2016年6月19日日曜日

カレン族の親友宅訪問@バッファロー

北米難民健康学会のあとニューヨーク州のバッファローにて5年ぶりにカレン族の親友に再会しました。メータオ・クリニックで10年前一緒に働いていたセイリアです。私が修士課程の学生を始める前に彼女の家を訪問してから約5年ぶりでした。

この5年間の間に2人の赤ちゃんを産み(赤ちゃんは今2歳と4歳)、お母さんになっていたセイリア。子育ての話で盛り上がりました。カレン語で話しかけながら2人の赤ちゃんを育てているのですが、男の子2人ともカレン語が話せないとのこと(理解はできます)。英語のテレビの影響からか英語は達者です。多言語の中で子供を育てるのは結構難しいのだなと思いました。

ベトナム人2世(アメリカで生まれたベトナム人)のほとんども流暢にベトナム語が話せないように、英語での環境下に慣れると子どもでもお母さんが話している言語をスムーズに話すことが難しいようです。

楽しい時間はあっという間に過ぎ、セイリアが作ったたくさんのミャンマー料理も楽しみました。モヒンガ、オンノーカオソイなど私の好きな料理ばかりでした(あらかじめリクエストしていました汗)。




最近論文のことで行き詰っていたのでニューオーリンズを出て息抜きできました。

2016年6月13日月曜日

ナイアガラの滝ナウ

今私はアメリカのニューヨーク州にあるナイアガラ滝市に来ています。夏休みなんです!と言いたいところですが、North America Refugee Health Conference(北米難民健康学会?)という学会に来ています。ニューヨーク州涼しすぎます。ニューオーリンズは日中摂氏30度。ここナイアガラ滝市内は日中20度くらい。

半年前に出した研究要約が通り学会でスピーカーとしてテキサス州ヒューストンで実施したカレン難民の子供と医療アクセスについて発表してきました。人前に立つと緊張するから何度も発表練習したのですが、プレゼンは60点。途中でぎこちなくなったりもう少し練習が必要です(英語で15分間、プレゼンするのは本当に大変!友達と会話とはわけが違います)。私のプレゼンは初日だったので、明日の学会からはリラックスしたいと思います。

全米、カナダそのほか海外からも650人近くの方々が出席され大きな学会です。明日、明後日も続きます。メータオ・クリニックで働いていたアメリカ人の友人たちにも再会しました。

アメリカは年間8万人以上の難民を受けれており、2015年は18000人のビルマ(ミャンマー)からの難民を受けれています。ビルマのカレン族難民が一番多いです。
シリアの難民受け入れはこれからどうするのか気になるところです。2016年アメリカはシリアから1万人の難民を受け入れる予定ですが、昨晩フロリダ州のオークランドで50名に渡る射殺事件はISによる犯行だということがニュースに流れており、シリア難民の受け入れは反発がありそうです。トランプおじさんが選挙に勝つ日が近づいてきたのか。もしトランプおじさんが勝つことになれば私はアメリカから撤退したいと思います(本気です)。
写真はホテルからみたカナダ側と学会の様子です。


2016年6月6日月曜日

博士論文 Prospectus Defense準備

この夏はおそらく旅行に行くこともなく、Prospectus Defenseの準備に時間をかける予定です。Prospectus Defenseとは博士課程の学生がどういう論文を書きたいのか、口頭で約30分かかて、博士論文審査委員会に説明するという博士課程の学生にはなくてはならない儀式です。このProspectus Defenseに通過して、晴れて私は博士号取得候補者(PhD Candidate)になる予定です。

このProspectus Defenseを行う前に30ページ近くのプロポーザルを書き、博士論文審査委員会の長(私の場合はマーク先生)にOkを出してもらって、はじめてProspectus Defenseのプレゼンテーションの準備を進めることができます。

さて肝心の私の論文テーマはなんと「ハリケーンカトリーナ災害復興の軌跡:ベトナム移民における健康と医療アクセス」です。

こんなにミャンマーのことを長くやってきたのになぜにベトナム移民??と思う方もいるかもしれません。論文テーマを決めるのは苦渋の決断でした。

でも今となってはこの決断に間違いはなかったのではと思います。以下の内容はこれからPhDで博士論文の内容を決める方の参考になればなと思います。

教授をハッピーにすること
博士論文を書くにあたって一番大事なのは論文審査委員会の長(私でいえばマーク先生)との人間関係です。ベトナム移民はマーク先生の専門分野。マーク先生はずっとわたしに彼のデータセット(2005年から2010年までのベトナム難民のコホートサンプル)を使い論文を書いたらいいのになと熱烈なアプローチをしてきました。

去年ハーバード大学とミシガン大学などとともにハリーケーンカトリーナに関するNIH(米国保健省)の1億円近い助成金を手にしたばかりの彼にはベトナム難民の論文本数を教え子が増やしてくれるのはもってこいだったのだと思います。

論文委員会の長との関係が悪く卒業まで困難を極めた学生さんたちを見てきたので、この教授をハッピーにするというポイントはとても大事です。

論文のデータ収集を自力でできるのか?
先生のアプローチを断ってミャンマーの結核問題を書くことになれば先生は論文を見てくれるのか、卒業が遅くなるのではととても心配でした。先生は「アイコがミャンマーの難民キャンプの結核スクリーニングを書くことにしても読むよ。」と言ってくれたのですが、そこで大きな問題が発生しました。

去年夏に元職場の上司と面談したところ「難民キャンプの結核スクリーニングのための資金は半分しか得てない。」と言われました。これは困りました。半分しか難民キャンプの結核スクリーニングができないのではれば私の研究は中途半端なものとなってしまいます。これをマーク先生に話したところ「Risky!」と難民キャンプで論文を書くことを避けるようにアドバイスを受けました。

さらにミャンマーの難民の帰還が近々予想されているので、この不安定な情勢中で難民キャンプで論文を書くには本当に中途半端な結末で終わってしまう可能性があると思います。

卒業目標年と資金
他のテーマでミャンマーのことを書くこともできたのですが、最初から自力でデータ収集しなければならず1年以上はデータ収集にかかることが予想されました。

いただいている給付の奨学金が3年間で終わってしまうので3年間で卒業するために現実的な方法を考える必要がありました。先生をハッピーにしながら3年以内で卒業するためにはベトナム移民について既存のデータを用い論文を書くことが一番無難な選択でした。

もともと日本にいるベトナム難民の友人に出会ったことがきっかけで難民関係の仕事をしたいと思うようになったので、ベトナム移民のことについて書くことも私のMissionには十分合うと思い、今はベトナム移民についてのプロポーザルを書いています。去年ベトナム移民コミュニティーでもお仕事をする機会があったのでご縁があったと思い頑張りたいと思います。
写真はこの冬にニューオーリンズ東部にあるベトナムコミュニティーを訪ねた時の写真です。

                ベトナムの新年祭にて


              ベトナムのカソリック教会にて