2013年8月12日月曜日

ミャンマー、ヤンゴンにて

今はタイ・ミャンマーの国境メソトという街にいます。

今の近況を書く前に、約1週間前に滞在していたミャンマー、ヤンゴンについて振り返ろうかと思います。

初めてヤンゴンを訪れました。タイ・メソトの隣にあるミャンマーの街ミャワディーは何度か訪問しましたが、大都市ヤンゴンを訪れるのは私にとって初めてでした。

米国の大学院で仲良かったミャンマーの友達がいくつかの観光スポットを見せに連れて行ってくれました。

ヤンゴンの観光スポットの最大とも言えるシェダゴンパコダ。


日曜日の昼だったので観光客以外にもたくさんの現地の方が訪れていました。友達に願いが叶うと言われるパコダからの祈りのスポットや、パコダの周り方(パコダは円形なので自分の身体の右側を常にパコダに沿わせて歩く等々)等を教えてもらいながら回りました。




ミャワディーのパコダよりも大きく、きれいに手入れされています。曜日ごとに神様が祭られています。

続いてボージョー・アウンサウン・マーケット。外国人ツーリスト向けのやや高めの市場

そして沿道がカップルでにぎわうインヤ・レイク
米国人のジャーナリストがこの湖を泳いで、湖の近くにあるアウンサウン・スーチーさん家を訪問し、物議を呼びました。

最後に私の大好物、豆腐シャンヌードル(毎日のように食べていました)。そして最後晩に友達と食べたビルマ料理。現地の人が教えるレストランはおいしいのです。


初めてヤンゴンを訪れてみて思ったことは、タイとミャンマーの国境の街メソトと同じ!と思ったことです。メソトと同じくたくさんのミャンマー人であふれていました(ミャンマー国内だから当たり前か)。

そして私のビルマ語がどこでも通じる。道で迷ったときも、ご飯をオーダーするときも。

たった1週間しかヤンゴンに滞在することができず、仕事の面接があったり、また雨が毎日強く降っていたので遠くまで外出することができませんでした。このブログの内容はヤンゴンを垣間見たに過ぎない内容です。

1週間では足りなさすぎる滞在でした。でもミャンマー国内と国外両方で仕事がしたいなと思わせられる滞在でした。


2013年8月10日土曜日

自己紹介

私の名前はAikoです。米国チュレーン大学公衆衛生熱帯医学大学院の博士課程に進学する予定の日本人です。

臨床看護師として都内の病院で勤務した後、2007年から2009年までタイ・ミャンマー/ビルマ国境の難民診療所メータオ・クリニックで国際医療ボランティア活動をしていました。2008年3月、メータオ・クリニックに共感した医師、看護師等の同志たちとNGOメータオ・クリニック支援の会を立ち上げ、現在に至るまでNGOの活動をしています。

メータオ・クリニックでの活動から、難民、移民の保健に携わる仕事がしたいと思い、2011年8月から2012年12月までロータリー財団国際親善奨学生として渡米し、上記の米国チュレーン大学の公衆衛生修士課程(MPH)を修了しました。

MPH在学中にプロフェッショナルな難民、移民の保健の専門家として、またミャンマー/ビルマの保健問題をもっと勉強したい、将来は学術の分野でも活躍できたらと思い、博士課程に進学することにしました。

そして無事2013年2月に上記大学院より合格通知を受け、現在は渡米準備中です。2013年8月に進学を希望していましたが、給付型の奨学金に合格することができず、2014年8月に渡米を目指しています。

この日記は難民、移民を専門とした国際保健のプロとして駆け出しの私の徒然日記です。
皆さん、お付き合いいただければ嬉しく思います。

MPHの日記は「心は熱く、頭は冷静に」パート1をご覧ください。
http://kokorotoatama.blogspot.jp/