本の病院の医局の様だなと思ってしまいました。。。

その名の通り、私とアメリカ人の医学生のインターンを除いて、すべて本当に医師のデスクばかりです。みんなそれぞれ臨床研究(clinical trial)や公衆衛生の量的研究をしている人ばかり。

そして私のデスク側はなぜか欧米人に固められています。アメリカ人3人、スイス人1人。ミャンマー人の仲良い医師たちのデスクとはなぜか遠い。彼らと近い席にしてほしかったのに。米国に住んでいましたが、アジア人の方が断然付き合いやすいです!いろんな意味で。。。

研究所の中ではもちらん日本人(加えてビルメロ族!)は私だけ。

ミャンマー、タイ、イギリス、米国、オーストラリア、フランス、イタリア、オランダ、ポーランド、スイス、ニュージーランド等まるで世界を縮図にしたかのように世界各国の医師や臨床検査技師が集まっています。欧米人だけでも20~30人はいます。知らない人ばっかり。

しかしおもしろいことに、ミャンマー人のスタッフの90%はもう私には英語で話しかけず、ビルマ語で話しかけてきます(私は日常生活は問題ならない程度ビルマ語を話せます)。

そんなことから欧米人の中で私を未だビルマ人だと思っている人はいるはず。もういっそのことずっと私をミャンマー人だと思ってもらっても構いませんが。。。ビルメロ族として本望です。

ここは私のホーム、アジア!と思って欧米人の迫力に負けないよう今日も明日も日本のビルメロ族としてがんばりたいと思います。

2013年11月6日水曜日

ビルメロ族7年目

11月に入りタイ・ミャンマー国境のメソトの街は乾季に入ったものと思われます。もう1週間近く雨も降っておらず、朝と晩は20℃近くになるほど涼しくなってます。この季節が一番好きです。

ところでミャンマーは多くの少数民族からなる国です。この国境地域にはカレン族という少数民族が大多数住んでいます。「バルミョレ?(ビルマ語:何族ですか?)」と聞かれたら、私は「ジャパンルミョ(ビルマ語:日本人です)」と答えるのですが、私は日本人でも自分を「ビルメロ族」と名乗りたいなと最近つくづく思います。

ビルメロ族とは実はビルマ(ミャンマー)にメロメロになってすっかりはまり込んでしまった人たちをさすようです(日本ミャンマー友好協会やビルメロの会がこの民族名を考えたのかもしれない。ネット検索で由来は確定できず)。ビルマ関連の書籍を読むとビルメロ族と称される方々も結構でてきます。

私は2007年7にはじめてメータオ・クリニックで医療ボランティアスタッフとして働き始め、この国境に行ったり来たりの人生を始めてから、もうかれこれ7年目に入りました。どのくらいビルマにメロメロになっているのか以下指数を出します。

東京で働く私―幸せ度60%
看護師として東京で働いていた私はまずまずの給与をもらい、買い物、友達との楽しい外食など何不自由なく暮らす私。でも何か足りません。

米国で勉強する私―幸せ度80%
興味ある国際保健を思いっきり勉強でき、幸せ度やや上昇。勉強&テストに追われ、また欧米人の自己主張についていくために時々どこか無理をしているかもしれない私。

タイ・ミャンマー国境で働く私―幸せ度120%
国境のミャンマーの人々の笑顔にメロメロになっている私。ミャンマーのみならず、タイの食事、文化も好きなため幸せ度が一気に上昇。もはや測定不能。

今も例年のごとくタイ人&ミャンマー人友人夫婦の家に住み、2世帯の家族と暮らしています。離れのバンガローに一人住んでいるのですが、夕食は母屋の家族とともに食べます。タイ人&ミャンマー人家族が「アイコーご飯食べるわよー!」と声をかけてくれます。

私はこの夕食の時間が楽しみで、まるで家族になったような気分です。特に一緒に住むミャンマーのおじいちゃん(80代)、おばあちゃん(70代)の笑顔には毎日癒されています。

研究所のスタッフや街でメータオのローカルスタッフなどに会ったときには、

「たらむ、をらげ~!(カレン語:先生、おはようございます!)」とみんな笑顔で挨拶してくれます。

その笑顔は伝染していき私まで満面の笑顔になります。これはビルメロ族の主な特徴と思われます。私も国境に住む少数民族、ビルメロ族として明日もがんばりたいと思います。


2013年10月28日月曜日

一度入ったら出られない村

私の所属する研究所が運営している村がタイとミャンマーの国境にそれぞれ1か所ずつあります。

その村に入居すると数カ月間しばらく出れません。人里離れたところにその村は存在します。

名前は結核村(通称:TB village)。



結核の治療は通常6か月かかります。多剤耐性結核を発症した患者さんも村に住んでおり、中には2年ほど住んでいる人もいます。

この結核村に住んでいるほとんどの人がミャンマーとタイを行き来するミャンマーの移民です。正式なパスポートや労働許可書を持たず、タイの保険システムからも除外され、研究所が運営する無料の結核治療を受けています。ミャンマーのカレン州とタイのタック県の患者さんが中心です。

この村では、衣食住も無料。患者さん用の農地もありとてものどかです。

のどかな村の裏にはいろんな問題が潜んでいます。

まず疫学的にミャンマー、タイで結核は大きな問題です。両国はWHOの結核蔓延大国22か国リストに入っており、とりわけミャンマーは東南アジアで多剤耐性結核の有病率が一番高いのです。一時2006年に世界基金が出したレポートでは国民の40%が結核(潜在性の結核も含め)に感染しているであろうと報告しています。

またその中でも結核の有病率が高いのはミャンマーからタイへ移動してきた移民と言われています。タック県に住むタイ人とミャンマー人の多剤耐性結核の患者の内訳を比較したところ、ミャンマー人の割合が70%を占めていたという論文もだされています。

移民の多くが長期に渡り同じ病院施設で治療を受けることが困難であること、経済的に家族を支える必要があり早く治療を終わらせたいがために症状がよくなれば断薬してしまう人がいることなどいろんな要因が移民患者の治療を難しくさせています。

結核についてもっともっと書きたいことがあるのですが、今日はこのへんで。。。

厚みのあるいい仕事をできるように、この結核問題の改善に貢献できるようInput、Output、Outcomeをしっかりしたいと思います。

最近思うこと。博士課程進学は1年延期になってしまいましたが、興味ある仕事ができるのは最高に幸せで、やりがいがあるなと感じるこの頃です。





2013年10月18日金曜日

バンコクなう。

今バンコクです。WHOとタイの保健省が主催する、結核国家戦略会議に参加していました。

研究所の職員としてバンコクの会議に行くのははじめてです。

そしてこともあろうに研究所から私一人が出席です。相方のビルマ人医師(結核専門)が別件があったために、「あいこ、行って来い!」と言われ一人飛行機にのってバンコクに来ました。

メソトでWHOと保健省が視察に来ることはあったのですが、自分からバンコクの会議にでるのは初めてで新鮮でした。

なんと一番新鮮だったのは、同時通訳のイヤホンを渡されたこと!!タイ人がタイ語で話すと英語の通訳がイヤホンを通して流れ、英語で国際スタッフが話すとタイ語になるという仕組みです。

WHOさすがです。coffee breakもfree lunchも豪華です。



今回の会議でこの結核のための国家戦略プランを修正するために、結核関係者(NGOやGO、大学研究機関等)が招待され、意見を交わすという内容でした。

私も数回挙手をして、うちの研究所の結核政策やメータオの経験から垣間見た意見を言いました。は~緊張した。。。欧米からのNGO職員やWHO職員は流暢な英語で意見を言うのに対し、私のはジャパニーズイングリッシュ。でも会議で静かに聞いているだけではあかん!と思い、勇気を出してジュニアですが意見を言わせてもらいました。

結核政策関連の文献等を毎日読みあさっています。スポンジのように書いていることを吸収せねばと思う毎日です。

来月研究所の所長さんがイギリス出張から帰ってくるので、それまでに仕事のプロポーザルの最終まとめをしなければいけません。奨学金の応募もはじまっているので、がんばらねば!


2013年10月6日日曜日

新しい仕事

久しぶりのブログ更新です。8月末、ヤンゴンの某国際機関でインターンor短期コンサルとして働く予定だったのですが、先方の予算の都合で仕事が延期されてしまいました。

さてどうしようかといろいろ就職活動をしていたところ、やっと仕事が決まり、タイのメソト郡でまた働き始めました。新しい職場はマヒドン大学オックスフォード大学熱帯医学研究所のフィールド研究所、ショクロマラリア研究所という医療研究機関です。結核政策にかかわる研究員として活動をはじめました。

この研究所、長らくメソトに以前住んでいたにも関わらず、何をやっているか全く知りませんでした。

研究所、就職活動先とも全く考えておらず、たまたま研究所の所長さんとタイ・ミャンマー国境の結核政策について話すことがあり、

所長さん:「結核の政策について研究員としてうちで働いてみない?給料はだすし、うちから論文をだせばいいから。Aikoの博士課程でも僕がスーパーバイザーになって論文みてあげよう。」

私:「え?え?今何っていいました?」

所長さん:「うちで働かないかっていうジョブオファー!」

私:「えー!!本当ですか!」

という感じでインフォーマルに仕事のオファーをいただきました。

今ではデスクとコンピューター、E-mailアカウントももらい、新しい職場で仕事をはじめたんだなと実感しています。

上司の所長さんはフランス人でおちゃめなおじさんです。所長さんも私と同様自転車に乗って、研究所まで来てます。オックスフォード大学のフランス人教授が自転車こいで、職場に来るとは親近感わきます。

研究所はマラリアやその他の感染症の臨床研究のみならず、ミャンマーカレン州、またタイ側で難民、移民向けの無料クリニックを運営しています。

研究所内だけでなく、難民キャンプ内にもラボ(実験室)があります。新しい治療だけでは、タイ・ミャンマー国境の健康問題は解決せず、公衆衛生的アプローチの必要性から私が雇われたようです。

私の仕事はメータオ・クリニックやその他のNGO医療機関、研究所が運営する結核村、ミャンマー国内の医療機関、タイ内の医療機関、政府機関等の連携について考え、話し合いを持つのが私の役目です。

仕事を通じて今のところQualitative Study(質的研究)をする予定なのですが、この国境の結核問題に少しでも解決策を見出すことができるよう仕事をしていきたいと思います。

研究所が運営する結核村の写真。結核村とはなんなのか?また説明します。





2013年8月12日月曜日

ミャンマー、ヤンゴンにて

今はタイ・ミャンマーの国境メソトという街にいます。

今の近況を書く前に、約1週間前に滞在していたミャンマー、ヤンゴンについて振り返ろうかと思います。

初めてヤンゴンを訪れました。タイ・メソトの隣にあるミャンマーの街ミャワディーは何度か訪問しましたが、大都市ヤンゴンを訪れるのは私にとって初めてでした。

米国の大学院で仲良かったミャンマーの友達がいくつかの観光スポットを見せに連れて行ってくれました。

ヤンゴンの観光スポットの最大とも言えるシェダゴンパコダ。


日曜日の昼だったので観光客以外にもたくさんの現地の方が訪れていました。友達に願いが叶うと言われるパコダからの祈りのスポットや、パコダの周り方(パコダは円形なので自分の身体の右側を常にパコダに沿わせて歩く等々)等を教えてもらいながら回りました。




ミャワディーのパコダよりも大きく、きれいに手入れされています。曜日ごとに神様が祭られています。

続いてボージョー・アウンサウン・マーケット。外国人ツーリスト向けのやや高めの市場

そして沿道がカップルでにぎわうインヤ・レイク
米国人のジャーナリストがこの湖を泳いで、湖の近くにあるアウンサウン・スーチーさん家を訪問し、物議を呼びました。

最後に私の大好物、豆腐シャンヌードル(毎日のように食べていました)。そして最後晩に友達と食べたビルマ料理。現地の人が教えるレストランはおいしいのです。


初めてヤンゴンを訪れてみて思ったことは、タイとミャンマーの国境の街メソトと同じ!と思ったことです。メソトと同じくたくさんのミャンマー人であふれていました(ミャンマー国内だから当たり前か)。

そして私のビルマ語がどこでも通じる。道で迷ったときも、ご飯をオーダーするときも。

たった1週間しかヤンゴンに滞在することができず、仕事の面接があったり、また雨が毎日強く降っていたので遠くまで外出することができませんでした。このブログの内容はヤンゴンを垣間見たに過ぎない内容です。

1週間では足りなさすぎる滞在でした。でもミャンマー国内と国外両方で仕事がしたいなと思わせられる滞在でした。


2013年8月10日土曜日

自己紹介

私の名前はAikoです。米国チュレーン大学公衆衛生熱帯医学大学院の博士課程に進学する予定の日本人です。

臨床看護師として都内の病院で勤務した後、2007年から2009年までタイ・ミャンマー/ビルマ国境の難民診療所メータオ・クリニックで国際医療ボランティア活動をしていました。2008年3月、メータオ・クリニックに共感した医師、看護師等の同志たちとNGOメータオ・クリニック支援の会を立ち上げ、現在に至るまでNGOの活動をしています。

メータオ・クリニックでの活動から、難民、移民の保健に携わる仕事がしたいと思い、2011年8月から2012年12月までロータリー財団国際親善奨学生として渡米し、上記の米国チュレーン大学の公衆衛生修士課程(MPH)を修了しました。

MPH在学中にプロフェッショナルな難民、移民の保健の専門家として、またミャンマー/ビルマの保健問題をもっと勉強したい、将来は学術の分野でも活躍できたらと思い、博士課程に進学することにしました。

そして無事2013年2月に上記大学院より合格通知を受け、現在は渡米準備中です。2013年8月に進学を希望していましたが、給付型の奨学金に合格することができず、2014年8月に渡米を目指しています。

この日記は難民、移民を専門とした国際保健のプロとして駆け出しの私の徒然日記です。
皆さん、お付き合いいただければ嬉しく思います。

MPHの日記は「心は熱く、頭は冷静に」パート1をご覧ください。
http://kokorotoatama.blogspot.jp/