4月の上旬からずっと勉強し続けています。今かなり追い込みです。2本のペーパー(論文)の1本は書き上げ、あと1本は残りDiscussionのみになりました。ゴールはもう少しです。ずっとパソコンを見続けているので、肩こりが激しいです。
プレゼンも火曜に1本と、5月上旬の疫学の最終テストが残っています。
PhDに入って思うのは、文章を書く量が増え、英文を書く速度が速くなっている気がします。私は英語で論文を書いたあと、絶対にアメリカ人の友人などに文法ミスなどをチェックしてもらっています。私が書いたそのままの英文では提出しません。なので、他のPhDの学生よりも早く論文を書き上げ、英文をチェックしてもらいます(提出日ぎりぎりまで書いていたら、英文のチェックもできません)。
修士課程の時よりも、英語で書く力は前の職場と今の勉強で比べものにならないほど鍛えられたかと思いますが、やっぱり日本語が母国語なので完璧にはならない。私の書いたままの英文で論文を提出してもいいけど、アメリカ人の教授がもし仮に私の文法ミスなどを発見すると、論文の内容よりも英語直しに目がいってしまい、論文の内容までも悪くみえたりするのでそれは避けたいです。
留学生の中には、ネーティブイングリッシュスピーカーに英語をチェックしてもらわずに、提出する人がいますが、そんなことをし続けると書く英語の力は伸びないと思います。私でも彼らの英文ミスなどを簡単にみつけることができます(特にパワーポイントのプレゼンなど)。
アメリカに何年も住んでいる留学生でも、上記のように英文を直さない人、驚くべきにたくさんいます。Eメールでも彼らの間違えは簡単にみつけてしまいます。英語の間違えを教えてもらうのは恥ずかしいかもしれないですが、間違えを知らないで一生を迎えてしまうほうが私は恥ずかしいような気がします(この人、アメリカに長期に住んでいるのに、こんな英文もきれいに書けないのかって思ってしまう)。
それから期末テスト明け早々に、リサーチアシスタントとして大学院内で働くことになったので、ソーシャルセキュリティーナンバーの申請なども学期末テストとともに同時進行しています。無事に5月は来るのか。。。
ラストスパートです。
2015年4月27日月曜日
2015年4月12日日曜日
Houstonの旅 続編
4月に入り、スーパー忙しいモードに入ってきました。今25ページあるペーパーを2本抱えていて、ヒューストン調査のプロポーザルも仕上げなければならず、本当に忙しいです。5月第2週目までに計50ページのペーパー(1本は英文雑誌に投稿します)を提出するのと、3つのプレゼンテーション、疫学上級編と上級研究分析コースの宿題と疫学上級編の最終試験があります。本当にどうしよ!!ってくらいあせっています。やばい。時間が足りないです。
論文投稿する予定の分析はRandom Effect Probit Modelを使い、はじめてのパネルデータ(5年分のニューオーリンズに住むベトナム系アメリカ移民のデータ)の分析なので本当に難しい。かっこいい分析方法に挑戦中です。
さて、ヒューストンの続きを書きます。
いろんなNGO関係者や牧師さんにも会ってきたのですが、問題はたくさんあるようです。戦争から逃れて難民キャンプで暮らしてきたカレン族の皆さんは読み書きを習う機会を戦争によって奪われ、ヒューストンに定住した半数(特に30代以上の夫婦)近くのカレン族難民は母国語の読み書きができません。当然、英語を話すことは難題です。
またその子どもたちで難民キャンプの教育で育った子どもたちは、米国の高等教育についていくことができず、ほとんどの子どもたちが米国の高校に入学しても卒業することができないということです。そうなると、まともに定職につくことができず、 と殺(豚や鶏を殺す農場)場などでしか就職先がみつからないそうです。
私のプロジェクトにリサーチアシスタントとして働いてくれるカレン族の女性は、通信大学で公衆衛生修士課程に所属し勉強している学生さんです。米国に定住したカレン族の中でも珍しく成功している事例だと思います。彼女は難民キャンプの孤児院で育ったらしく、ご両親がいません。独りで米国に移り住み、第2の人生を歩むことに決めたそうです。まだこの学生さんには会ったことがないのですが、会うのが楽しみです。がんばっているカレン族出身の女性と聞いて応援したくなりました。
春セメスターが終わるまであと1ヶ月。よっしゃがんばろう!
論文投稿する予定の分析はRandom Effect Probit Modelを使い、はじめてのパネルデータ(5年分のニューオーリンズに住むベトナム系アメリカ移民のデータ)の分析なので本当に難しい。かっこいい分析方法に挑戦中です。
さて、ヒューストンの続きを書きます。
いろんなNGO関係者や牧師さんにも会ってきたのですが、問題はたくさんあるようです。戦争から逃れて難民キャンプで暮らしてきたカレン族の皆さんは読み書きを習う機会を戦争によって奪われ、ヒューストンに定住した半数(特に30代以上の夫婦)近くのカレン族難民は母国語の読み書きができません。当然、英語を話すことは難題です。
またその子どもたちで難民キャンプの教育で育った子どもたちは、米国の高等教育についていくことができず、ほとんどの子どもたちが米国の高校に入学しても卒業することができないということです。そうなると、まともに定職につくことができず、 と殺(豚や鶏を殺す農場)場などでしか就職先がみつからないそうです。
私のプロジェクトにリサーチアシスタントとして働いてくれるカレン族の女性は、通信大学で公衆衛生修士課程に所属し勉強している学生さんです。米国に定住したカレン族の中でも珍しく成功している事例だと思います。彼女は難民キャンプの孤児院で育ったらしく、ご両親がいません。独りで米国に移り住み、第2の人生を歩むことに決めたそうです。まだこの学生さんには会ったことがないのですが、会うのが楽しみです。がんばっているカレン族出身の女性と聞いて応援したくなりました。
春セメスターが終わるまであと1ヶ月。よっしゃがんばろう!
2015年4月3日金曜日
Houston ヒューストン
きたーーーーー!ヒューストーンーーーー!(о´∀`о)
先週から今週火曜までヒューストンに行ってきました。遊びじゃなくて現地調査です。アメリカに再定住したカレン族コミュニティーを訪問しました。関係NGOと面談をしたり、カレン族の教会も訪問しました。
カレン族をはじめとした、カチン族やカレンニ族の皆さんにも会いました。200世帯以上のミャンマーからの難民が住む集合住宅を訪問したのですが、すれ違う人の多くがサロンを着て歩いており、まるで国境の街メソトでした。
道ゆく人に「あの、ミャンマー出身ですか?何族ですか?どこの難民キャンプに住んでいましたか?アメリカには何年住んでいますか?」など私の日本語なまりがあるミャンマー語で質問しまくりました。まるで不審人物(汗)。こちらはニューオーリンズに住むビルマにメロメロのビルメロ族です!みたいな感じです(笑)。
ヒューストン滞在日記はまだ続きます。今日はこのへんまで。
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