2014年1月30日木曜日

ヤンゴン~パアン~ミャワディー~メソトへの道

ミャンマー国内出張も今週月曜に終え、無事にタイに戻ってきました。

最後は肉体的にも精神的にもちょっと落ち込んでしまいました。

WHOとの会議は思ったよりも緊張することなく、1人でもうまく切り抜け、なんとか仕事のサポートもしてもらえそうな感じでしたが、やっぱり自分が働いたことがないミャンマー国内で仕事をするのは難しいです。役所的な手続きを終えておらず、会うべきはずだった方と会えなかったりもし、再びミャンマー国内に来ることになるかもしれません。私の上司には近々、出直してミャンマー出張だなと言われたので、なんとしてでもこのミッションをやり直さなければです。

ミャンマーの皆さんはとても大好きなのですが(私はビルメロ族ですし)、毎日の食事が本当につらいです。。。ミャンマー料理脂っこいので途中タイ料理が恋しくてつらかったです。

出張の大半はヤンゴンで過ごし、帰りにカレン州の州都パアンを通りぬけ、初めて陸路でタイへ戻りました。陸路で外国人がタイとミャンマーを行き来できるようになったのは去年の9月からなのです。

カレン州パアンまではヤンゴンからバスに乗り6時間くらいでした。行先はパアン経由下呂温泉!

嘘です!日本の中古バスを使っているからです。パアンには下呂温泉なんてありません(苦笑)

パアンの恋人たちが集う橋です。橋の後ろにはうっすらとパアンを象徴するゾエカビン山が見えます。

 ゾエカビン山のふもとには1000体もの仏像が並び、この聖なるゾエカビンを古くから守っているそうです。

パアンの街郊外をパアンにある有名なパコダから見下ろせます。自然豊かで美しい眺めでした。

内戦だったカレン州に入って大丈夫なのですか?っと思われる方もいるかもしれませんが、パアンは昔は旅行者の移動の制限があり、入れなかったそうです。今は政府側のコントロールエリアなのでカレン文化とビルマ文化が混在したような街になっています。旅行するには全く問題はありません。

垣間見れたパアンにうっとりしながら、パアンからコーカレー、ミャワディー、メソト(タイ)とプライベートカー(10000チャット:約1000円)で5時間かけて移動しました。

悲劇は帰り道にありました。この帰り道は人生で経験したことのないほど、舗装が全くされてない土砂道を通り、山を何度も通りぬけ、まるでハリウッド映画のカースタントですかっ!って思うほどのドライブでした。崖がすぐそばにあり、崖に落ちている車も見えました(ひえ~冷や汗)。道がとても狭く、一通のため、隔日毎に上りと下りで分けて車が走っています。そのため毎日パアンからミャワディーに行けるわけではありません。一日おきなのです。

車酔いを大人になってから一度もしたことがない私がなんともグロッキーになってしまい、道中の写真を撮ることはできませんでした。前日に食べた脂っこい野菜炒めがこの車酔いに見事に当たり、何度嘔吐してしまったことか。。。もう二度と陸路でカレン州からは帰らないかなと思います。





2014年1月15日水曜日

ヤンゴンなう。

ミンガラバー(ビルマ語:こんにちわ)!

ついにこの日が来てしまいました。ミャンマー国内出張。年明け早々に予定されていたのですが、いろいろ予定があわず、今日からミャンマー国内入りです。今はヤンゴン。

明日はWHOミャンマーと初会議。もうだめ。緊張です。WHOタイは何人か知り合いがいたり、何度も会ったりしているのであまり緊張はしないのですが、WHOミャンマーとの顔合わせは初です。誰も知り合いがいない。しかもうちの研究チームから私だけピンです。ほんま大丈夫かいなっ!て感じです。。。

このミャンマー国内の仕事内容はあまり言えないのですが、仕事が終わるまでタイには帰らないつもりです。早ければ1週間、長くて2週間ちょっとかも。ヤンゴンだけでなく、他の都市にも仕事で訪問する予定です。新年早々に力試しです。

久しぶりのヤンゴン。相変わらず日本の古いバスが走っています。車の渋滞がすごいです(バンコクみたいにモノレールもないし)。



タイバーツをチャット(ミャンマーのお金)へ両替しようといろんな銀行を歩いて周ったのですが、ほとんどの銀行が米ドル、日本円、ユーロなど貨幣価値が高い紙幣しか両替できず困っていました。

いく先々のミャンマーの人たちはとても親切で、「あの銀行だったら替えてくれるかも?連れていくよ」と銀行で働くミャンマーの人たちは親切に答えてくれました。またタクシーを拾ってくれて銀行までの道をタクシーのドライバーさんに説明までしてくれたりと、大都市のヤンゴンでもミャンマーの人たちは優しいなとほっとしました。

私はなるべくミャンマーの人たちと話すときにミャンマー語で話します。日常生活程度はミャンマー語で問題ないことと、外国人って思われたくないからです。ただ私のミャンマー語の発音は明らかにミャンマー族ではない。。。

タクシーの運転手:「どこから来たの?何人?」
私:「タイのメソトで働くカレン族です」
タクシーの運転手:「へ~」

などとも嘘をついてしまいました。日本人って言ったらぼったくられるなと思い・・・ごめんなさい(汗)。ヤンゴンでミャンマーのカレン族出身って言っても信じてくれるんですね(苦笑)。


     日本出身のビルメロ族ミャンマーの大衆食堂で夜ご飯を食べる。明日からがんばろう!

2014年1月5日日曜日

Happy New Year!

皆さん、あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

あっという間に2014年となりました。12月は怒涛に過ぎ去っていきましたが、年末はミャンマーのカレン州で年越しをすることができました。

私の所属している研究所にはいくつかフィールドクリニックがあり、ひとつのクリニックがミャンマー、カレン州ミャワディー郡ココという街にあります。そのココという街で過去最大のカレンニューイヤーフェスティバルという催し物が12月31日から1月1日にかけて開催されました。


写真はココの結核村からみた2013年最後の夕日です。建物が何もなくきれいな夕日がみえます。

カレンニューイヤーでは歌やダンスと言った多くの催し物が開催され、おそらく1000人以上の観客がいたのではないかと思います。カレンの民族ダンスも夕方から始まり夜11時半まで披露されていました。カレン州の5つの郡から来たチームがダンスを披露しコンテストをしていました。


もちろん深夜0時のカウントダウンには花火もあがりましたよ!


メータオクリニックで働いていたときも、このカレンニューイヤー祭りに参加したことがあるのですが、今年の祭りは感動しました。なぜならミャンマーが平和への道を歩んでいるんだなと感じたからです。1月1日のセレモニーには首都のネピドーから訪問した政府関係者が挨拶をし、またミャンマーの国旗が掲げられていました。さらに祭りの一角には、カレンの伝統シャツを着たミャンマーのテイセイン首相の写真が飾られていたのです。

長い間カレン族と軍政府の内戦は続き、多くの人が家を失い15万人以上のカレン族をはじめとした少数民族がタイにある難民キャンプに今もなお住んでいます。全少数民族と昨年停戦合意をしたミャンマー政府。平和への道のりはまだ始まったばかりですが、ミャンマーの人たちが平和で穏やかに祖国へ帰れる日が来ることを願ってやみません。

Happy, Healthy and Peaceful 2014!