2015年7月19日日曜日

孤立する日本

このテーマを書こうかどうか迷っていましたが、戦争、難民問題に関心があるので書こうと思います。

安全保障関連法案が先週可決されました。あっという間に可決されびっくりしました。夏までに法案を通すと米国議会にスピーチで約束した首相。 
アメリカではこの日本の法案を快く受け止めているように感じます。ニューヨークタイムズの記事やアメリカ人のコメントを見てわかります(下に記事)。


アメリカ議会でのスピーチや記事を読んでまるでアメリカはジャイアン。日本はスネ夫のような子分に感じてしまいました。

私がこの法案に対してどのように受け止めているかは別として、違憲だと散々非難されたのに強行採決されたのでは最高法の憲法の意味が全くないのではないかと思っていました。こんなに急いで可決するとはジャイアンにプレッシャーをかけられたのか?

首相、日本政府がこの法案を通したかったのであれば憲法改正からすべきだったと思います。
仮想敵国の中国やイスラム国に侵入されたらどうするのか、戦争はしたいくないなど色々議論はあると思います。この点のうち、中国との外交について私の意見を述べたいと思います。

日本は中国を威嚇する外交から経済の強靭なパートナーとして関係を強固するべきだと思います。どれだけ日本が防衛しても、軍でも経済の面でも到底、勝てる相手ではありません。アメリカに留学して3年たち思うのは野心を持った優秀な中国人留学生の数の多さです。アメリカのアジア人人口で一番多いのは中国人、次いで韓国人です。留学をしてる私が言うのもなんですが、日本の経済は中国と反対にどんどん衰退して行くでしょう。優秀な日本人留学生の数は中国の留学生15-20分の1、もっと比率は小さいと思います。中国はいつか経済バブル崩壊に陥るかもしれませんが、今世界中の投資家にとって魅力な市場です。日本が中国にとってアメリカのようになくてはならないパートナーになり、Win Winの関係を作れば侵略の危機にびくびくすることも減るのではないのでしょうか。

今の中国人留学生の大半が安倍首相を嫌いです。これはまずいです。

この法案が最終決定された場合、懸念するイベントはアメリカの大統領選です。2016年オバマ政権は終了し、新しい大統領が決まります。もし共和党の戦争好きなブッシュ大統領のような人物が大統領になればアメリカから日本も戦争に参加してくれないかと言われる日が近い将来来るでしょう。そしてジャイアンの要求にスネ夫は逆らえない((((;゜Д゜)))

アメリカに住んでからイラクで地雷を踏んで事故に合い耳の聴力を失った米国人、アフガニスタンに派遣され気性が荒くなった米国人の学生さんに会いました。どちらも今の大学の生徒でした。アメリカにいると戦争が本当に身近に感じます。戦地に派遣されるアメリカ人、戦争で逃げてきた多くの難民が住む国、アメリカ。日本も近い将来アメリカみたいな国になるのか?ぞっとします。日本学生支援機構の奨学金が返済できないなら戦地へ行って下さいみたいなお手紙が来る日があるかもしれません。。。

私の意見は法案を白紙に戻して、憲法改正の根本的なところから話し合いをしてほしいです。憲法改正が必要か今はわかりません。でも戦後70年目議論する余地はあると思います。

2015年7月13日月曜日

アフリカの家族計画とHIV/AIDS

この夏私が毎日考えてるのは、アフリカの家族計画とHIV問題についてです。この仕事はUSAID(米国開発庁)から委託されたものであり、USAIDはアフリカの出生率が高い国で様々な家族計画に関するプログラムを実施しています。

私が担当してみている国はザンビア、ウガンダ、ナイジェリア、タンザニア、マラウイです。これらの国は一生涯に女性が産むこどもの数が5人ほどであり、人口増加が問題になっています。日本の女性が一生のうちに産む赤ちゃんの数は1.23。日本は高齢化、人口現象が問題視されているのにアフリカは人口が多すぎて困っているなんてところ変われば事情が違うもんなんですね。。。

その出生率が高いアフリカの5つ国は同時にHIVの有病率(国民の10人につき1人はHIV罹患者という感じ)も高くて困っています。この家族計画とHIVの治療、診断などのサービスをひとつの病院やクリニックでできたらいいのになという考えが私の仕事に関係しています。

HIVを持つ患者さんは将来妊娠したいのか、赤ちゃんがHIVポジティプで産まれてきてもよいのか考えるのが一般的です。たくさんのアフリカで調査された研究論文を読んだところ、90%近くのお母さんはHIV感染を知ってから新たな妊娠は望まないそうです。ですがそれでも妊娠してしまうHIVポジティプのお母さんが多いのが現状です。理由は性交渉時に確実な避妊をしていないから(本当は避妊用ピルやコンドームを使用したいのにないから)。

HIVクリニックに行ってコンドームをもらえたとしても、文献によるとコンドーム使用から妊娠する確率は10%近くあります。なので家族計画の視点から国際的にはHIV患者さんで妊娠を望まない場合、2つ以上の避妊方法の同時使用を勧めているのですが、なかなかうまくいきません。

そして問題なのはHIVクリニックで家族計画のサービスが整っている場合は多くなく、避妊用のピルをもらったり、精管切除などその他の避妊方法を受ける場合は家族計画専門のクリニックに行くや大きな医療機関に受診しなければいけません。それがスムーズにいかないのです。。。

一度一ヶ月ほどアフリカにいたので想像がつくのですが、首都以外の場合HIVの患者さんがコンドームをHIVクリニックでもらえたとしても、そこから何十あるいは何百キロと離れた家族計画専門のクリニックに行くかはかなり疑問です。貧しく車もない、仕事も休めない、わざわざ別の日にまた遠くの医療機関に受診するのは苦難です。HIVクリニックですら、ちゃんとコンドームがあり、病院の転送案内を出してくれるかも謎。

また問題なのはUSAIDは家族計画を支援するけどHIVは違う米国政府機関(PEPFAR)が支援しています。世界のHIV関連に関わる寄付の半分はPEPFARがしています。このUSAIDとPEPFAR自身も別々の動きをしているので、一貫した家族計画とHIV関連がコラボされたサービスが提供できていません。

2015年秋に国連が掲げていたミレニアム開発目標が評価され、ポストミレニアム開発目標としてサステナブル開発目標が決まっています。内容は世界の人口増加が加速し、資源が枯渇しないようにするにはどうしたらいいか、都市化問題、人口の移動(私の時代が来てます(о´∀`о)ノ。なぜなら私の専門はMigration and Health:移住と健康)などです。アフリカの人口問題が落ち着くかどうかが焦点になっているので、人口学が気になる私としては目が離せません。

こんな感じで、毎日レポートを書いたり、文献読んだりしながら「この要求は今のアフリカには無理やでー(´д`|||)」と毒を吐きながら仕事してます。

そして仕事のやる気を上げるためにアフリカで撮影されたミュージックビデオをたまに鑑賞。"Am I Wrong"と曲はずっと前アメリカでも流行ってました。ジンバブエとボツアナで撮影されたそうです。自然の美しさに圧倒。


2015年7月6日月曜日

カレン族の今@ヒューストン

金曜日と土曜日の1泊2日間、ヒューストンに滞在していました。無事に倫理委員会から研究許可がおり、調査が始まりました。今回の滞在目的はカレン族出身のリサーチアシスタントとともにカレン族家族のお家を訪問し、質問表をもとにデータ収集をチェックするというものです。

4軒のカレン族のお家を訪問したのですが、彼らが直面する問題の大きさに撃沈してしまいました。

どの家庭も非常に貧しく、メディケイドというアメリカ版生活保護を受けていました。そのメディケイドの更新方法がわからずリサーチアチスタントに助けを求める場面もありました。

訪問したひとりのカレン族のお母さんは話しの途中で泣き出してしまいました。英語は全く喋れず隣人の黒人やメキシコ人たちにからかわれる、カレン語すら読み書きもできない、毎月家賃が払えるか不安で育ち盛りのこどもに満足にご飯を食べさせあげることもできない。難民キャンプでは困ったときは家族、親戚、友人に頼ることができたのに今は誰も頼る人がいないと等々。

このカレン族の家族らが住む地域は実はあまり治安がよくなく、今まで少なくとも2人のミャンマー出身の難民が強盗に合い射殺されるという事件がありました。私がここに住まなければいけないと言われたら精神的に参りそうです。

最近は難民を支援するNGOの活動が手薄になっており、難民がアメリカに到着したら必ず受けなければいけない語学学校についてNGOから案内されることもなく、語学学校に通ったことがないカレン族難民もいました。ヒューストンがあるテキサス州だけで年間7000人近く世界各地から難民を受けいれているのでNGOが多くの難民の生活をフォローしきれていないのかもしれません。

また今回の滞在で考えさせられたのは、精神疾患についてです。難民キャンプの中やミャンマー国内で診断を受けることなく、アメリカにきて統合失調症と診断された人がいました。その統合失調症を持った患者さん家族は渡米後症状が悪化し大変だったそうです。

難民がよく抱える心的外傷ストレス障害と判断が見分けにくいのですが、精神疾患や知的障害をもって渡米する難民も実は結構いるのではと思います。難民キャンプやメータオクリニックでも受診し適切に精神疾患の診断を受けている人はどれくらいいるのだろか疑問です。

また悶々と考えていたのですが、私もアメリカに初めて住み始めた当時ホームシックにかかり今だから言えるのですが、早く日本に帰りたく仕方ありませんでした。しかし難民として渡米してきた彼らにはもう帰る場所はなく、アメリカで第2の人生を歩むしかないのです。ジャングルの国内避難民エリアに産まれ、内戦で家族や友人を失い、教育の機会も失った彼らにとってアメリカでの新しい人生はそう簡単なものではありません。

世界の不公平さに憤りを感じ、何もできない自分に虚しさを感じてしまいました。

写真はヒューストン空港内と調査を行うリサーチアシスタントとカレン族のお母さん。ひざには3歳のお子さんを抱えています。